宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<首席補佐官ジョン・ケリーはホワイトハウスの秩序を回復できるか | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    トランプという人物はどんな人物?サッパリ解らん?

    又又軍人上がりが。主席補佐官って何するのだ?そもそも補佐官と名のつく職階多過ぎなんだよな。


宮崎正弘メルマ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)8月15日(火曜日)
        通巻第5392号  <前日発行>
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 首席補佐官ジョン・ケリーはホワイトハウスの秩序を回復できるか?

  マティス、マクマスター、ダンフォード統幕議長。そろって仲良し軍人

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 トランプ政権の主要閣僚ならびに主要なスタッフに軍人が揃った。それも四星将軍たちである。これほど優秀な軍人に囲まれた政権は珍しい。
 ジョン・ケリーはボストン生まれのアイリッシュ、カソリックで、海兵隊出身である。
アフガニスタン、イラク戦争に従軍し、しかも29歳の息子をアフガニスタンで失っている(もう一人の息子も海兵隊。娘はFBIに勤務)。

生粋の軍人とはいえ、大学も卒業しているという異色な経歴をもつ。軍の最後の経歴は南方軍司令官(カリブ海、中南米をカバーする)だった。

 退役し、さぁこれからは優退生活でのんびり出来ると考えていた。
 2016年11月、トランプが大統領に当選した。自宅でくつろぎ大学対抗のフットボールをテレビで観戦していたときに、電話があった。
フリーバス(当時、首席補佐官)からだった。「政権で新しい仕事がある」と言われ、カレン夫人に相談すると「まだあなたを必要としているというのなら引き受けなさいよ」と背中を押された。

 トランプと面会すると(そのときが初対面だった)、三十分も話していないうちに、「では国土安全局をお願いする」と言われた。それからトランプ大統領とは、数回、食事をともにする時間があり、持論であるアフガニスタンへの米軍増派を訴えた。アフガニスタンへの増派要請は、マクマスター安全保障担当補佐官も、マティス国防長官もともに進言している共通の課題である。
 しかも三人は親密な間柄で気心がしれた仲間でもある。
 
 その後、トランプ政権のホワイトハウスは混乱の極みに達した。フリンが解任され、スポークスマンが辞任し、新任の広報室長は十日で更迭され、そしてフリーバス首席補佐官その人も辞任した。

 どん底のホワイトハウスに秩序を回復することが、中東や北朝鮮問題よりも優先する喫緊事となって、じつは三回もケリーは口説かれ、その度に辞退してきたのだった。
 とくにバノン大統領上級顧問や、クシュナー・イバンカ夫妻とのコミュニケーションが円滑に行くのか、マクマスター安全保障担当補佐官はバノンを嫌っている状況で、と多くが懸念を強める。

 しかし、「これは新しい仕事ではない。これはあなたの義務だ」とトランプ大統領に言われ、ついに決断した。7月31日に正式に発表された。


 ▲軍人でありながらマサチューセッツ工科大学を卒業という異色の経歴

 マサチューセッツ工科大学に学び直し、海兵隊へ戻ったケリーを待っていたのは、議会とペンタゴンとの調整をする連邦議会駐在スタッフという仕事だった。つぎにゲーツ国防長官、パネッタ国防長官に仕えた。かれは45年間、軍隊生活を送り、赴任地は29回も替わった。
だが、歴代国防長官は議会との調整役をこなすケリーを絶賛した。議会有力者も、議会と海兵隊をつなぐ重要な任務をこなしたケリーを高く評価した。

 オバマ政権でグアンタナモ基地閉鎖に反対し、女性が戦闘員に配置されることにも反対した。ISISの跋扈に対してのコメントは「可能な限り多くの敵を殲滅することがわれわれの任務だ」と答えた。
 トランプの軍隊からトランスジェンダーを追放するという意見にも賛成とみられる。
 
 北朝鮮の脅威を目の前にしてホワイトハウスにはまだマルキスト、グローバリスト、バンカー、共和党保守派が巣くっている。このうちの何人かがバノンを嫌い、あるいはクシュナーを嫌い、機密をメディアの漏洩し、トランプ政権が混乱することを喜んでいるフシがある。

 このささくれだった状況を抜本的に改善し、機能を回復し、適確に即時に対応できる態勢づくりこそが軍という組織を適確に運営し指導した経験から、ケリーはトランプに見込まれたというわけだ。

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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 日本歴史上もっとも評価の低い足利幕府に焦点をあててみると
   通説の元凶は『太平記』。事実はまったく異なっていた

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亀田俊和『観応の擾乱』(中公新書)
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 そもそも「観応の擾乱」なるタイトルは、多くの読者に違和感を抱かせるだろう。というより未知の世界の出来事かと思う人もいるだろう。
 観応は北朝の元号であり、また擾乱は正確には戦乱ではないから、従来は「足利の内訌」とあっさり片付けられてきた。
 まさに政権の内訌と言えば、たしかに内訌だが、日本全土、奥州から北越、丹波、岩見、鞆、九州各地、そして近畿はもとより鎌倉で全国の武将が戦い、裏切り、降伏して、また裏切り、帰順するという繰り返しだったのだ。
 これはまさに新党、新進党、民主党、民進党と集散離合を繰り返す日本の政治の原型ですらある。
 近年の歴史研究はつぎつぎと発見される史料により、解釈が大幅に変更されたり、塗り替えられたり、従来の通説が覆ることも屡々。とくに信長研究が群を抜いて面白い。若手の研究者が排出してきた。
 それも第一級史料が多く、俗書や一方的な解釈書は退けられている。
 傾向としては近現代史を避けている気がしないでもないが、このたびの首題の本は『太平記』史観への疑問、挑戦、そして足利幕府=悪、とりわけ高師直への評価を覆した意味でも画期的である。
 就中、著者のスタンスが皇国史観と無縁なことは明瞭だが、水戸学の解釈をほとんどスルーしている。かと言って、マルクス主義とも無縁、戦後の左翼史観とは絶縁的であり、徹底的に客観的であると言える。
 他方、これまで悪魔のように言われた足利尊氏を冷静かつ冷徹に評価すれば、稀有の政治力を発揮した武将であり、通説では婆娑羅といわれた高師直、佐々木道誉のことを第一級史料に丁寧にあたれば、悪行などしれたていど、とどのつまり彼らへの不当な過小評価の原因は『太平記』史観に汚染されてきたことが分かる。
 鎌倉幕府の制度を踏襲した足利幕府が重点を置いたのは、裁判の公平であった。まつりごとの基本はどちらにも味方しないで裁く政治力にあり、さらには足利前期の政治をこれまでの歴史学は『二頭政治』(尊氏と直義)と認識してきたことに著者は疑問符をうち、真実により近いのは、「直義が事実上の最高権力者として指導する体制」だったことを実証している。
 結局、全国の武将は尊氏にくっついたり離れたり、また帰順し、裏切り、そして最後には尊氏についた。
 また南北朝にしても、南朝を繰り返し交渉して和を図ろうとして積極的だったのは足利尊氏であったという意外性、かたや南朝側の代表が北畠親房という頑固者、日本の南朝史観の元祖でもある。
 毀誉褒貶激しく、評価の低い足利幕府であるが、しかし、この政権、事後二百年の長期にわたって存続したのである。
 その理由は論功行賞、所領安堵、人事の妙にあったわけだが、最後に直義を尊氏が毒殺したという通説も本書では覆され、あれは『太平記』の創作としているあたりも斬新である。
 水戸歴史学に立脚する多くの読者からみても、本書への反撥はおそらくすくなく、ともかく徹底してドライなものの見方で足利初期を裁断しているポイントにおおいに留意するべきだろう。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1614】            
 ――「獨乙・・・將來・・・無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」(山川4)
  山川早水『巴蜀』(成文堂 明治42年)

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 四川への東の入口ともいえる某地で県役所を訪ねた折りの様を、「余は此度始めて支那衙門を見たり、(中略)先づ驚かされたるは、粉板に官吏の受くる俸給は爾等人民の膏血なる旨を墨書せる大匾額を正門上に掲げたること是なり、(中略)こは?代の習はしなるか、抑も又滿州政府か漢族を籠絡する手段なるか、兎に角此一事を見ても、官權の振はざるを卜するに足らむ」と。

  ここで考えるのだが、その「大匾額」は、いったい「滿州政府」の官吏に向けられた職務遂行上の注意なのか。それとも漢族の「爾等人民」に示すために記されたものなのか。前者なら、キミらの俸給は「人民の膏血」であることを断固として忘れるな。だから漢族の人民を大事に扱え、ということになるはずだ。だが後者、つまり「滿州政府か漢族を籠絡する手段」だったとしたら、「爾等人民」にとっては好いツラの皮だ。「膏血」は絞り取られるばかりだったに違いない。

  そういえば今から5年前の2012年春、雲南省西南部の要衝に位置する芒市人民政府(日本風に表現するなら芒市市役所)の入口の壁に「国家工作人員十条禁令」が大きく書かれていたことを思い出した。「一、本来の職務を遂行せず、職務を疎かにすることは厳禁。二、ウソで固め、上司を騙し部下を誑かし、業務を執行せず、引き伸ばすことは厳禁。三、物資購入の際に横流し、公共工事入札の際に手心を加えることは厳禁。四、職務権限をタテに相手業者に金銭、食事を強要することは厳禁。五、賭博に加わることは厳禁。六、公共の場での麻雀は厳禁。七、飲酒でイザコザを起こし、業務に支障をきたすことは厳禁。八、勤務時間中に本来業務を怠ることは厳禁。九、公金を高額遊興費に流用することを厳禁。十、如何なる理由があれ薬物の使用を厳禁」の10項目だ。だが、「立小便厳禁」の注意書きを考えれば判るように、この10項目が特に厳禁とせざるをえないほどに横行しているということの証明になるはずだ。
 20世紀初頭の四川省の県役所で山川が目にした「大匾額」に記された「官吏の受くる俸給は爾等人民の膏血」との一文と、それから100年ほどが過ぎた雲南省芒市人民政府の壁に貼られた「国家工作人員十条禁令」は五十歩百歩。人民共和国が聞いて呆れるが、なにはともあれ毎度お馴染みの林語堂が綴る“鉄則”を思い出さずにはいられない。つまり「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」(『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999年)ということ落ち着くわけだ。

 まったく、腐れ切った根性である。だが、それが中国における官吏の伝統的生態というものだろう。懲りないというべきか。いや頭が下がるほどの“一貫不惑”ぶりに呆れ果てしかない。

 激浪を遡り、奇岩を越え、山川は四川入りを果たす。
 
「四川省は、支那帝國中、其西南部に位し、北、青海、甘肅、陝西に接し、東、湖南及ひ湖北に接し、南、貴州、雲南に接し、西、西蔵に接す、(中略)蓋し十八省中第一の大省なり、氣候中和、地味膏腴、加ふるに巨水省中に普く、禾穀豐足、地下の産するところ、亦た大いに富み、古來號して天府を曰ふ。(周囲を急峻な山々に囲まれ)實に天下の絶險と稱す、之を外にしては攻むるに難く、之を内にしては守るに易し。(中略)今の英獨佛諸強、亦た復た朶頤措かざる、吾實に其由る所を知るなり」と、四川の概要を記した後、「獨」の積極姿勢を軸にした「英獨佛諸強」の動き、それに対する日本の振る舞いを綴る。
《QED》

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 ▼読者の声 ▼どくしゃのこえ ■READERS‘ OPINIONS ●読者之声
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(読者の声1)貴誌に数日前、書評のあったシーボルトについてです。
「NIPPON」を執筆したシーボルトは、シーボルト事件を起こし国外追放の憂き目に遭ったものの、日本を心から愛し、日本人に西洋医学等を教え日本のために貢献したと多くの日本の文献、教科書等で紹介されています。
他方、日本への開港要求のため、植民地侵略に備えての情報収集のためプロイセン政府から送られたスパイ活動の側面に関する研究や議論は活発とは言えません。シーボルトが果たした歴史的意義を問うには功罪両面での研究が我が国の国益にも適うかと思います。
神聖ローマ帝国ヴュルツブルグ生まれのシーボルトは今でいうとドイツ人ですが、幕府にはオランダ人と偽って日本に入国し、日本人遊女を口説いて現地妻とし速やかに日本語や日本の慣習を習得しています。
併せて人脈づくりとして医者・博物学者との肩書で塾を開いて日本人エリートとの人脈を作り上げ、日本人協力者を数多獲得しています。幕府中枢への接触機会を伺い江戸参府随行を画策し、それを邪魔する出島のオランダ商館長に決闘を申し込んで強引に随行を承諾させる器量も持ち合わせています。
プロイセン政府等からシーボルトへの豊富な資金援助もあり、日本人の絵師(現代における写真班)や現地取材班、料理人、医師、通訳、馬子、駕籠担ぎ手を含めた数十名を連れての出島・江戸往復の143日の豪勢な大名行列的旅行を敢行しました。この江戸参府では、将軍徳川家斉への謁見のプロセスを通して、幕府との交渉を実体験し、京都御所と江戸幕府の二重構造について理解を深めます。
戦略的機密資料としては「伊能忠敬地図」、間宮林蔵の「樺太計測地図」をロシアの探検家が書いた「世界周航記」と交換条件で獲得します。加えて、江戸城内部の見取り図、武器・武具等や日本人の性格や特徴、金銀通貨価値の情報等を本国に送り届けることに成功しています。
ペリーは、シーボルトからのこれらの情報を購入、事前スタディし、無理難題と脅しに弱い幕府役人と心得た上で役人を手玉にとり、開港と不平等条約の締結に容易に成功します。
世界の常識から考えると上記のシーボルトの行動はまぎれもないスパイ行為です。
現在も外務省・防衛省を筆頭に政府の中枢、学界、法曹界、メディアなどでは、外国人スパイとの疑いもなく積極的に協力する日本人の多さにスパイ当人があきれる始末と仄聞します。
 なお、昨年7月より今年10月までの長期に渡りミュンヘン五大陸博物館所蔵のシーボルト・コレクションを紹介する「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」全国巡回展を実施中です。
シーボルトは、収集した武器・武具、仏像、美術工芸品、動植物標本から地図や絵図などごっそりヨーロッパに運んだので、宮崎さんが訪ねた長崎のシーボルト記念館にはこれといったコレクションはありません。
膨大なコレクションは、ミュンヘンの五大陸博物館に所蔵されているものの所蔵品台帳も無いに等しく雑然と置かれ全くと言ってよいほど整理されていないとのこと。
ドイツ人にとり、中国にくらべ日本への関心が薄いことが如実にわかる一件でもあります。
  (KU生 杉並)


(宮崎正弘のコメント)同展覧会は現在千葉県、九月に東京ですね。その後、名古屋、長崎を巡回するようです。
http://www.museum.or.jp/modules/jyunkai/index.php?page=article&storyid=311



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(読者の声2)日本人の目から見た「大東亜戦争」への道(アルドリック・ハマ)。論文と書評(杉原誠四郎)
 本論文は日本の第二次世界大戦直前の状況について、日本人は欧米人とは全く違った記憶を持っていると指摘して、そのあまりの違いを明らかにしようとしているものです。
 欧米人の教えられている公式のストーリーは、端的に言えば東京裁判で示された見解をほぼそのまま取り入れているものです。日本の「犯罪的で軍国主義的な一派」が東アジアと残りの全世界を「支配」するために「侵略戦争」を始めたという、言ってみれば荒唐無稽な見解です。
 日本人の中でも「政治的に正しい」見解を持つ人々は東京裁判の判決を受け入れていますが、多くの日本人が持っている考え方は今なお東京裁判で述べられた考え方とは著しい対照をなしていると著者は述べています。
 そして日本人のこの考え方を丹念に検証していけば、戦後の日本の行動に関して理解が深まるであろうという考えで著者は本論文を書いています。
本論文の英語原文は、The Journal of Social, Political and Economic Studies Volume 42, Number 1, Spring 2017 に掲載されたものです。
出版社の許可を得て、原文・日本語訳を「史実を世界に発信する会」のサイトに掲載したものです。
 本論文の書評を元城西大学教授杉原誠四郎氏にお書きいただきました。長文の本論文の前にお読みいただくと理解の助けにもなり、また参考になるかと思います。
 *書評:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/BuildupR.pdf
*論文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Buildup.pdf
英文版は海外4000のアドレスに発信しました。
(「史実を世界に発信する会」茂木弘道)
http://hassin.org



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(編集部から)前号書評の中村彰彦氏の『歴史の坂道』の文中、「保科正之の庶子」とある箇所の「の庶子」を削除します。保科正之が二代将軍秀忠の庶子です。
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    ドイツのメルケルが北へのシンパシーを表明したとか、しないとか。ドイツの長年の支那大陸への野望の一端が北への支持?


    EUの盟主として支那支配の権利?を握ったと思ってるのかな?