知道中国 宮崎正弘の国際ニュース・早読み [宮崎正弘の国際ニュース・早読み] - メルマ! | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 27年前の6月6日は北京での「天安門事件」のあった日。戦車の隊列が「人民という名の奴隷」に牙を剥いた日でもある。

 テレビでの映像は今でも思い出す。25年後東富士演習場での陸上自衛隊の「総火演」を見て、日本の陸自の優秀さ、凄さを知った。

 それは何か?戦車の砲筒が微動もしない事だ。シナの戦車は進行中ブラブラ。陸自の90式、10式は。進行中でも動かないのは、そのまま発射出来る事を意味する。シナは一々停止しないと・・。

 多分、陸自の戦車は世界一なのだろうと確信出来た。マリオカートをプレイした事は無いが、あれに砲筒が付き、右に左に躱しながら、砲弾を発射なんて事が出来るのだ。10式は世界最強!


 日本に住むシナ帰化人石平太郎氏も天安門が日本で住み続ける原点だろう。反日の朝日系のマスゴミに出続けるのは何故だろう? 最近の著作は朝鮮が日本の癌の如くと書いてるらしいが疑問の行動だ? 石平氏によると、宮崎氏は「心の友」だそうだが。このメルマガも読んでいなかった。シナ人は不思議な民族だ。



宮崎正弘メルマより
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6376986/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成28年(2016)6月7日(火曜日)弐
          通算第4926号
                                        

 天安門事件から27年を閲し、学生運動はどこへ消えたか?

  香港も東京も反中国共産党の気勢はあがらず
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 六月四日、天安門事件から二十七年が経て香港では十三万人規模の集会が開催された。


 ただし民主派団体がばらばらで結束せず、学生らは香港大学、中文大学でそれぞれが独自の集会を拓いた。


「反中国共産党」だけが合意点で全体の運動はダイナミズムを欠き、整合性はなかった。


 香港の民主諸派の分裂は中国の工作員の潜入や脅し、嫌がらせなどが原因であり、しかし若者達はかえって反抗心を高めた。

 欧米でも留学生等による集会があった。

 さて日本でも四谷で数百人の在日中国人、留学生、これを支援する日本人が「六四天安門事件27周年記念集会」に集まり気勢を挙げた。

 おりから来日中だったラビア・カディール女史も駆けつけ、ウィグルにおける人権弾圧の現状を報告した。このほかダライラマ猊下日本代表のルントック氏も演壇に立った。

 なかでも注目されたのが天安門事件当時北京大学一年生、学生指導者として指名手配第一号となった王丹氏が記念講演に立ったことだろう。


 ところが、である

 筆者は王丹氏の講演を聞いて苛立ちを隠せず、おおきな違和感を抱いた。

 彼は六月三日に現場を離れたので、実際に広場で何が起きたかは知らないと言った。また潜伏先に関しては公開しないのがルールだからおくにしても、なぜ米国に亡命できたのか背後の力関係や米国のコネクションに関しては語ることがなかった。


 そればかりか中国共産党を「打倒する」との決意表明がなく、語彙はきわめて撰ばれたもので活動家の言辞としては迫力にかけた。本人は自らを歴史学者と言った。

 かれは「理想」「勇気」「希望」という三つのキーワードを用い、中国の民主化を説くのだが、「国家は悪」「政府は必要悪」という立場で、中国の学生運動は「五四運動」の影響を受けたと語りだした。

 五四運動は、今日の解釈では学生、労働者が立ち上がった反日の原点ということになっているが、実態はアメリカの宣教師が背後で日本のイメージ劣化を仕掛けたもので、当時、中国に学生は少数、企業は殆ど存在せず、したがって労働者はいない。

米国に仕組まれた五四運動が天安門事件の学生運動の思想的源泉というのは納得しがたい。

つまり米国の歴史解釈の立場を援用しているにすぎない。



 ▼天安門広場の学生運動の指導者らは詩を忘れたカナリアか


 さらに王丹氏は「民主主義の基本は三権分立だけでは足りず、第四の権力としてのメディア、そしてメディアを監視する社会運動が必要である」となんだか、日本の左翼が訊いたら喜びそうなことを述べた。

 そのうえで台湾の「ひまわり学生運動」と香港の「雨傘革命」が「日本の安保法制反対のシールズ運動に繋がった」と総括し、会場はやや騒然となった。

日本の実情を知らないからか、それとも本質的にこの人物は反日家なのか。いや、あるいはアメリカでの生活が長すぎたためにすっかり民主主義なるものをアメリカのリベラリズムの主張と取り違えたのか。 

 理想とはなにかと問えば「北斗七星に喩えられ、いつも空を見上げ目標を失わない指標であり、どういう形態であろうが、学生運動は支持する」とした。

 アメリカで十年、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得し、いま台湾の清華大学で教鞭を取る王丹氏にはアメリカ流の民主主義ドグマが染みつき、市民社会(中国語では「公民社会」)の実現が夢であるという。

「市民」とは、これまた胡散臭い語彙である。

 その昔、サルトルが「アンガージュ」(参加)と言いつのって若者を左翼運動に誘う煽動をしたように、あるいはサルトル亜流の大江健三郎のヘイワの念仏のように中国の民主化という大目標はそこで論理が空回りするだけで会場には虚しい空気が漂っていた。

 天安門事件当時の学生指導者たちは、ウルカイシガが台湾で孤立し、芝玲ともう一人はファンドマネジャーとしてウォール街で活躍し、少数をのぞいて「詩を忘れたカナリア」となった。
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
                                        
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1424回】     
  「土民生計ノ貧窶想見スルヘシ」(大鳥4)
   大鳥圭介『長城游記』(丸善 明治二十七年)

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「規模ノ洪大」で「意匠ノ珍奇」、かくして「人ヲシテ驚嘆」させる。いいかえるなら「忽然來テ之ヲ觀バ魔界ニ陷ルノ感アル」ようなものが「此國風」、つまり清国の特徴と捉えているわけだ。この大鳥の理解は、そのまま現在に繋がるようにも思える。ここで注目したいのが数多の歴史的建造物もさることながら、やはり人々が見せる「規模ノ洪大」で「意匠ノ珍奇」で、それゆえに「人ヲシテ驚嘆」せしむる国を挙げた振る舞いだろう。

最近の“爆買い”なども一例だろうが、やはり外国人には判らないことが多すぎる。たとえばスズメ退治の顛末である。

1958年2月、中共中央と国務院は「四害撲滅運動」を掲げ、ハエ・カ・ネズミ・スズメを「四害」と呼び、生産と公衆衛生の敵であると糾弾し、徹底的な撲滅・駆除を全国に号令した。ことにスズメは稲を食べることから蛇蝎の如く嫌われ、挙句の果てに「臭虫」と呼び改められ、目の敵にされ、全土で集中攻撃を受けた。

都市でも農村でも、老いも若きも男も女も、鍋釜や竹竿を手に街頭や田畑に飛び出す。木の枝や電線に止まっているスズメを見つけたら、鍋釜をガンガン鳴らしてスズメを驚かせ、飛び立たせる。飛び疲れたスズメは木の枝や電線に止まろうとするものの、下から竹竿で追い払い、またガンガン・ジャンジャン。疲れたスズメは否応なく飛び立つが、やがて疲労困憊し地上に落下。かくして中国全土に「臭虫」を見かけることはなくなった。

 党と政府の厳命によって全国規模で「規模ノ洪大」で「意匠ノ珍奇」なスズメ退治が行われた結果、確かにスズメは急激に減少した。

だが彼らはスズメが害虫を食べる益鳥であることを知らなかったというのだから、「人ヲシテ驚嘆」せしめるではないか。当然のことながら害虫が蔓延り、農業生産は大打撃を受けてしまう。

かくして「臭虫」も「平反(罪が晴れ)」によって元のスズメに戻り、いつしか知らぬ間に「四害撲滅運動」は店仕舞い。これが「規模ノ洪大」で「意匠ノ珍奇」な運動の顛末ということになる。

次が鍋釜の悲劇だ。57年末から58年8月の間に開かれた共産党の重要大会で大躍進政策の方向が定まり、「全党全人民」に「粗鋼1070万トン生産のために奮闘せよ」と呼びかけた。

当時、毛沢東以下の首脳陣は粗鋼生産量こそが近代化の尺度だと思い込んでいたフシがみられる。かくして全土を挙げて粗鋼生産に狂奔してゆく。


 当時の記録映画には、庭先で超小型溶鉱炉を作る様子が映されているが、木材に荒縄を巻き付け、それを泥で固めただけ。よくてもレンガを組み立てた程度。土法鉱炉、つまり手製の溶鉱炉と名づけ、これに鍋釜から窓枠まで日常生活で目に付くありとあらゆる鉄製品を放り込み、近くの山で伐採した樹木を燃料に、何昼夜も燃やし続け粗鋼生産に励んだものの、マトモな粗鋼が生産できるわけがない。かくして消えてしまったのが鍋釜や窓枠などの生活必需品で、残されたのは鉄クズの山と禿山。粗鋼生産運動の熱気が冷める頃には、台所仕事が出来ない。なにせ鍋釜がないのだから。雨が降ると保水能力の失せた禿山からは鉄砲水。火葬場を溶鉱炉に転用しようとした地域もあったというから、粗鋼生産にかける「意匠ノ珍奇」さは、もはや「人ヲシテ驚嘆」といった程度を遥かに超えている。

「規模ノ洪大」で「意匠ノ珍奇」さにかけては空前絶後であり、「人ヲシテ驚嘆」せしめた最たるものは半世紀前に勃発した文革だろうが、考えてみれば 小平による改革・開放政策もまた、たしかに「規模ノ洪大」で「意匠ノ珍奇」であることに違いはないだろう。


 四害撲滅運動、粗鋼大増産、文革、改革・開放と並べてみると、どれもが「規模ノ洪大」で「意匠ノ珍奇」であり「忽然來テ之ヲ觀バ魔界ニ陷ルノ感アル」ものばかり。だが「魔界ニ陷」ってしまえば、驚くほどのことはないのかも・・・やはり中国は「魔界」。
《QED》

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 シナは人もその他全ても馬鹿だ。スズメの話は知らなかった。阿呆だ。日本なら益鳥なんてのは口伝えで代々伝えられてきたものだ。つまりシナは「伝える」事が出来ない、伝統というものが形成されない社会なのだ。阿呆で馬鹿の伝統しかないのだ。

 常に生き残る事だけにしか、価値を見出せない遺伝子だけしか持っていないのだろう。当座の事にしか目も耳も行かないのだ。


 どうやら「爆買い」も「爆小買い」に縮小した様だ。八千万もいるという「共産党員」。彼らのミエハリが終了する迄は、「爆訪日」だけは続きそうだ。トータルすると「爆小買い+爆小買い」で「爆買い」らしいものは継続かな?

 ついでに「爆無作法」は激しくなるのか、行儀を覚えて帰国するのか? やはり馬鹿と阿呆の集団だ。