ジンバブエは何やら静かにクーデターモドキが終了したようだ。
美味しいものを手に入れる為にはマトモな事も演ってたんだな、品地区も。
ムガベが去って、民主主義が・・とは行かないだろうな、と思う。一難去っても二難や三難?ヒョットして・・多難鴨知れないな。「蝗(イナゴ)」が密かに繁殖してるもんな。一気に孵化するのは何年後だろうか?
宮崎正弘メルマ
http://melma.com/backnumber_45206_6613121/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)11月23日(木曜日)弐
通巻第5519号
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ムガベ独裁は去ったが、新指導者は中国で訓練を受けた革命家
思わずホンネ。「ジンバブエと中国関係は以前より良くなるだろう」
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37年にわたってジンバブエ(旧南ローデシア)を支配したムガベ大統領は93歳。その老衰ぶりは激しく、ようやく辞任を表明した。
軍事クーデターもどきで自宅にムガベを監禁したムナンガグワ(前第一副大統領)らは穏健に辞任を迫り、ようやくムガベが承諾するや、ハラレ市民はどっと街に飛び出し、興奮して踊り出した。
いかにムガベが嫌われていたか、在ジンバブエの中国人も喜んだというのである。ちなみにジンバブエに駐在する中国人はおよそ一万人(日本人は75名)。
かねてから小誌が指摘したように、クーデターの直前にムナンガグワは密かに訪中し、中国軍事委員会幹部の常万全・国防部長らの「内諾」を得たことが分かっている。最大の援助国である中国に最初に打診してからの行動だったのである。
中国がジンバブエに食い込んでいることは膨大な経済支援が物語っている。
まずジンバブエ国防大学は中国が支援して創設され、幹部教育には中国から人民解放軍の教師らが派遣された。
火力発電の増設に中国は12億ドルを低利で融資した。650名の国会議事堂の新設も、中国が1億4000万ドルを投じた。
ジンバブエ大学には500万ドルを無利子で貸し付け、スーパーコンピュータの学生を育成し、ハラレ近郊の病院建設にも1億ドルを低利融資。まさに大盤振る舞い、それもこれも中国が狙うのはダイヤモンド、プラチナ、金、クローム鉱山である。
これらは西側企業が運営してきたが、ムガベが国有化を宣言し、西側企業を追い出して空白となっていた。
また農園をもつ白人を追い出したため、南ローデシア時代は「穀物の宝庫」をいわれた農業がノウハウを失い、農作物輸出どころではなくなって経済は悪化した。
ムガベと独立戦争を戦った同士がムナンガグワであり、かれが突如解任された裏には「グッチ・グレース」というムガベの後妻(40歳以上年が離れている)がいる。
グレース夫人は国民が飢えているのに贅沢三昧。しかも次期大統領をねらっていたため、ムガベに忠誠を誓った軍もさすがに離れた。
▼独裁男が去っても、ジンバブエで自由選挙は行われるのだろうか?
さてムナンガグワである。暫定政権をひきいることになるこの男は、中国で軍事訓練を受けた。独立後もたびたび中国訪問をしており、人民解放軍幹部と強い絆がある。そのためムガベ辞任を受けた中国は、「ジンバブエと中国関係は以前より良くなるだろう」と思わずホンネを漏らすのである。
ジンバブエが「希望の国」から「絶望の国」に陥没したのはムガベの圧政と徒らな鉱山国有化だった。
英国植民地だったジンバブエの鉱山は白人が経営していた。オックスフォド大学で学んだムガベは流暢な英語を操り、近代政治がわかる政治家と西側は最初、誤解した。
そのうえ、ムガベは自尊心がつよく、南アのマンデラがノーベル賞を貰ったのに、なぜ自分には貰えないかと不満で、マンデラの会見ではいつもそっぽを向いていた。狭量な精神が、かれの政治手腕を歪ませた。
少数民族の弾圧、とくに1983年から85年にかけて、一万から二万名の少数民族を虐殺したことでジンバブエは西側の制裁を受けた。
安保理事会においての国連決議に西側は全員が賛成したが、中国とロシアは反対にまわり、ジンバブエ制裁は国連決議としては通らなかった。
IMFは融資を断り、経済政策の失敗はジンバブエ通貨を史上かつてない地獄の暴落へと陥落させ、100兆ジンバブエ・ドルでもパン一つしか買えないという猛烈インフレを招来させてしまった。ちなみにジンバブエは1000兆ジンバブエ・ドルという新札を発行したこともあるが、誰も相手にせず、国民はドル、南ア・ランド、ユーロそして、中国人民元やインド・ルピーを好んだ。
世界ひろしと雖も、人民元を正式な法定通貨にくわえている国はジンバブエだけだろう。
国民のブーイングはスパイ機関を駆使して弾圧し、大統領選挙は不正投票。その背後にあってジンバブエの進出を決めた中国が、この独裁男を支援してきたのだ。
□◇▽み◎□◇◎や△□◇ざ□▽◎き◇□◎
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1661回】
――「即ち支那國は滅びても支那人は滅びぬ」――(佐藤8)
佐藤善治郎『南清紀行』(良明堂書店 明治44年)
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佐藤は国家と人民の関係につて筆を進める。
たしかに「支那は君主專制の國」ではあるが、だからといって「官吏は?制で人民は屈從の有樣かというに決して然らず」。それというのも「支那には元來階級はな」く、「誰でも天子になる事が出來る」からだ。加えて「人民は極めて干渉嫌ひの自由の民」であり、「國民性が不精であるから、規律は大に厭ふ」のである。かくて「上に政策あれば、下に対策あり」で形容される権力の干渉を躱す生き方を選ぶ。
つまり鼓腹撃壌式の生活が「支那人の理想」であり、「人民は他に類例なき自由(放任)を有し、政府は人民に干渉することが甚稀」ということになる。
じつは「支那人は個人上よりは、簡易生活をなして不羈獨立の氣象強く、概して勤勞なるなどは賞讃すべき點ではあるが、國家上よりは甚感心しない」。それというのも連続する易姓革命が「道?の根柢を屢破壞する」からだ。そこで「忠臣は恐らく氣の毒なる愚直者と考へらるであらう」し、「實に國家心の弱く、政府の事は人民には無關係の事と思つて居る」のである。
列強によって国土を蹂躙され「四境を剥ぎ取られて、滑稽的なる自負自尊心も稍醒めた様子で」あるにもかかわらず、「上下一致して國歩艱難の際を切り抜けやうとはせぬ」。そればかりか「却つて利權回収熱など生じて、妄りに列強の感情を害し、事情を紛糾せしむるばかりである」。どだい国庫に資金がないから、新たな国家的事業を起こそうとしたら、勢い「諸外國から借金するばかり」である。
国家社会の指導者たるべき人物であっても自分の利害打算によって動き、「毅然國家を負ふて立つ者は少ない」ばかり。そこで「屢書生論に動かさる」ことになる。つまり空理空論を重ねがちであるから、議論を重ねるほどに議論は精緻になるものの、如何せん実体が伴わないし、往々にして物事が前に進まない。とにもかくにも自己の利害打算のためには「憚ることのない國民である」。
いよいよ『南清紀行』も最終章となり、佐藤は「日本人の勢力」を論じている。
「支那に於ける列強の勢力を見んに」、北方は「露國の勢力が瀰漫している」。「南滿洲は日本の」、「山東省附近は獨逸の」、「長江は英國の」、「安南に近き廣東廣西地方は佛國の」、それぞれの「勢力地である」。
「本邦の成功せる居留地は、上海、天津、漢口」の3都市であり、このうちの2つは「支那の寶庫たる揚子江の谷」に位置する。じつは揚子江一帯は「英國の勢力地ではあるが、近頃は獨逸が能く住民の嗜好を研究して物産を賣り込んで居る」し、「その力は侮ることは出來ぬ」。やはり日本にとってドイツは要注意・・・これまでも、そしてこれからも。
上海には17カ国が領事館を置いて「商業を競爭して居る有樣であるから」、やはり「後進者たる日本は、運命を開くには大に覺悟せねばならぬ」。距離的にも近い我が国からは、日清日露戦争を経て「國家の發展するに連れて續々と支那に入り込む」ことから長江沿岸においては「日本居留民は歐米諸國の居留民の總數と相頡頏して居」て、たとえば上海の我が居留民の数は日清戦争終了時の1895年には250人であったのが、日露戦争が終わった1904年には2100人と10年で9倍ほど。それが佐藤が旅行した明治43(1910年)には8000人に急増している。これに対し数では劣るものの、「歐米人の經營は六七十年來の經營である」。
数で圧倒するが、「日本は大いに優勢なるかといふに、惜しいかなしか言ふことは出來ぬ」。
「決して人種が劣等であるのではない。財力と計畫との基礎が乏しいからである」。
▽□◎ひ▽□◎い□▽◎ず□◇◎み▽□◎
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)日本ウイグル協会学習会のお知らせ
この11月、世界ウイグル会議がドイツで開催されました。その報告、および、現在のウイグル情勢並びに今後の運動の在り方について学習会を開催します。
講師は、当会会長で、世界ウイグル会議のアジア・太平洋全権代表に就任したイリハム・マハムティです。皆様方のご参加をよろしくお願いします。
記
日時 12月4日(月)午後6時開場 6時半開会
場所 ウイグルレストラン レイハン
http://reyhan.co.jp/restaurant/
東京都豊島区駒込4−2−33(地図google)
講師 イリハム・マハムティ(アジア・太平洋全権代表)
演題 世界ウイグル会議報告、並びに今後のウイグル運動について
参加費 1000円
連絡先 イリハム・マハムティ 080−3248−3463
http://uyghur-j.org/japan/2017/11/20171204_jua/
(三浦小太郎)
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憂国忌(第四十七回三島由紀夫氏追悼会)のご案内
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とき 平成29年11月25日(土曜) 午後二時
ところ 星陵会館大ホール(千代田区永田町)
http://www.seiryokai.org/kaikan/map.html
資料代 2000円(学生千円)
どなたでも予約なしで御参加いただけます。
<プログラム> 総合司会 佐波優子
1400 開会の辞 富岡幸一郎(鎌倉文学館長)
1405 奉納演奏 薩摩琵琶「城山」(島津義秀=加治木島津家13代当主)
1430 シンポジウム「西郷隆盛と三島由紀夫」
(パネラー。五十音順、敬称略)
桶谷秀昭(文藝評論家)
新保祐司(文藝評論家、都留文科大学教授)
松本 徹(文藝評論家、三島文学館前館長)
渡邊利夫(拓殖大学前総長、学事顧問)
水島 総(司会兼 日本文化チャンネル桜代表)
1615 追悼挨拶 女優 村松英子
1625 閉会の辞 玉川博己 事務局からお知らせ
1630「海ゆかば」全員で合唱
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今日の「知道中国」
現代も百年前も海外からの借金乃至は投資(一種の借金だはな)に頼らないと何もできない支那畜人、って事だな。
自らの手で稼ぎだした富は個人の懐の中。國という概念を持たない大多数の人民という名の奴隷(かなぁ?)たちには俺たちゃ関係ないってか。
百年前の支那大陸は三億〜五億人位か?その内どれ程読み書き出来たろうか?大多数の文盲と1%居たかどうかの知識人(漢文の意味が分ってるかは疑問だがな)。
そりゃイナゴの出生地の言葉を喋り、行動は出生地とその遺伝子からなる行動規範(規範じゃない鴨≒本能の命ずるママ)の未開の土人は只、只管に生命保存の原理を遂行しただけだろう。諂いも媚も命の保存だけの為。原始的で良いじゃないか。
虚飾の無い姿は現代支那畜人よりマシかも知れないな。そんな所に文明人達は寄りつけないだろうに。百年前と今では見方も変わるさ。踏み込み過ぎ、肩入れし過ぎた結果が齎したものは何だったのか。マダマダ充分には反省し切れてないんじゃなかろうか?