宮崎正弘の国際ニュース・早読み <ロシア、四半世紀ぶりにアフリカへ再進出を始めた (2017年0 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。



    ロシアがアフリカ大陸へ再進出かぁ。1960年代のアフリカは何が何やら無茶苦茶だった気がする。それの再現?なんて混沌と曖昧を再度持ち込むって事か?精神的に未発達のネイティブ・アフリカンに何をどうやろうと、心身の退化にしかなら無いだろうと、妄想爺は思う。

    こんな高みに身を置けるのは、日本文明のなせる技だろう。そう思いませんか?

    最近モーリタニアのタコ見掛けませんか?モロッコ産も出始めたな。

    モザンビークでは感慨施設の整備は捗ってるのかな?ブラジルでの経験を元に小麦の栽培は?

    マダガスカルでの社会改造は?竈を眼にしたのは、帯広の父のじっかだった。60年も前の話。五右衛門風呂を目にしたのも、体験したのも。煙が目に染みるは黒人グループの歌だったけど、ホントに目に染みた。竈がどれ程熱効率の高いものだったのかを21世紀の今日、実証しているのは日本の宝だろう!

    日本社会の風俗の歴史は常にその時代、時代で世界最高峰・最高品質のものだったのだ。誇ろう日本を!誇ろう日本文明を!



宮崎正弘メルマ
http://melma.com/backnumber_45206_6556621/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)7月15日(土曜日)
        通算第5356号  
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 ロシア、四半世紀ぶりにアフリカへ再進出を始めた

  まずはエジプトとモロッコに生産拠点。中国の迅速な進出に対抗へ

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 ロシアが嘗て甚大な影響力を及ぼしていたアフリカへ四半世紀ぶりに戻ってきた。
 東西冷戦時代、アフリカの幾つかの国はソ連の植民地のように統治され、反米を唱える武装ゲリラには武器が供与され、対抗した米国はアンゴラや中央アフリカ、コンゴなどで支援にたった。

 東西冷戦が終わると、ソ連が一斉に引き上げたため、開発は取り残され、余剰武器による部族支配、部族間の戦闘が続いた。

欧米は資源リッチのナイジェリア、アンゴラあたりにしか興味を抱かず、大手メジャーが鉱区開発を続けた。リビアとスーダンは原油生産で国の経済が成り立ち、次第にロシアに距離をおき、中国に近づく。

 ソ連瓦解後の空隙にするちと乗り込んできたのが中国だった。
 とりわけナイジェリア、アンゴラ、モザンビーク、ジンバブエ、スーダンに石油鉱区を確保し、資源鉱山、農地を買い占めた。

ジンバブエのムガベ独裁体制は中国の丸抱えとなった。その勢いは止まらず「アフリカの角」といわれるジブチに中国は初の海外軍事基地を建設している。さらにはマダガスカル、モーリシャスなど島嶼国家にも手を伸ばし、インド洋における真珠の首飾りの外環をつくる計画だ。

 ウガンダ、ナミビア、エリトリア コンゴ共和国では、なんと北朝鮮も進出している。粗悪品をつくり欧州へ輸出している。

 こうした状況下、ロシア通産省主催で7月13日からタンザニアにおいて「ロシア・アフリカ・フォーラム」が開催され、四半世紀ぶりにロシアがアフリカ大陸への本格復帰の姿勢を鮮明にした。

 まずはエジプトに「ロシア工業地区」を設営し、完成品を「エジプト製」として輸出する段取りといわれる。

すでにモロッコとモーリシャスにもロシア企業の拠点があり、工業区を狙っている。
ソ連が去った後、中国の他に進出したのはトルコ、インド、イスラエル、アラブ諸国だった。
しかし製造業より金融、流通、サービルの分野に主力がおかれたため、アフリカ諸国の経済はなかなか離陸しなかった過去がある。
 
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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 自由社から史伝シリーズが刊行
  第一弾は数奇の運命をたどった天下の名城「熊本城」

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中村彰彦『熊本城物語り』(自由社)
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 熊本城と言えば天下の名城。加藤清正が縄張りし、加藤家三代のあと細川十二代、そして明治九年の神風連の乱、明治十年の西南戦争の舞台となった。
 加藤家が入る前、肥後は南北に境界があり、堺商人の息子、小西行長や佐々成政が統治するも失敗した。天草ではキリシタン伴天連の反乱もあった。
 しかし時代の荒波に耐え、巨城は聳え立って、地震のあとも、再建が急がれている。
 ところで十年ほど前、評者(宮崎)は、この本の著者、中村彰彦氏と熊本城をのんびりと散策したことがある。佐川官兵衛の顕彰碑が阿蘇に建立され、その記念式典の帰りだったか、晴れた日だった。
 ふと城公園を歩いていると、神風連の首謀者、大田黒伴雄と加屋零堅の記念碑にめぐりあって記念写真を撮ったことを思い出した。
この二人が三島由紀夫『奔馬』のなかに物語のなかの物語として登場する。初版カバーは加屋の遺墨である。
本書にももちろん、神風連の詳細な経緯が活写されている。
 亡くなった直木賞作家の光岡明氏(当時は熊本文学館館長)と十数年前に熊本キャッスルホテルでお目にかかったことがあるが、氏もまた神風連の乱を書かれていて、「最後の宇気比の場面がどうしても書けない」と嘆いておられたことを思い出した(同小説は未刊行のままである)。
 加藤家は三代にして改易され、後を嗣いだ細川忠利はガラシャ姫の息子である。かれは水前寺公園を築園した。
 加藤の前の佐々成政は農民一揆を収められず秀吉から切腹を命じられたが、それ以前に富山をおさめ、柴田勝家と連盟して秀吉に刃向かい、豪雪の立山を超えて浜松の家康を訪ねた(さらさら越え)。その末裔が佐々敦行氏(初代内閣安全室長)であることは広く知られる。
 熊本は夏目漱石も舞台として作品を書いた。
会津のインテリだった秋月悌次郎は、その後(戊辰戦争後)、高い学識を買われて熊本に赴任し、そのときの同僚教授がラフカデオ・ハーンだった。
 などと個人的感想をのべていると、本書を紹介する紙幅がなくなってきたが、最後に熊本城攻防の西南戦争、激戦は田原坂。
 正確に言えば高瀬会戦である。
 中村氏は、この戦闘を以下のように綴った。
 「薩軍の四番大隊長桐野利秋、一番大隊長篠原国幹、六番・七番連合大隊長別府晋介、二番大隊長村田新八率いる兵力二千八百が右翼・中央・左翼に別れて高瀬を襲う三方合撃策がとられた」(中略)「白河争奪戦に際し、やはり薩軍が採用して勝ちを制したこの作戦は、いわばこの時代の必勝戦略であった」
 だから局地戦では薩摩側が一時的勝利を収めたが、「兵力の差と軍須(軍需品)の欠乏に」起因する退却を迫られた。ここで西郷隆盛は右腕だった篠原国幹を失った。
 「守勢にまわった薩軍と南進して熊本鎮台を救援したい官軍とが十七日間にわたり、熾烈な銃撃戦と抜刀斬り込みをおこなったのが有名な田原坂」であった。
 以後の西郷軍は人吉へ退却し、小林から宮崎、砂土原、高鍋で連敗し、延岡の和田峠の決戦に敗れ、西郷は可愛岳を越えて城山へ還った。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1599回】       
  ――「支那の官吏は賄賂を取る・・・金なくば訴訟するな」――(廣島1)
  廣島高等師範學校『滿韓修學旅行記念録』(非賣品 明治40年)

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 明治39(1906)年7月19日午後4時、「満韓地方に修學旅行」を行なう広島高等師範学校の生徒一同に「東京帝國大學、第一、第二高等學校、學習院、美術學校外國語學校、大阪高等商業學校、仝高等醫學校、仝師範、中學(約十校)等の學生」が合流した600余名が乗り組んだ小雛丸は、広島県宇品を出港する。

門司を経て、「沖の島正南を過ぐる頃、日本海の大勝を祝し兼ねて乘組員一同の健康を祝す爲めに」、船体を一回転させた後、全員が甲板に出て校長の音頭で「萬歳を三唱し又『君が代』を二回合唱」した。

  7月23日午前3時に「大連灣内に碇を卸ろ」した後、旅順、奉天、鉄嶺、遼陽を経て、安東、平壌、開城、京城、水原、大邱と朝鮮半島を南下し、8月15日に馬関上陸。「最大急行列車に接續して午後二時四十分己斐驛着」。ここで「一行の無事を祝して解散」となる。

 前後20日余に及んだ旅行において、生徒らは何を目にし、何を感じ、何を学んだのか。目の前の清国を、当時の若きエリートはどのように捉えたのか。先ずは「國語漢文班生徒記事」である。
 大連から有蓋貨車に乗り込み2時間ほどで旅順へ。

「沿道の山々塹壕。散兵壕など。戰時を忍ばしむ」。やがて激戦の203高地へ。「道すがら服の破れ。靴の切れ。彈の破片。骨の散在。坐ろに夏尚寒きを覺えたり。甚惜めとも詮なし。士官の説明を聞く。時に一陣の微風と共に鼻を衝いて至る。一種の臭氣。正しく死者の名殘、あゝ幾多の精靈。大君の御爲に。國家の爲に。吾等を安全ならしむる爲に此の山上に血を流し骨を碎いて果てにしか。あゝ卿等の魂を慰むるは實に吾等の任なるなり。心安かれ忠死の士卿等の建てし功は千古朽ちざるべし。卿等にたむくる一片の香はなくも一枝の花はなくも余には一滴の涙あり。血あり。希くは安く眠れ精靈!」

203高地が陥落したのは明治37(1904)年12月5日。僅かに1年半ほどしかたっていない。であればこそ「正しく死者の名殘」を感じただろうし、「廣瀬中佐が一片の肉塊を殘して消江たりし報國丸を始め福井丸其他十二三隻の閉塞船或は船躰を表はし或は檣頭を見はし港口に?はれり」と、戦跡を目にする。感慨も一入だったはずだ。

やがて奉天に向う。
 沿線の風景を「牧畜の業盛にして牛馬羊豕の群をなすもの多く遊牧せる土民は太古の民の如く自ら支那氣風を表はして餘蘊なし」と。また車中の有様を「晝間の暑さは車中を焦がし、惡臭紛々苦熱人をして釜中の思あらしむ」と綴った。

 奉天では「城外なる兵舎に宿」を取った。「宿舎矮陋狹隘にしてしかも不潔僅に雨露を凌ぐのみ。戰時将士の艱苦思ひ遣られたり」。街を見学するが、豪壮な建物も「頽敗に任せて修めず。處々に生ひ茂れる雜草あれども除くことを知らず。老大國の樣見るもあはれのことならぬなし」。やはり亡国の姿は、覆うべくもなかった。だが、商売は繁盛しているようだ。確かに「城内の市街不潔言語に絶す」るが、「往きかふ人馬絡繹として絶えず。肩摩轂擊の聲あり。人家櫛比し、熱閙沸くが如し。中には富商大賈軒を列ねて其の繁榮を競ふあり」と。

遼陽の街では「孔子以下の聖賢神位を祭れる」文廟を参詣したが、昔は豪壮絢爛であったはずが、「今は金碧?落して荒埃獨り堆し、香火煙立たずして老鳩梁に老いたり」。関帝廟は「空しく荒廢に委し、稚老の午睡所たるに過ぎず」。「關帝像の立てる檀上に、赤脛便腹を露出して、午睡を垂れる惰民あるのみ」。信仰心の欠片もなし。

  惰民もあれば「富商大賈軒を列ね」るもあり・・・いま若者は満州を目にした。
《QED》
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 ▼読者の声 ▼どくしゃのこえ ■READERS‘ OPINIONS ●読者之声
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(読者の声1)インテリジェンスは安全保障レベルの情報収集でありますが、戦前の日本では曲りなりに諜報、防諜、洗脳工作、謀略などありましたが大東亜戦争直前そして戦時中はこの情報収集は完全に後れをとったと云えます。そして現在この分野は専ら関係国依存となっています。
今回の講演は小谷先生です。事前申し込みください。
          記
とき    7月29日(土) 14:00〜17:00
ところ   たかつガーデン(大阪府教育会館)2F 「ガーベラ」会議室 
      TEL:06(6768)3911 〒543-0021 大阪市天王寺区東高津町7番1号 
) 地下鉄千日前線(又は谷町線)谷 町9丁目下車おyび(北東へ)5分
内容    1400―1530 講演 :日本大学危機管理学部 教授 小谷 賢  先生
                           テーマ: 「日本のインテリジェンスー過去及び現在」
      1530――1600  質疑応答      1610 懇親会
会費    4,500円程度(懇親会費を含む。講演のみは1,500 円。当日参加は+500円)ただし、学生は無料 
主催    弘志会(幹事 福井成範)  fukuima@tree.odn.ne.jp
      TEL090-3090-5452



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(読者の声2)劉暁波氏死去 貴方の天安門での勇姿は忘れない 
http://miura.trycomp.net/?p=4379
  (三浦生)



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(読者の声3)蓮舫氏は「生まれたときから日本人」と述べていたのが「日本国籍の取得は17歳」と変わり、「台湾籍は抜いている」が「確認したところ残っていた」と説明が変遷した。
 国会議員、さらに政党代表の場合、首相になる可能性もあり、首相になった場合は自衛隊の最高指揮官となる。そうした野党代表である国会議員にとって、国籍問題に疑念が残ることは極めて重大な問題であり、また「生まれながらの日本人」ではないということ自体が大きな問題であろう。
これは自明のことであり、議論の余地はないはずである。
 例えば、合衆国憲法(The Constitution of the United States)では、第2編(Article !)) 第1節(Section 1)第5項において、「出生により合衆国市民である者またはこの憲法成立の時に合衆国の市民である者でなければ、大統領の地位に就くことはできない;年齢35歳に達していない者および合衆国内に住所を有した期間が14年に達しない者は、大統領に就くことができない。( [5]  No Person except a natural born Citizen, or a Citizen of the United States, at the time of the Adoption of this Constitution, shall be eligible to the Office of President; neither shall any Person be eligible to that Office who shall not have attained to the Age of thirty five Years, and been fourteen Years a Resident within the United States.)」と定め、大統領の要件として「出生により合衆国市民である者」であることを求めている。
 蓮舫氏は、即時に民進党代表を辞すべきであり、その主張に一貫性がなく、その重要な経歴開示において虚偽があったということで、議員そのものも辞すべきであろう。
    (CAM)



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(読者の声4) ジェームズ・A・ライヤン退役海軍提督(元太平洋艦隊司令官。元国連米国軍事上級代表)が「力関係を代えて北朝鮮と対決する」と題する論文を『ワシントンタイムズ』(7月12日)に発表しています。
主旨は「韓国から米軍家族を退避させるのは本気度のシグナルを送る」ということである、ということです。 
貴重な論旨だと思いますので、如何に訳文を転載します。

「7月4日に北朝鮮はICBM (大陸間弾道ミサイル)に匹敵するミサイルを試射し、成功した。それは我々アメリカの地域の同盟諸国だけでなく、アラスカもまた爆撃する潜在力をもつ。
直近の試射に至るまで、トランプ大統領をふくむ過去5代の政権は北朝鮮の核兵器計画の手綱を締めるには中共政府に擦り寄ることが手助けになると信じて、残念なことだが同じ轍を踏んできた。
今や決してそうはならないとみんなが理解すべきだ。はっきりさせよう。
北朝鮮の核兵器開発計画は中国やロシアのためでなかったら存在しないであろうことだ。さらに、北朝鮮はイランの核の番外地の開発研究所であり、実験場なのだ。北朝鮮の核開発計画の手綱を締めるには中国に頼ろうというのは憂鬱な失敗だっただけでなく、深刻な戦略的な誤りだったのだ。
トランプ氏はオバマ政権時から居残るスタッフや他の「地下エージェント」に戦略上のアドバイスを聞くのを止めるべきだ。
我々が今や解らねばならないのは、中国の戦略目標のひとつには、韓国だけでなく、究極的には西太平洋全体におけるアメリカの影響力を、核武装した北朝鮮のルートを通じて衰退させることを含んでいる。
忘れるなかれ! 中国は第一列島線の全体にわたり覇権を追求しているのだ。そこには台湾が含まれる。そして最後には第二列島線を狙い、そこには我々アメリカの主力支援基地を置くグアムが含まれる。
 中国はそれらの明確な目標により、我々アメリカが強力な攻勢を仕掛けなければ朝鮮半島で勝利を手渡すことはないのだ。
先日の北朝鮮のミサイル発射は特に中国により提供された16輪式、路上移動式、かつ可搬式発射台を装備した車両によりテストされたという事実がトランプ氏の癇に障ったに違いない。
日本からの報道によれば、北朝鮮内には8台の中国提供の発射台がある。傷口に塩を塗り込むように、中国とロシアは北朝鮮が試射した同日に共同声明を発表し、アメリカが韓国との大規模演習をやめれば、北朝鮮の核と弾道ミサイルのテストを凍結(解体ではない)させるとの問題解決を提案している。

 ここには端的に言って均衡はない。
これらの防衛訓練は過去50年にわたり平和と安定を維持する鍵となるコマであった。何故我々はこれを変えなければならないのだ? 演習を終結させることは中国の長期的な目標であったし、それは北京も知ってのとおり、叶う見込みはないのだ。
さらに、ミサイル試射の当日に中国とロシアの両国が共同声明を発表した事実は、彼等が事前に告知を得ていたことをものがたる。
 7月6日に、韓国の新たに選出された左翼の文在寅大統領は、彼の政策をフォローアップする意味で、北朝鮮との対話を提案し、また北朝鮮の指導者金正恩に会う用意があると言明した。
さらに付言して、オリーブの枝を伸ばし(いわゆる、和解の意味で)、いっそうの経済協力と家族合流の再開を呼びかけた。
残念だが、文氏に得るものはない:悪事をはたらいた全体主義政権に報酬をやることはない。我々はこれまで何度も見てきたように、そのような融和的な演技は軟弱性を露出すると見られる。

7月7日付けのウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事によれば、トランプ政権は北朝鮮との危機を解決するために外交・経済上の制裁を課すまえにもっと時間をやる計画だとする。
しかし中国、ロシアおよびイランが経済制裁を無視する中で、北朝鮮が国連制裁を侵害し続けることはあっても、変わることはないだろう。
しかしながらポーランドのアンジェイ・ドゥーダ大統領とワルシャワでの会見の中で、トランプ大統領は、「かなり厳しい事」を考慮していると言明し、それは明らかに軍事行動を示唆した。
以前に大統領は、中国が問題解決に失敗したので、我々はそれを自分自身でやらねばならないとも言及した。
 過去数十年に我々が見てきたものは、強力な外交の成功を勝ち得た時は、軍事オプションが評価されたからだった。それは、『力をとおした平和』であって、ソビエト連邦に対抗した冷戦に打ち勝つ鍵であった。
 現今の環境下にあって、北朝鮮の危機をコントロールできる力関係に劇的な変化がなきままで、北朝鮮との外交的な議論や話し合いの可能性は、以前の六者会議のように、これまた失敗するだろう。
 
 我々のこれまでの『オプションはすべて検討されている』という宣言に実体をもたせるには均衡状態の朝鮮半島に劇的かつダイナミックな変化を導入しなければならない。
従って、我々はアメリカの軍人家族を韓国から退避させる計画を提案する。このことは韓国の現状下、『人質という武力』を除去するだけでなく、中国と北朝鮮に、我々の次の行動が何を計画しているか彼等の計算に驚愕を与えることになろう。それは、明らかに我々が軍事オプションの範囲を計画する自由を与えてくれる。
 アメリカの軍人家族、扶養関連のすべてを韓国から退避させるのに時間がかかる間、我々は西太平洋において大々的に部隊を強化すべきである。
これには2〜3の強襲艦グループや空軍の爆撃部隊と、24戦闘部隊に付随した支援隊を含む。我々はまた戦術核兵器を韓国に再導入するだけでなく、前線で展開する潜水艦に搭載することも計画する。
破壊計画は巡航ミサイル搭載の艦船を提供するためであり、これも軍事拡張の一環である。
 我々の同盟国との調整要因が全体計画の中に盛り込まれるべきである。
 その意味で台湾のための軍備拡張もまた計画されるべきだ。我々が不明瞭であってはならないメッセージとして送るべきことは、核武装した北朝鮮を容認しないことである。
同国の核計画は解体されるか、破壊されるべきである。
               (訳 インパクトジャパン)


(宮崎正弘のコメント)日本のメディアではお目にかかれないアメリカ軍人の意見です。しかもライヤン提督は、いまのハリー・ハリス太平洋艦隊司令官のポストにあった人で、はるかに先輩、ペンタゴンに意見する元高官です。
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    日清戦争一年後に修学旅行?遣るもんだな、日本!600名も。その参加した校名の・・・。飽きれるばかり。それだけ当時の若い知性たちは日本の新たな可能性、未来を思い致したのだろうか?燃える情熱は現在では計り知れないのは承知だけれど、、、。


    朝鮮半島と旧満州を駆け足で巡る旅もまた、興味惹かれるではないか。