宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<こんどは西アフリカのトーゴで反政府暴動。死傷者多数 (201 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    最新の遺伝子研究の成果は我々大和民族の祖≒縄文人のDNAは新生人類から最初期に分岐しているのが分かってきたようだ。Y染色体(男系男子に受継がれる)ハプログループのD2はA、B、Cより後だが、欧州人達よりずっと早くに分岐しているのが分かって来た。

    縄文遺跡・弥生遺跡の何れを掘っても戦闘の痕跡が出て来ない。人類とは戦わないのが自然だったのではと思わざるを

得ないと僕は思い始めて来た。

    日本列島という隔絶されて来た日本人の祖先はこの地で熟成された文明を築いてきたのだ。

     ユーラシア大陸の東端のその先の列島で大陸とはまるで無関係な文明を築いてきたのだ。そう思いませんか?    だからこそ、昨今の日本ブームが密かに起こっていると思いませんか?    異文化ではなく、異文明なのです。日本という民族と国なのです。

    他からの刺激を受け、列島内で熟成しながら取捨選択。民族が伝える穏やかなものを採り入れながら、現在の日本が現出したのだと思いませんか?

     グローバルがスタンダードなんて残虐の歴史ではないか。今こそジャパンスタンダードを主張すべき時だと僕は思います。平和を追求してきた大和民族の末裔たる日本こそ、平和を主導すべきではありませんか?    そんな風に考える今日この頃。

    支那畜とは共に天を抱ける筈もなし。それが今、ハッキリ判明したと思いませんか?    大陸のY染色体ハプログループはO(オー)。どれだけ後から分岐してきた人類なんだと思いませんか?     だからこそ残虐な民族の集合体なのです。



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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)10月20日(金曜日)弐
        通巻第5489号  
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 こんどは西アフリカのトーゴで反政府暴動。死傷者多数
   気がつけば中国がトーゴにも、大々的に進出していた
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 ギニア湾に面し縦に長く内陸部の砂漠へ突きだしたかたちの国。西がベナン、北はブルキナファソ、東隣はガーナ。これらは大航海時代にポルトガル、その後ドイツも介入し、フランスと英国が資源を奪い合って国境を細かく別けたアフリカ西海岸の国々の歴史的経緯から誕生した。
トーゴはフランス語圏である。

 トーゴは共和制を敷くが、政治安定には程遠く、クーデターが繰り返され、反政府暴動も、この国の名物だ。
特産品はカカオ、珈琲、綿花とリン鉱石くらい。最貧国の一つで旧宗主国フランスが援助してはいるが、少額であり、経済支援の二位は、なんと日本である。

 10月に入って首都ロメは反政府団体、政党の抗議デモが連続し、18日には警官隊と衝突、多数の死傷者がでた。アムネスティは、死者が少なくとも13名、負傷者は無数と言っているが、現地からの情報は錯綜している。

 トーゴを治めているのはニャンシベ大統領一族で、独裁色が強いと不評である。これまでは西アフリカにあって地域紛争の仲裁役として外交手腕が評価されてきたこともあったが、権力に座る時間が長くなれば腐敗が蔓延るのは世の常である。

 中国はここにも目を付けた。2000年頃から中国のミッションがたびたびロメを訪問し、近年は中国人民解放軍の幹部が数回にわたって訪問している。そのうえ2016年五月には訪中したニャンシベ大統領が習近平と北京で会談している。

 中国がトーゴで展開しているのは40のプロジェクトで、道路補修からインフラ構築、ロメの中国大使館はたいそう立派な建物である。
 そして気がつけば、中国がトーゴの貿易相手国のトップとなっていた。

 こうした文脈から下記の新聞記事を読むと意外な含蓄を含んでいることが分かる(産経、10月20日)

 「ティラーソン米国務長官は18日、ワシントン市内で講演し、経済発展が著しい太平洋・インド洋地域の新興諸国に対しての中国によるインフラ投資に関し、『中国の融資を受ける国々の多くは膨大な債務を背負わされる』と指摘した。
 また、『インフラ整備事業には外国人労働者が送り込まれる事例が大半で、雇用創出に結びつかない。融資の仕組みも、些細なことで債務不履行に陥るようにできている』と批判。米国を中心に東アジアサミット参加国の間で、中国に対抗する形での代替の融資枠組みの構築に向けた協議がすすめられていることを明らかにした。
 ティラーソン氏は一方、中国が南シナ海で造成した人工島の軍事拠点化を進めていることについて、『国際的な法や規範に対する直接的な挑戦だ』と指摘し、『中国は法に基づく国際秩序をしばしば侵害している』と強く批判した」。

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1645回】         
――「支那の國はまだ夢を見て居る」(小林1)
  小林愛雄『支那印象記』(敬文堂 明治44年)

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 小林愛雄(明治14=1881年〜昭和20=1945年)は東京生まれの詩人・作詞家・翻訳家で、夏目漱石や佐佐木信綱は師匠筋に当る。東京帝国大学英文科卒業後、東西の音楽や歌劇の研究・保存・創作・演奏を目的に「楽苑会」を結成した。日本のオペラ界の草分け的存在であり、浅草オペラ全盛期にペラ・ゴロを熱狂させたエノケンの「ベアトリ姐ちゃん」、田谷力三の「恋はやさし野辺の花よ」を代表作とする。上田敏や蒲原有明などの系列に属する象徴詩、ブラウニングやロセッティなどの英詩の翻訳でも知られる。文部省教科書編纂委員のほか、常盤松高等女学校や早稲田実業で校長を歴任した。

  この経歴であればこそ、巻頭に森林太郎(鴎外)、服部宇之吉、佐佐木信綱の3人が「序」を寄せていることも肯けるところだ。

  森の「序」には、「西洋行脚の書物はだいぶ多いやうだが、支那行脚のそれは一向に現れない。何故だらう。支那には驚異がないのか、興味といふものに乏しいのか。いやたしかに支那は秘密の多い、奇談の多い、怪しい面白い國だ。そこを旅した人も多からうと思ふが、紀行文の出ないところを見ると、筆の人がたんと見物に行かなかつたであらう」。ところが「突然小林君が來て支那印象記といふものを發行する」という。はたして小林は「漢學者がするやうに、懷古の涙ばかり流して支那を見はしなかつた」。「そこにこの一巻の意義があるとおもふのである」と記されている。

  小林は、これまでの紀行文の書き手とは些か毛色が違い「懷古の涙ばかり流して」いるわけではない。加えて明治44年といえば辛亥革命が起り清朝が崩壊し、長かった中華封建帝国に終止符が打たれた1911年に当る。

 「『人の眠てゐる國』がある。/何億といふ人間が、何年も昔から高鼾をかいて眠てゐる國がある。その國には、何處まで探ぐつて行つても源泉が分らず、對岸さへもよく見へない大きな河がある。又その國には晴れた日にいくら望遠鏡で見ても山はおろか家も樹も見えない廣い野原がある」。世界の3大偉人の1人である孔子を生み、万里の長城を築き、数多の英雄・詩人を輩出したにもかかわらず、「今の人は何とも思はないで、うまい老酒や阿片の香にひたつて悠々と眠てゐる」と現状を記した後、「その國の傍にあまり大きくない島がある」と続ける。

「島の若者は、『人の眠てゐる國』から育てられたことを忘れ、近頃は遠い海を越した先の、『人の醒めてゐる國』を拝んで、模倣て、ひとりでえらくなつたやうに鼻をうごめかして居た」。ある日、「島の若者の一人がこの『人の眠てゐる國』へ旅をした。思ふには、『きつとガリヴ?ァが小人國へ行つたやうだらう』と」。

 だが豈はからんや、予想は大いに違っていた。「自分の島では近頃この『人の眠てゐる國』の聖人の書物がマツチのやうな小さな本になつて」いて、電車のなかでも読まれるようになっているが、「その本元の國では根本からもつと新しい思想が人間の頭に植えつけられてゐた」。一方、「島の人がしきりに苦しんでゐる東西文化の融和といふやうな事も、ぢきにやつてのけさうに見えてゐた」のである。

  かくて「島の若者の一人はどつちが大人だか、小人だかわからないやうに思ひながら歸つて來た」。だが、この旅行で若者は心に「大層得るところがあつた」。それというのも、「『人の眠てゐる國』の覺醒した暁を考へて、しばらく夜着をかけていたはり、やがて起き上つたら手をとつていつしよに歩かななればならないと思つた」からだ。

  「自序」の最後は「一九一一年晩秋南清革命軍の戰報を耳にしつつ」と結ばれる。
「島の若者の一人」は『人の眠てゐる國』の新しい時代を、どう捉えんとしたのか。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)何処が歴史の転換点だったのか? 小村・ハリマン問題か?
 外務省の外交史料館を調べてもこの間の資料が終戦時消失しているとかで調べが進みませんが、私にとって一番納得できるのは、朝河貫一・著「日本の禍機」(講談社学術文庫。著者は当時エール大学教授の歴史学者)にある、日本が日露戦前に建てた二大原則を戦後、自ら覆し欧米から「世を欺く偽善」と批判を受けることになった、という指摘です。
その二大原則とは、一つは清帝国の独立及び領土保全、もう一つは列国民の機会均等であった。しかし、戦後日本は朝鮮はともかくとしても満州を私物化し欧米の疑念の始まりとなった。
そしてこの列国民の疑惑はポーツマス条約交渉中に突如始まったように思えますが、残念ながら、この二大原則を守らなかった日本側の責任者が誰であるのかまでは解りません。
桂が小村の承認を条件に受けたハリマンの提案を小村が拒絶したのはポーツマスから帰国後です。
日露戦争が日本にとり如何に大変だったかはシフの借金を払い終えたのが1986年ということだけでも良く理解できる。
が、セオドア・ルーベルトが当時の日本を「のぼせた」と言う表現で観察していた冷徹な目線を記憶しておく必要があろう。
(杉並の噛みつき亀)



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(読者の声2)宮崎先生、このところ大活躍のご様子(「月刊宮崎」との異名をお持ちとか)、慶賀の至りです。
福島香織さんとの対談本、藤井厳喜さんとの対談本、また『西郷隆盛』と続き、先日、ようやく渡辺惣樹氏との対談本を拝読しました。
先生の該博な知識とは別に、渡辺氏の言うとおり、「現場を実際に訪れて土地の空気を知っている」だけに、非常に説得力がおありで、いつも知的刺激を頂戴しております。
西?の取材では宮崎県の各地もお回りになったのですね。小生は宮崎に住んでいても、延岡の北側も飫肥の小村寿太郎記念館も行ったことがありませんでしたので、刺戟を受けてこんどの連休に訪ねてみたくなりました。
  (YY生、宮崎県)

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    習近平の野望を貫くためにはガス抜きが必要に成りつつあります。何処へ戦争を仕掛けるのやら。南シナ海?北朝鮮?何れも可能性は有りそうだな。


    ジャパンスタンダードは日本独自の道があるのではないだろうか。正直・誠実・責任感そんなワードを世界に普及させるのが日本の役割では?