宮崎正弘の国際ニュース・早読み <寧夏回族自治区も雲南省のイスラム地区も静かな恐怖心が拡が | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    シナのイスラム教徒。歴史の勉強になるなあ。2000年に渡るシナの歴史を振り返させてくれる。

    その歴史に現代になって手を突っ込んだのが支那共産党。さてさてどうなる事やら。


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成29年(2017)3月13日(月曜日)
        通算第5222号  
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 寧夏回族自治区も雲南省のイスラム地区も静かな恐怖心が拡がっている

「次は我々が弾圧されるのではないか」

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 寧夏回族自治区は「首都」が銀川。砂漠の真ん中、黄河がΩ(オメガ)のかたちに蛇行して、風が強い。市の中央にある博物館へいくと、滅びたとされる西夏文字の篆刻の復刻版を売っている。

 回族とはイスラム教徒になった中国人を意味し、およそ1000万人。

 中国全体のイスラム教徒は2300万人で多くは新彊ウィグル自治区、雲南省、青海省あたりに済んでいる。

 かれらは文革中に血の弾圧を受け、どのていどの犠牲が出たのか、明らかにはなっていない。しかし、回族の殆どは人種的には漢族なので、ウィグル人への差別とは比べものにならないほど緩やかである。

 「ヒジャブ・チャンネル」というイスラム教徒のネットの拠点があるが、穏やかな主張が多い。ところが「百度」など漢族のネットには、「イスラムは悪魔のカルト」などと書き込みが増えている。

 ネットでは漢族によるイスラムへの批判、憎しみが拡がり、その心理的反作用が各地でも露骨な差別や襲撃事件となってあらわれている。

 十年ほど前に、筆者は寧夏回族自治区の銀川に宿泊し、イスラム教の信者というドライバーを雇って付近をみて歩いたことがある。

「毎日五回、アラーの神に祈るのか」と聞くと、「このあたりじゃ、そんなことしないし、誰も『コルラン』を読んだことがない。なんとなくイスラムってところでしょ」という答えが返ってきた。

 中国共産党が自ら撒いた種とはいえ、新彊ウィグル自治区でのイスラム教徒への弾圧と差別は、信仰深き民をして地下運動へ潜らせ、また海外逃亡となって、反中国感情が渦巻く。

シリアを拠点とするISは「中国を血の川とせよ」と反乱とテロを呼びかけ、こうしたブーメラン現象がほかの地域のイスラム教徒へと飛び火した。


▼雲南省のイスラム教徒の村々でおきていること

毛色のかわったイスラム教徒自治区がある。雲南省の少数民族自治区である。

 目下、警戒が厳しくなったのは雲南省の辺疆、このあたりにもイスラム教徒がおり、モスクが建っている。

毎朝、ラウドスピーカーからコルランに基づくアラーの神の神聖な言葉が流れている。広場には文革で犠牲となった信徒の慰霊碑が建っている。中国語新聞によれば、このあたりでは学校でアラビア語教育もなされているという。

 当局は、この地区にウィグル人がはいりこむこと極度に警戒しているという。

地名は沙旬鎮のハーニー族と桑族が住む「紅河自治州」で住民はおよそ15000人。穏健派ムスリムと言われる。付近の山々から銅、亜鉛を生産するので、経済は並の地区とされる。

 しかしイスラム棒や女性のベレーは禁止され、ラマダンの実践も禁止されている。

 しかし富裕層のイスラム家庭でも子供達を史学へ通わせたり、サウジアラビアやパキスタンへの留学を許可せず、大学ではアラビア語の授業さえ禁止されているという。

 2014年に同省の省都・昆明の鉄道駅で31名が殺害されるテロ事件が発生したが、以後、ムスリムへの取り締まりが厳しく、治安対策が強化された。

イスラム教の信仰の場所がなくなった。ムスリム家族は監視され、警察がモスクへ突如立ち入るようにもなった。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
                                        
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1543回】                
    「彼等の體力は實に野生である、獸性である」  (高瀬3)
   高瀬敏?『北清見聞録』(金港堂書籍 明治37年)

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黄海を渡って山東省の要港である芝罘に上陸したのは3日後の8月31日。第一印象を「流石は開港場で、市店の稍大なるものもあり、往來も賑合ふてはゐれど、街路の不潔なる、一般人民の不潔なる、潔僻なるわれわれ日本人に取つては、如何にも不快の感に勝へない」と綴る。

  腹ごしらえをしようと「唯ある料理店に入つて午食を命じた」が、厨房の汚さに「先づ視感を惡くし」ただけでなく「異臭紛々として鼻感を惡しくした爲に、いとヾさへ油ッ濃い支那料理が、わが最初の味感に少なからぬ惡感をへた」
そこで口直しに果物を。粒の丸い外来種のブドウを目にする。これは葡萄酒用で、「獨逸人某氏芝罘の附近に葡萄酒静釀造所を設置して、既に釀造に着手してゐるという話である」。因みに三国干渉による遼東半島還付は明治28(1895)年だから、高瀬の芝罘上陸の7年前。ドイツの打つ手は早い。

 高瀬は「山東農民の樸嗇なる、愛すべくもまた憫むべき」と記し、その原因を「一つは人口の繁殖夥多にして、土地の生産之に伴はず、人民の生計困難なるにも依るであらう」と考えた。ここで芝罘港に目を転じ、至る所で目にする夥しい数の「乞食のやうな勞働者」に言及し、「不潔を物ともせず、汚穢を意とせず、最劣等の粗衣惡食に甘んじて、種々の労役に服したる」姿に驚き、次のように山東人の行動を説く。

 「されば遼東の野を開拓して多大の農産物を出し、營口の港をして今日の繁榮をなさしめたるも、山東より移住せる此の勤儉なる農民の力であるが、今や彼等はますます其歩を進めて、中部満洲より北方滿洲をかけて、次第に侵蝕し行くといふことである。露西亜が彼が如く速かに、滿洲鐵道を成就せしめたるも、また山東出稼の勞働者の力其の多きにをるといはねばならぬ」とし、満州における山東農村からの出稼ぎ労働者の働きに注目する。どうやら満州は満州人の満州ではなく、山東人の満州ということ。ならば当時の日本人が「満人」と呼んでいた多くが山東人だったわけであり、日本人は満州を誤解していたことになる

 じつは清朝が北京に都を定める前後から、満州族が長期にわたって見せてきた南方への遷住現象の帰結として、兵士はもちろん老若男女が先を争うかのように満州の地を離れ、万里の長城を越えて南下することになる。
満州では人口の空洞化現象が見られるようになり、当然のことながら農地が荒廃する。そこで清朝が父祖の地である満州への労働力導入を目指すわけだが、この動きとは裏腹に広大な空き地となった満州に新天地を求めた漢族は、農業殖民を軸にして続々と万里の長城を北に越えた。

だから、すでに満州は満州族の地ではなかったことになる。
おそらく当時の日本人が「満人」と呼んだ大多数は、満州族ではなく漢族、それも山東省出身者だったに違いない。

 「汚い町を出で」て船に戻って「暢気に働いてゐる苦力等」の「形相を一見した時」、高瀬は「實に驚かざるをえなかつた」。それというのも彼らが「顔面の垢に任せて?人の如くなるもの」だったからだ。

 高瀬は「衣服の汚れ破れて、塵埃を身に纏ふてゐるか、塵溜の中から顔や手足を出してゐるか、何とも分別し難きもの。裸體のもの。目の爛れたるもの。鼻の落ちたるもの。正に百鬼を白晝にみるが如き心地がした。蓋し思ふに彼等は殆ど動物と並行してゐる。否な寧ろ動物よりも以下ではかるまいか。少なくもその汚穢なる點においては確かに眞理である」と続けた後、「もし夫れ、此の動物的勤儉と動物的忍耐力とを以て世界を横行せば、何れの處の國民か之に及ぶものがあらう」とするが、「但し其の智力は暗愚、從つて其の擧動も極めて遲鈍」だとも記している。やはり「動物的勤儉と動物的忍耐力」なのか。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS!OPINIONS 読者之声
                                        
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(読者の声1)3月11日のインド議会選挙でモディ首相率いる与党が圧勝と伝えられています。日本のメディアは小さくしか報道していませんが、モディ勝利により、日本との関係はますます良くなりそうですが?
 とくにスズキはインドでのシェアが50%、近くトヨタも本格進出の様子です。
   (JI生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)モディ首相が率いる与党「人民党」が圧勝したのはニューデーのあるウタル・プラデッシュ洲(403議席のうち324獲得)とウタル・ラハント洲(70議席中57)。ところがパンジャブでは117議席のうち、僅か18議席で惨敗。
ゴアでも40議席のうち、10議席に留まり.マニプール州では60議席のうち21と明確に敗北しております。
首都圏では「モディの波、というよりモディの嵐だ」と評価の向きが多いのですが、ゴアのような自由都市で惨敗しているという地方の結果が気になります。




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(読者の声2)一昨日の譲位に関する投稿文に「私は『議論が混乱している・整理がつかない』原因は、そもそも 今上天皇はじめ国民が所謂「天皇制」なるモノを日本国憲法の枠の中(または下位)にあるとみなしている所にあるのでは」と書きました。そのあと再度3月6日産経新聞秦郁彦氏による「正論」を読み返してみました。すると本件には別の側面があることに気付きました。それは 前記投稿文の如く、もし天皇陛下が「もう誰が何と言っても天皇をやめる。何もしない」とおっしゃった場合、つまり天皇制がストップした場合、現行の日本国憲法は不可避的に廃棄または改憲せざるを得なくなる、と云う事です。これは今の国会や識者の議論から抜け落ちている重要なポイントだと思いました。なぜかというと・・・

 秦氏の正論の中にこんな文章があります。「退位の手順だが皇室典範の改正によるか、一代限りの特例法でしのぐのかだが、後者には次のような難点がある。第一は保守派がGHQ製とそしる日本国憲法なのに、第一条から8条までは天皇にあてるほど高い格式で遇している。・・」と。
つまり秦氏はこの憲法は天皇のご存在を「高い格式で遇する」ほど、前提条件とまでは言わずとも『重要視』していると認識しておられるのです。私も憲法全文を読みかえしてみましたところ、各所に天皇の国事行為が多く記され、それがなくば最終的には国の肝心な行為が形式的に整わない構造になっているのです。
これは天皇という文字を消去して現行憲法を読んでみれば誰でも文章にならないことがわかります。

つまりこのままで、仮にですが、日本という国に天皇というものが存在しない状況下では、今の憲法で『しのいでゆく』ことなどできないのです。
  私は一昨日、今日と種々申してきましたが、要するに、譲位と云う事を単に「おかわいそうだから」といったようなことだけで事を決めてしまうと、予期せぬ困難なことが起きてしまうと云う事です。最近読んだ新刊本「教養としての世界史の読み方」(PHP)の中でローマ史ご専門の著者の本村凌二東京大学名誉教授は、総括的にこんな印象的なことを書いておられます。「どんな国でも繁栄が続くと必ず退廃してしまう。そして興味深いことは、モラルが低下してゆくに従い、人々の心が優しくなっていく傾向がみられることです」と。
(SSA生)



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(読者の声3)「アジア自由民主連帯協議会」のお知らせです。第26回講演会のお知らせ「日本に世界史的使命は果たせるか?」講演者 西村幸祐副会長です。
 トランプ大統領の出現と、世界的な主権国家再興の潮流の中、未だに「戦後」の発想を脱しきれない日本マスコミの問題、そして現在の日本が国家として立ち上がり、アジアの民主化のために大きな役割を果たしうる可能性について、当会副会長でジャーナリストの西村幸祐氏が講演します。

日 時 4月22日(土)午後2時開場 2時半開会
場 所 TKPスター会議室飯田橋
     東京都千代田区飯田橋3-4-3エレガンス飯田橋2階
      http://www.kaigishitsu.jp/room_iidabashi.shtml
参加費 1000円(会員500円)
http://freeasia2011.org/japan/archives/5094
当日は予約の必要なく、どなたでもご参加いただけます。

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    今日の「知道中国」はシナの歴史を垣間見る。それに地理もかな?    動物以下の山東人?  そんな満人の巣を治安も含め一応「満州帝国」たらしめた日本の先人は凄くねえ!勤勉なること比較出来る民族のいない日本人の本領発揮だったんだろうな。改めて満州の歴史、学んでみませんか?


    読者の声欄。色々考えさせられる。僕は陛下のお言葉はあくまでも「徳仁 お前は何を考え  何を目指してるのだ」とのお叱りであったと。現在行われている議論は全く無意味な議論だと思っています。公務を避け続ける妻を制御出来ない徳仁親王には・・・