宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<王岐山、湖南省で「潜水艦」的浮上 (2018年01月30日発 | Hideoutのブログ

Hideoutのブログ

ブログの説明を入力します。

 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    王岐山復活か・・と思ったら。中々裏も表も有る支那畜の国家体制に騙されるとこだった。

    読むと分かるけど、あの手この手を縦横無尽に振る様は感心するばかり。取り敢えず生き残っとかなきゃ暗殺が怖いだろうし、上手く手に入れたら万歳\(^o^)/


宮崎正弘メルマ
http://melma.com/backnumber_45206_6639622/✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯
 
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)1月30日(火曜日)
        通巻第5600号  特大号
✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯

 王岐山、湖南省で「潜水艦」的浮上
  全人代湖南省代表選挙第二位、三月の全人代で「国家副主席」へ
****************************************

 1月29日に開催された湖南省全人代において、王岐山(前政治局常務委員)が高得票で選出され(博訊新聞は第二位と報道)、中国のメディアが特大で報じた。
 王岐山は「ミスター消防夫」という渾名が示すように、危機管理に卓越したリーダーシップを発揮する。
 SARS騒ぎの時は北京市長のリリーフに送り込まれ、動揺を防いだ。

 習近平政権の発足とともに、反腐敗キャンペーンのトップとして、「虎も蠅も」をスローガンに軍トップから大物政治家まで、大幹部だけでも数百名を取り調べて失脚させ、その辣腕は国民から拍手喝采、軍からは恨み骨髄、党幹部からは煙たい存在というより恐怖と尊敬が掻き混ざった雰囲気の中で迎えられた。

 三月の全人代では国家機構の役職人事があり、国家主席は習近平、国務院総理は李克強は動かないが、注目をあつめてきたのは「国家副主席」のポストだった。

 第十九回中国共産党大会では定年制に従い、王岐山(69歳)の引退は決まった。王は政界から引退するとされた。直後から王岐山の親戚筋が深いコネクションがあるとされた海航集団の経営が躓きはじめ、この事象が同時並行したため、王岐山が返り咲くのは難しいのではないかと北京の情報筋が囁き合った。

 湖南省の全人代で王岐山の潜水艦的浮上があったため、やはり定年に拘らない国家機構人事では、王岐山が国家副主席に選ばれる道筋が示されたことになる。
         ◎▽□み◇◎◎や◎▽◇ざ◎□◇き□◇◎   
✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯

 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

 不都合な真実を伝えず、偏った事実を選別し印象操作に加担

  彼らは「考えることが嫌い」か、その能力がない左翼が「リベラル」を名乗っている

  ♪
岩田温『「リベラル」という病』(彩図社)

@@@@@@@@@@@@@@@@

 副題が「奇怪すぎる日本型反知性主義」とある。
 保守論壇の若き旗手、岩田温氏の新作は「リベラル」を名乗る(左翼の仮面だが)、おかしな人々を俎上にのせて、知的に大胆に、しかし冷静に斬ってのける。その刀裁きが新鮮なのだ。
 反知性主義とは指摘する必要もなく、インテリジェンスがないか、イデオロギーに凝り固まって視野狭窄に陥った思考能力の低い人々をさす。
日本では本来のリベラルとは異なった「リベラル」を名乗る人に、反知性主義があてはまる。この点ではアメリカにおける反知性主義とは異なる(詳しくは評者の『トランプ熱狂、アメリカの反知性主義』、海竜社を参照)。
 アメリカの保守系の人々の集まりに行くと「リベラル」というのは左翼という意味でしかなく、アメリカの左翼は、そう呼ばれることを嫌って「進歩主義者」と自称する。
 岩田氏はこう言う。
 「全く現実を無視したような奇怪な言説を展開する人々がリベラルを自称することに強い憤りを感じている」。彼らには「顕著な特徴がある。それは現実を見つめようとはせず、愚かな観念論に固執することだ」。
かれらは冷静な議論を避ける特徴がある。そのうえ、「自分たちの虚構、妄想の世界を否定するような冷静で論理的な批判に対して、正面から返答することができないから、『リベラル』は大袈裟な表現で国民を脅す」のである。
 平和憲法を改正すれば戦争になるとか、第九条を替えると徴兵制になるとか、こうなるとアジテーションいがいの何物でもない。
 東京新聞、朝日新聞などの奇怪な論調を批判するに次いで、ブンカジン批判に転じて、岩田氏は加藤典洋、内田樹、白井聡ら『ガラパゴス左翼』を徹底的に批判している。あいにく評者(宮崎)は、この三人の著作を読んだことがない。読むに値しないだろうし、時間がもったいないですから。
その「ガラパゴス左翼」の典型が池上彰であるという。
この名前、記憶がある。子供がまだ小さかった頃、「こどもニュースの司会者」だったはずだ。
その池上氏が、つねに中立を装いつつ、よくよく行間も吟味してみると、氏は明らかに左翼である。真実に言及しないのは、「不勉強であるがゆえ」か、それとも「不誠実であるがゆえに言及がないのか」。
池上氏が一見して国際情勢を深いような分析をして「情報通」などと左翼メディアから褒められても、本当の知識人は池上氏の「本性」を見抜いている。
 かれは「偏った本ばかり読んでしまった」がゆえに知性にかける言説を吐き続けるわけである。
「要するに、池上氏は虚偽を伝えることはしないが、きわめて巧妙に多数事実の中から、自分にとって都合の良い事実を選別し、視聴者への印象操作を行って」いるのだ。つまり、池上は「視聴者を知らず知らずのうちに左へと牽引するガイド」というのが正体である、と筆法鋭く偽ブンガジンの正体を暴く。
 まことに威勢の良い、文章も若い書物である。

     ◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇◇
✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯

 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

 東京五輪はテロ対策の「締め切り日」でもある

  日本のセキュリティ・システムはテロリストに万全ではない

  ♪
吉川圭一『2020年東京オリンピック・パラリンピックはテロ対策のレガシーになるか?』
(近代消防社)

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 本書はまず東京五輪に備えて警備に携わる五人の専門家にインタビューし、テロ対策の問題点を指摘しつつ、改善策を提言している。この本は「日本はテロを阻止できるか」シリーズの第二弾として編まれた。
 ところでテロ対策に関しての「先進国」は米国、イスラエルだが、中国のテロ対策も凄いのである。全土に張り巡らされた「防犯カメラ」は精度が劇的に向上しており、顔面識別が進んでいる。日本の防犯カメラは精度が劣るものが多く、またプライバシーを楯に操作に協力するか、しないかのレベルで揉めている。
 技術的には日本は先進国であり、システム化しようと思えばいつでも可能だが、法律という壁、つまり国会審議における野党の妨害が待ちかまえている。
 日本の或るハイテク企業は「表情や歩き方を見るだけで、その人の精神状態を察知し、テロリストを事前に見分けられる監視カメラも開発している」(166p)。
 ビッグデータの使用も考慮に入れるべきだが、まさに日本ほどプライバシーに五月蝿い国はなく、盗聴、防諜が法律的にできない。したがってテロリスト対策は後手後手になる。これで本当に東京五輪の安全は大丈夫なのか?

 最近のテロリスストはネット上で速成に養成され、ほかのテロ事件に触発されて突発的に行動にでるというローンウルフ(一匹狼)型が目立つ。
この潜在テロリストの発見には、じつはハッカーとネットの監視が絶対に必要である。
 日本の組織的な矛盾も著者は指摘している。
 日本ではオウム真理教の化学兵器テロがあった。すなわち「テロリストによって散布された毒ガスの種類を、判別できるようなセンサーが張り巡らされていれば、それは消防の救助活動等を非常に円滑にするだろう。しかし消防と警察は、人命救助と犯人逮捕という別の目的をもった組織である。そのため世界中の国々で、この二つの組織同士の協力には、困難な場合が多い。911事件の時も、この二つの組織の協力関係が不十分であったために、被害が拡大した経緯もある」(167p)
 テロ対策本部の編成替えの必要性など、重要な提言が続いている。
   
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇◇ 
✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯

 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
(読者の声1)今晩(1月30日)、午後八時からの一時間番組「フロント・ジャパン」に宮崎正弘さんが登場します。ホストは福島香織さんです。テーマはその日の国際情勢により変動するため未定です。ご期待下さい。
  (日本文化チャンネル桜)



  ♪
(読者の声2)中国高速鉄道の列車火災、見事な燃えっぷり。燃えたのはドイツのジーメンスの車両をベースにしたものですが、どうすればこれほど燃えるのか、営利優先で安全対策は二の次、車両も部品も検査も手抜きだらけなのでしょう。
燃えた車両の窓の上に「景芝・景陽春」の文字が見えますが、これは山東銘酒(高粱酒・白酒)の広告です。
http://www.recordchina.co.jp/b562604-s0-c30.html
 列車は山東省青島から浙江省杭州へ向かう途中の定遠駅で出火。定遠といえば清国北洋艦隊の旗艦として日本へ示威訪問中に水兵が暴れた長崎事件があります。
その後の日清戦争では日本が返り討ちにしましたが、安徽省定遠県は李克強首相の出身地、定遠駅は中国鉄道部部長だった劉志軍が李克強へのゴマすりで作ったのだとか。2月16日の春節を前に中国の将来を暗示するような事故でした。
(PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)劉志軍(前鉄道部長)は2011年に汚職で逮捕、失脚し、死刑判決(その後、減刑され無期懲役)、たしかに胡錦涛政権下ですから、李克強と繋がったという見方も出来ますが、劉はそもそも江沢民派でしたし、鉄道利権は軍部がおさえていました(いまも軍の利権の巣窟です)。
 安徽省はまた胡錦涛の出身地でもあります。



  ♪
(読者の声3)恒例「とびっきりの講演会」のお知らせです
とき    2月26日(月)PM6:00
ところ    神奈川県民サポートセンター3F 304号会議室
(JR横浜駅西口徒歩3分ヨドバシカメラ裏手)
演題    「2020年問題とわが国の三大危機」
講師    衆議院議員・元国務大臣 村上誠一郎
定員    先着90名(要予約)
問い合わせ先 045−263−0055



   ♪
(読者の声4)先日の拙文では日本の再興のためにヘーゲルの復権の必要性を説きましたが、中途半端なまま終わってしまい、肝心なところが説けていませんでしたので、その補足をさせてください。
 まず、ヘーゲルの国家論に関する文章を見てください。
「国家が市民社会と混同されて、国家の規定が所有および人格的自由の保全と保護にあるとされるならば、個人そのものの利害が諸個人を統合させられる究極目的となり、これによりまた、国家の成員であることは任意のことがらとなる。」(「法の哲学」より)
 これはまさに今の世界の国家観の常識に他なりません。
だから、簡単に国を捨て移民になる人が後を絶たないのです。また、ヘーゲルは国家は民族国家であるべきだと言っていますが、欧米列強の植民地支配は、まさにその民族国家をぶち壊すように、他民族を移住させていがみ合わせるように仕向けたことは、国家のまともな発展を阻害する犯罪的な所業といえるものです。では、ヘーゲルはまともな国家像をどのように描いていたでしょうか?
 「しかし国家は個人に対して全く別の関係をもつ。国家は客観的精神であるがゆえに、個人自身は、ただ国家の一員であるときにのみ、客観性・真理・人倫をもつ。諸個人の統合そのものが国家の真なる内容および目的であって、個人の規定は、普遍的生活を営むことである。個人のその他の特殊的満足、活動、ふるまい方は、この実体的なもの、普遍妥当するものをその出発点とするとともに成果とする。――理性的であることは、これを抽象的に見れば、一般に普遍性と個別性との浸透し合う統一のうちにあり、これを具体的に見れば、内容の点では、客観的自由すなわち普遍的実体的意志と、個人的知識としてのまた特殊的目的を求める個人意志としての主観的自由との統一のうちにあり、――したがって、形式の点では、思惟された、すなわち、普遍的な法的に永遠にして必然的な存在である。」(「法の哲学」より)

 ここには何が説かれているかと言いますと、国家は国民の下僕ではなく、むしろ普遍的真理の国家の理念の高みに、国民の側が、誇りをもって自らの主体的・主観的自由意志との統一を図るべく、よじ登ってくることを要求するものだ、ということが書かれています。そして、
その国家の理念について、ヘーゲルは次のように書いています。

「国家の理念は
(a)直接的現実性をもち、そして自己が自己に関係する有機的組織、すなわち国内体制(憲法)あるいは、国内法としての個別的国家である。
(b)国家の理念は、個々の国家の他の国家への関係に移行する――国際法
(c)国家の理念は類としての普遍的理念であり、また個別的国家に対する絶対的権力である。すなわち、世界史の過程においてみずからに現実性を与える精神である。」(「法の哲学」より)

 つまり、国家の理念は、全世界の絶対的本質としての普遍的理念として現在の世界情勢において現実性を与えるものとして設定し、それを憲法としなければならない、ということです。
 このヘーゲルの学問的国家論を読みますと、日本の左翼が呪文のように唱えている「憲法は国家権力が民を圧迫しないように縛るものだ」という愚論が、如何にまともな憲法論からかけ離れたものであるかがよく分かります。
 そのマルクス主義者が、このヘーゲルの「法の哲学」を評価しない大きな理由として、ヘーゲルが国家のあらまほしき形態として立憲君主制を説いているからです。その批判を見てみますと、
「君主の世襲制の正当化の問題、君主が結びつく家族は、実際は長子相続制という自然的規定を君主権と共有している土地貴族であることなど、ヘーゲルの国家論はマルクスをはじめとしてその問題点が指摘されてきている。」(ブログ「プロメテウス」より)
 しかし、この批判は頭から立憲君主制はだめと決めつけての批判であって、ヘーゲルの主張を真面目に読んでのものではありません。もっとも読んでも理解不能であることは火を見るより明らかですが・・・・。ではそのヘーゲルの主張を見てみましょう。
 「絶対的概念から存在へという同じ転換がある。この転換は近代における概念の深みをなしたものであるが、しかし最近では理解し難いものといいふらされている――それでは、概念と定在との統一のみが真理なのであるのだから、真理の認識が断念されたことになる。悟性の意識は、この統一を自己のうちにもたず、真理の両契機の分離のもとにとどまっているが、それゆえにむしろ、この対象において概念と定在との統一への信仰を暗に認めているはずなのである。しかし、君主の表象は通常の意識にまったく親しいものとみなされるから、ここでは悟性はますますその分離にとどまり、またその分離に由来する自分の理屈っぽい才智の結論にとどまって、国家における最終決定という契機が即自的かつ対自的に(すなわち理性概念において)直接的な自然的性格と結合していることを否定する。ここからさしあたり、この結合の偶然性が導き出され、そして両契機の絶対的差異が理性的なものとして主張されることによって、さらにこの結合の非理性的性格が導き出される。したがって、この結論には、国家の理念を破壊する別の帰結が結びつくことになる。」

 これは現在の世界の国家の現状を見通していたような鋭い洞察です。
ここにどういうことが書かれているかと云えば、君主は国家理念の実体化したものとして一体であれねば国家はその高みを維持できないが、国家理念は国家理念、君主は君主と形而上学的に切り離してしまうと、国家理念が破壊されて国家が堕落する、ということが述べられています。
昨今の世界は天皇や国王が人間化して親しみやすくなった結果として、国家が堕落して民主主義によってそれがさらに一層促進されて国家が国民の下僕へと成り下がっている現実があります。
 戦前の日本人が、なぜ世界に尊敬されたのかは、まさにヘーゲルのいうところの君主制のもとに、誇り高い国民であり続けたからに他なりません。
   (天寿堂整復院 稲村正治) 



   ♪
(読者の声5)アジア自由民主連帯協議会(ペマ・ギャルポ代表)からのお知らせです。
 「2018新春シンポジウム「アジアの現状と民主化への展望」の詳細です。
http://freeasia2011.org/japan/archives/5359
    (三浦生)
 □▽○ □▽◇ ○○○ △○□
✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯✯


    カントだヘーゲルだとドイツ観念論には与しない。と思っていたらマルクス病に感染してしまったよ。

    言葉遊びに終始して解説がないとチンプンカンプン。自分が馬鹿になった気にさせるから嫌いだよ。観念論は。

    きっと戦後処理もナチスに罪を全部おっ被せる為にあーだこーだと観念論を展開したんだろな。

    人参おくれよーと馬のギリシャが時々拗ねる様は難だろね。

    働く事の嫌いなギリシャがドイツに噛み付いてると思っていたら、其のドイツが技術低下の憂き目に有ってるとは。まだまだ窺い知れない「秘密」が欧州にはあるんだろうな。