インドネシアとの関係 | ある女子大教授の つぶやき | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    イスラムには利息が無いと知ったのは何時だったかな?    そりゃ凄いと感動したっけ。ラマダンは富者が貧者に施しを与える行事なんてずっと思っていたのも単純だったと、最近考える様に・・。

    一神教が腐った宗教だと、21世紀に入って悟った。


ある女子大教授のつぶやき
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 1.「独立宣言 我らインドネシア人民はここにインドネシアの独立を宣言する。ジャカルタ、05年8月17日 インドネシア人民の名において スカルノ/ハッタ」1945年だが、この日付が05年、日本の皇紀2605年(=西暦1945年)の下二桁を表記したものだ。

2.インドネシアは16世紀以降、約300年にわたって、オランダに支配された。オランダ人は一切の教育・医療を与えず私有財産も認めなかった。集会、イスラムの信仰、運動広場も禁止した。知力体力をつけさせなかった。日本軍がくる前、公営プールには「犬とインドネシア人入るべからず」と。

3.1942年、日本軍が上陸しオランダ軍をたったの一週間で全面降伏させた。予言にあった「北から黄色い人がやってきて、白い人間を追い払う」は的中した。人々は予言の成就と狂喜し、日本軍は各地で紅白旗(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられた。

4.日本の占領統治は3年半にすぎなかったが日本の統治が民衆に与えた影響は予言以上のものだ。独立運動家スカルノやハッタは国名を「インドネシア共和国」とした。公用語をオランダ語からインドネシア語にし人々に誇りと自信を取り戻させた。阿羅健一著「ジャカルタ夜明け前 独立に賭けた人たち」

 5.350年間も植民地にされ怠慢のくせがついていた。オランダ時代のやり方は全て放棄し、仕事を終えて帰宅しても用事があると呼び出す。遅刻は絶対しないこと、日の出と共に働く。姉歯準平は細かく指導した。「日本人がここにいるのはあとわずかだ。これをしっかり頭に入れてほしい。」

6.日本軍は津々浦々に「隣組」や「警防団」などを組織し、学校を作り、校庭で日本軍は軍事教練も開始した。終戦後、英蘭軍が進駐してきた。ジャワ島中部では連合軍の侵攻を知ったインドネシア人が日本人を収容所に入れてしまった。恐怖に怯えた彼らは、収容所にいる日本兵を殺した。

7.当時、2千人の元日本兵が残り、彼らはインドネシア人と共に戦った。半数が死に、1949年、英蘭両軍に勝利し独立した。そして独立後のインドネシア政府によって、亡くなられた千人の日本人兵士は、インドネシア国営英雄墓地に埋葬され、その中の数名は独立名誉勲章を授与された。

8.インドネシアの中学用歴史教科書「日本の占領は後に大きな影響を及ぼした。第一に英蘭語が禁止された。日本軍政3年半にインドネシア語が培われた。第二に軍事教練を課し厳しい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に蘭人を追放し高い能力と責任など重要な仕事を任せた」。

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    女性蔑視の酷いのは、キリスト教もイスラム教も変わらなかった。まるで朝鮮族と一緒だな。ケガレを推奨するような宗教って何なのだ?    そんな連中の唱える男女平等って可怪しくないか?


    産めるものなら男性だって産んでやるぞ!性差の違いは男女で別れているのは何故だ?    日本の女性は狂ってないか?そんな事を考える様になってきたのは妄想爺。