宮崎正弘の国際ニュース・早読み <さあ、暴れん坊マティス(国防長官)がやってくる [宮崎正 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 国務・国防の両長官の議会承認か。日本に取っては吉なのか凶なのか。日中開戦でも米軍は来ないだろうと僕は考えている。だからどっちでもいいやかな。

 半島撤退を進めるのが加速するのかしないのか、それが問題だろうな。


宮崎正弘メルマより
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成29年(2017)1月25日(水曜日)
       通算第5177号  
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 さあ、暴れん坊マティス(国防長官)がやってくる

  NATO、中東は後回し、極東重視。二月上旬、日本と韓国へ

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 トランプ新政権で閣僚人事が議会承認をうけたのは、やっと三名。
1月24日、上院委員会は、僅か1票という僅差で、ティラーソン国務長官指名を承認した。
すれすれの11 vs 10票。土壇場でロシア認識の誤解が解けたとジョン・マケインらが賛成にまわったからだ。ティラーソン国務長官は親ロシア派として知られる。

 閣僚でまっさきに承認されたのはマティス国防長官で、マッドドッグ(暴れん坊)の異名を取る彼はすでにペンタゴンに入り、指揮をとっている。オバマ前政権の世界戦略が根本的に見直される。
 「マティス国防長官は、二月上旬に日本と韓国を訪問する」と国防総省が発表した。

これは軍事同盟国であるNATO諸国やイスラエルを差し置いて、まず極東の軍事情勢が焦眉の急と、アメリカが判断しているからだ。

 日本は尖閣諸島を中国から執拗に狙われているが、韓国は親米政権が次の選挙で親北派に転覆する危険性が日々高まったうえ、中国が強烈な圧力をソウルにかけ、たとえば韓流ドラマ禁止、韓国人芸能人のコンサート中止など、次々と対韓圧力を強めている。

 米軍が提供するミサイル防衛システムのTHAAD潰しが狙いである。

 米国にとっては在韓米軍をかかえ、北朝鮮の核を目前にしながらも脱米国、脱西側そして反日活動に狂奔する朝鮮半島の南部を、いかに安定化させるか。

 トランプの極東軍事戦略の第一歩がマティス国防長官来日で、はじまる。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
                                        
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1521回】     
  「賭博思想ハ支那人ノ天性ナルカ如シ」(村木5)
   村木正憲『清韓紀行』(出版地・出版年不明 明治三十三年序)

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 「支那農民は露國より強」いわけを考えるに、やはり彼らが喰うために新しい生活圏を求めて故郷を後にし、山川草木を越えてヒタヒタヒタとどこまでも歩き続ける生命力にあるはずだ。現在でもそうだが、世界の各地に移り住んでチャイナタウンを築く。彼らの集中するチャイナタウン(小集中)が、世界各地に作られる(大分散)  小集中・大分散という“現象”があればこそ、「支那農民は露國より強」のである。

  モンゴルの大地に移り住む「支那農民」は草原の緑を引き?がして畑地とした。生きるためだ。だが、彼ら自らが生きんがための振る舞いこそ、その地で営まれてきた生活文化における“生態系”を破壊することになる。漢族の居住地域が広がるがままにモンゴルの草原から緑が失われ、緑が失われるがままに草原に生きる人々の営みが失われ、モンゴルの文化  《生き方》《生きる形》《生きる姿》  は崩壊に向かう。

モンゴル草原を虫食い状態に北進した彼らが、その北方に広がるロシアの大地に目を向けないわけはない。モンゴルのみならず、チベットでもウイグルでも、そして現在ではスペインでもイタリアでも・・・いや新潟でも池袋でも。

  現代中国における華僑・華人問題の第一人者でもある陳碧笙は『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社 1991年)に中国人の海外への移動の本質を、「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動が停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」と記している。以て銘記すべし。

閑話休題。南京を離れ、「日本人一名雜貨店を開き居る」蕪湖を経て漢口着は4月23日。25日の夕刻には長江上流の沙市に到着しているから、武漢三鎮で総称される武昌・漢口・漢陽での滞在は僅かに2日という短時日ながら、各国居留地・船舶・郵便・金融などを中心に村木の報告は詳細を極めている。よくぞここまで調査したかと驚くばかり。興味深い記述をいくつか記しておく。

  明治33年当時の漢口在住の日本人は71人(3月末日)。大阪商船、三井物産、東肥洋行が置かれ、「我赤城艦来泊す」。同地は日清戦争勝利後の馬関条約で日本に開港された。「居留地の邦人年々多きを加へ商業稍見るに足るものあらんとするの今日我政府たるもの常時(長江の)本流に二三隻の小軍艦を浮へ彼等をして安んっして其業に就かしむへきは當然のことなりと信す」。「幸に大蔵省主計局長たる學兄阪谷芳郎君も亦予の説と同ふ」し、大阪商船も同意見で「已に外務大臣に向て小軍艦派遣の必要を献議せりと聞く」。それゆえ「近き未来に於て日英両國軍艦交々艦旗を(長江の)本流に翻すを見るの日あるを疑はす」。

  因みにロシアを標的に、清国における日英両国の権益、朝鮮半島における日本の権益を相互に承認する日英同盟が結ばれたのは明治35(1902)年のこと。「近き未来に於て日英両國軍艦交々艦旗を(長江の)本流に翻すを見るの日あるを疑はす」は、当時の日本の官辺の雰囲気を十二分に伝えている。

 ここで居留地の情況に目を転じると、「英國居留地は其経営殆んと完全無缺とも評すへく露國佛國両居留地とも其経営略成り獨乙居留地は護岸工事大半落成し其他各般の施設着々其緒に就けり」というから、イギリスを先頭に、ロシア、フランス、ドイツの居留地経営は進んでいたようだ。
これに対し長江の最下流に位置し、「漢口商業の中心を距ること最も遠き我日本居留地」は、「半ば毀損せられたる石標の漸く其所在を示すのみにして何等経営せらるヽ所なし」といったところ。これでは宝の持ち腐れとだろうに。《QED》
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 シナ人の動きはイナゴの如し!生態系を破壊する。なる程なぁ、確かに。

 横浜の中華街に足を踏み入れたのは40年前。近くに行っても中には二度とは入る気にはならなかったもんな。店の中の床は油っぽかったしなぁ。蝗害だなたし蟹。


 イナゴより真っ赤な白菜を処理しなきゃ!コッチも慥かに公害駄な。