「赤壁の戦い」やら「背水之陣」なんちゃら言うものは、当時の常識だったのか? シナ人はヤッパリ阿呆だ。「孫子の兵法」って当時の常識を並べ直しただけだったりして。(^^ゞ
頂門の一針メルマより
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標準語と軍隊規律
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大江洋三
1937年の南京事変が一昨年10月に「南京大虐殺」として世界記憶遺産に登録されて幻が現実になった。あの時はマサカと思った。
慰安婦問題と同様に、国内に同調し輸出する者がいたし、NHKや朝日・毎日も追随したからマサカと思った人は少ないだろう。
そこに風穴を開けたのが、アポホテル個室に置かれた読み物である。19日に、シナ政府(中共)の報道官が「歴史の歪曲」と非難していたから、ここは、手を変えてアポホテルの応援をしなければならない。
中共が、子供たちに公用語として簡体字を与えている。漢字は一字々々に意味をもつが、圧倒的な簡略化で漢字の意味そのものを失うから、子供達には外国語を学ぶ事と同じ意味になるだろう。
いつぞやのNHKの放映によると、簡体字にローマ字を振って子供たちに読みを教えているが、我々が漢字にカナを振って読みを知るのと訳が違う。なりふり構わず標準語を整備し教えている事が解る。
一方で、都市部ではスマホを操る若者も多いし、それにネットの書き込みも多いから一定の成果は出ているようだ。これらの現象はシナに1949年、久ぶりに中華人民共和国(中共)という「統一政府」ができた事と大いに関係がある。
それ以前は?
シナの歴史については、泰斗・岡田英弘名誉教授の弟子でもあり、女房殿でもある宮脇淳子女史から教わる事が多い。
漢字はシナ王朝の高級官僚の統治用語として存在したが、その他は多民族、多部族、多言語社会のままであった。読みを含めて、漢字文字が下々に普及した事は全くなかった。この点が、助詞を開発して文を構成した日本語漢字と大きく異なる。
19世紀半ばから20世紀半ばまでは、シナは騒乱期で統一政府はなかった。19世紀に入るや満州族の建てた清王朝が傾きだして、いつもの通り言葉の異なる幾つかの軍閥が台頭した。その中の一つに浙江省の蒋介石軍閥がある。
軍隊も、平時と戦闘時では「言葉の扱い」は全く異なる。
戦場における上官の命令は、ゴッド神の言葉の如く絶対である。少しでも疑う兵がいれば戦闘単位にならない。
これも標準語教育を受けた者を、軍事教練する事により得られる。あるいは入隊させた後で教練として標準語を鍛える場合もある。地方なまり言葉や文では命令にならないからだ。
従って、標準語を持つ軍隊と、持たない軍隊の性質は別物である。言い換えれば、共通の識字が有るか無しかである。
シナの歴史にしばしば起きることだが、農村部(文盲貧民)を食(餌〉で
釣れば、直ぐに大軍(群)ができる。
一例に明王朝を取り上げると、創始者・朱元璋は1368年に南京で皇帝に即位しているが、もとは貧農民盗賊の親分の一人であった。盗賊群は、ある意味の貧農救済組織で忽ち大群になる。
一方の蒋介石夫婦は浙江閥の大金持ちであったから、読み書きできない私兵をかき集める事ができた。彼は日本陸軍の将校を務めた事があるから、自分の命令言葉が下達しない事にイライラしたであろう。
この種の、標準語を持たない間に合わせ軍隊は、上官の個別の命令が届かないから、保身のため各個バラバラの動きをする。こういう軍隊では敵前逃亡を防ぐため、銃を構えた督戦隊が後ろに控える。
異民族など言葉の通じない兵を最前線におく場合、ユーラシア大陸では普遍的に起きる現象である。そのため、腰の引けた兵は後ろの味方と戦う事になる。こういう現実が南京でも起きている。
督戦隊を持つ軍隊の、もう一つの特徴は、略奪・強姦を兵の解放として黙認している事である。だから、日本軍の来る処に人々は集まった。
板垣征四郎麾下の南京派遣軍が、期限付きの無血開城を申しいれたにも拘わらず、南京城防衛司令官の唐生智は無応答であった。というより、派手に籠城主戦論をぶっている。因みに唐生智は湖南軍閥上がりである。
応答がなければ派遣軍は攻撃するまでで、察した唐生智は部下を置きざりにして単独で逃げだしている。
将がそうなら、兵は尚更そうであった。後に逃げれば督戦隊にやられし、武器をもったまま軍装を解いて民家に隠れた。
派遣軍もシナの常識は心得ていたから、入念な家宅捜査が行われた。そうしないと、安心して平定統治ができないからだ。軍装を解いて武器を隠していれば、派遣軍は「民間人なりすまし」と見做し引っ張りだした。
シナには靴を脱いで部屋に入る習慣がないから見つけるのは簡単である。戦場には敵か味方のどちらかしかいないから、当たり前だが恭順しない者は殺した。
今日でもアメリカの警察官は「止まれ」に逃げ出すと発砲する。平時ですらそうだから戦時では尚更である。占領統治にあたっては、自軍の安全確保のため闇を無くすることが最優先である。ここら辺りは、現行憲法下では戸惑う人も多いだろうが、戦時・平定戦の常識である。
また、「民間人成りすまし」はハーグ陸戦条約違反だから、派遣軍は徹底
的に掃討した。つまり、国際法における権利の行使をした。蒋介石国民党は中華民国を名乗って同条約に署名していたから遠慮はしなかった。
日本軍は権利に基づき「シナ兵」を捕虜あるいは殺したのであって、民間人を殺したわけではない。だから従って虐殺ではない。
略奪は、兵士個人の部分としてはあったであろうが、日本軍は現地物資を軍票(通貨)で買って調達したのであって略奪をした事はない。あれば、撤退焦土作戦をした蒋介石軍である。なにせ督戦隊を必要としたのだ。
既に、軍票は従って円は、かの地の物の交換価値(値段)を定めていた。通貨は発行元の信用がなければ流通しない。終戦後、かの地が物価高になっているのは日本軍が通貨統治していた証である。通貨統治のないと処で、インフレもデフレも起きるはずがないからだ。日本軍の憲兵隊と経理隊は良く機能したのだ。
ついでに、日本軍将兵に督戦隊の必要性は全く無かった事を加えよう。裏返して言えば、軍人勅諭をはじめ平素から日本兵は、共通の読み書きができたという事だ。
その後の、唐生智は反蒋介石の毛沢東政権下でも出世しているから、よく仕事のできる共産党(コミンテルン)の手先だったのだろう。そうでなければ、猜疑心の強い毛沢東が召し抱えるはずがない。
彼らにとって、市街戦で多くの民間人が死亡することが望ましかった。それが南京大虐殺の実態である。多数の「民間人犠牲者」を出す事は、革命の本質みたいなものだからだ。
言葉・文字から言えば、統一語たる標準語を持たなかった言質を信じて、持っていた派遣軍の記録を信じないのは、初めから政治目的があるという事になる。
それこそ、彼らのいう「歴史の歪曲」である。
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シナ大陸の言語は未だに「八大方言」なんだろな。
先頃、台湾人と婚姻した卓球の福原愛選手は、台湾人に言わせると、東北訛りがあるそうだ。つまり旧満州地区って事だ。幾ら統一したと言っても、漢字文化は統一は困難だという事。
その証拠は北京語だ広東語だと未だに彼らが拘る所を見れば聴けば、納得するのだ。広過ぎ人口多すぎで統一は無理だろう。
シナ崩壊後に分裂する予想はこんな所から、発想されるのだろうか。言葉が通じ合うことが、人間の幸福だろな。
聴き取りが出来ても話せない・発音できないのが実情では無いなかなと想像しているのだが。さてどうなることやら?