オイ、ホントかよ!
まぁ、日々暗殺の恐怖に怯えている習近平には、信頼できる同志と呼べる人間がいたのか、いなかったのか?
多分、権力の座について周りを見回したら、自分が裸の王様なのに気付いたのかな? 顔貌を見る限り、知性やら教養やらなぞとても感じられないな。共産党のトップはマトモに教育を受けたようには、見えない人物が多いからな。
宮崎正弘メルマより
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6374569/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成28年(2016)6月2日(木曜日)
通算第4916号
常軌を逸してきたのか、習近平の反腐敗キャンペーン
次の標的は李源潮(国家副主席)か。団派と正面衝突へ
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江沢民率いた上海派を敵に回して、政敵を次々と葬り、国民の喝采をうけてきた習近平だが、この反腐敗キャンペーンも軍人からは恨みを買い、つぎに連立政権のパートナーだった団派と、正面衝突する愚を犯した。
胡錦涛率いる団派(共産主義青年団)は、李克強首相が経済政策立案のポストから外されて、怒り心頭。ふたりが全人代の雛壇でお互いにそっぽを向いている写真は、ひろく世界に配信された。この写真から読み取れるのは太子党vs団派という対立構造が深化し、後戻り出来ない状況へ陥った現実を象徴している。
さきに習近平は胡錦涛の懐刀だった令計画を失脚させた。この余波で令の弟である令完成が秘密ファイルを持ち出して米国へ亡命した。
そしてまた団派に衝撃が走った。
李源潮(国家副主席、政治局員)の側近六人を、取り調べ、失脚させようとしていることだ。彼は江蘇省書記を務めたキャリアがある。
かつて李源潮が江蘇省書記時代に、かれの周りを固めて「ダイヤモンドの六人衆」と言われたのが、李雲峰(江蘇省副省長兼党委常任委委員)、仇和(雲南省副書記)、王眠(遼寧省書記)、楊玉沢(南京市委員会書記)、季建業(南京市長)、趙少康(江蘇省前秘書長)である。
博訊新聞網(5月30日)によれば、この六人が近く中央紀律委員会の調査対象になると報じている。
李源潮は次期党大会(2017年秋)で政治局常務委員会入りが確実とされる団派のホープである。
もし李の側近連中を失脚させる目的があるとすれば、最終の標的は団派の一角を崩す、習近平の深謀遠慮であり、李克強首相の顕著なばかりの影響力低下とあいまって、団派を正面の敵と見据えたことでもある。
しかし一方において、習近平の反腐敗キャンペーンの元締めとなって精力的な活動をつづけてきた王岐山が、最近、習から離れつつあり、習近平政権の権力基盤は大きく揺らいできたとう観測がある。
王岐山の習近平から離脱ともいえる最近の動きに多くのチャイナウォッチャーが注目している。
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◆ 書評 ◎ しょひょう ▼ BOOKREVIEW ▽書評
おもえば「明治という時代」は奇跡の連続だった
「蘇れ、明治の精神」と訴え、現代史への反省を籠めて
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皿木嘉久『明治という奇跡 栄光の時代を訪ねて』(展転社)
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「五ヶ条のご誓文」の成り立ちや廃藩置県を実行できた奇跡的な政治劇など、あの明治は遠くなりにけりの浪漫を求めるだけではなく、そこのあった「時代の精神」を本書では執拗にかぎ取ろうとする。
明治大帝がおかくれになって明治という時代は突然に幕引きとなるが、文豪・徳富蘆花は書いた。
「鬱陶しくもの悲しい日」。大帝崩御の日であった。
さて、?川慶喜がなぜ戊辰戦争を闘う気力も失って江戸へ逃亡を図ったのか、西郷隆盛の征韓論が彼を下野させたのかなど幕末から維新への謎の部分にも光を当てながら、幾つかの逸話を並べて本書は論を進めるのだが、評者がフト気になって二回読み返した箇所がある。
大久保利道の迫力ある外交だった。
大久保は北京に乗り込んで清国の幹部と直談判を展開した。
「台湾を自らの領土だとする清国に対し事件処理と謝罪を求めた。清国は『琉球の八重山島民は清国民だ』と強弁する一方、『台湾の住民は統治外の者だ』と謝罪を拒否した。大久保は『自国民が殺害されたのに事件を解決しないなら、台湾が『無主の地』であることを認めることになる』と、日本が武力により解決することを容認させようとした。
結局清国は責任を認め、五十万両の賠償金を日本に払うことで決着した。政府はこれで琉球は日本に属することを清国が認めたと判断、明治十二年(1879)には琉球藩に対し、清国への朝貢を禁ずるとともに、琉球藩を廃し沖縄県を置き、正式に日本領とした。
清国はこれに対しなおも抗議、一時は台湾に最近い八重山列島だけを清国領とすることで妥協しかけたが、清国側の都合で不満に終わり、最終的には明治二十八年(1895)、日清戦争後の下関条約で清国側が台湾そのものを割譲したことで決着をみた」
戦争をも辞さずとする背水の陣で外交交渉に臨んだ武人大久保の面目躍如である。そうだ。外交とは背景に軍事力と情報力があって成立するものであるという歴史の教訓を大久保が示したのである。
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◆ 書評 ◎ しょひょう ▼ BOOKREVIEW ▽書評
在米ビジネスマンが日本の国際派を目指すための根源を問う
日本文化の「根っこ」を大切にしない人間は、その人生が無駄になる
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伊勢雅臣『世界が称賛する日本人が知らない日本』(扶桑社)
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この本の著者である伊勢氏は国際派ビジネスマンとして世界を飛び歩く。その豊富な海外経験から「クールジャパン」の決定版を目指して本書を著した。
多くの読者を持つメルマガ「国際派日本人養成講座」の主宰者である。
海外にでて英語が流暢なことを自慢する日本人を時折みかけるが、日本の歴史、アイデンティティを問われるとたちまち説明できない手合いが多い。
あなたは自分の言葉で日本を語れますか?
と著者は問いかける。
「日本の根っこ」を知らないから、相手からも馬鹿にされるのだ。
『逆に日本人ならこう考える』と自分の考えを主張すれば、彼らは同意するかどうかは別にして、自分たちと違う視点には興味を示す」のである。
つまり「ナショナル・アイデンティティとは、大和言葉で言えば『心の拠り所』と言えるだろう。それを持たない人間は、外部の環境に流されるだけで、その心の奥底から湧き上がってくる元気をもてないのである」(226p)
と手厳しい。
そして著者はさりげなく三島由紀夫の次の箴言を挿入して本書の骨格としている。
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、ある経済大国が極東の一角に残るのであろう」(昭和45年7月7日、産経新聞)。
だからこそと著者は強調する。
「文化的個性という『根っこ』を失った国民が精神的に充実した幸福な生活を営めるわけもなく、また国際社会においても、その個性に共感してくれる真の友人をもてる筈もない」のである。
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読者の声 どくしゃのこえ ERADERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)戦争を仕掛けた中国になぜ謝らなければならないのだ! 「日中戦争」は中国が起こした
「史実を世界に発信する会」茂木弘道著(自由社)
第4回: <後編> 日本の対支政策
満州事変後、中国の満州侵入を防ぎ、その反日政策対策のために、陸軍は北支に緩衝地帯を作ろうというという工作を進めました。北支分離工作と呼ばれています。これを日本の中国侵略政策と主張する人が多いのですが、それは実情を無視した見方です。
一つは、なぜ分離工作を行わざるを得なかったのか、ということです。中国軍の度重なる挑発行為、そして国民党政府の反日侮日政策です。日本人殺傷事件も多発しています。
二つは、盧溝橋事件後、通州事件などが起こったにもかかわらず、日本は分離工作を全面的に破棄する内容の「船津和平案」を進めようとしました。もし、侵略を狙っていたのなら、こんなことをするはずがないということになります。
また、上海事変がようやく収まろうという10月27日に日本は英米仏独伊に対して日支交渉のため第3国の好意的斡旋を受諾する用意があることを伝えました。ドイツがこれに対応して、トラウトマン駐支大使が日本提案の和平案(船津案とほぼ同じ)を中国に示しましたが、蒋介石は拒否しました。
こうして日中の戦いは拡大し泥沼化していきますが、その後も日本は10回近く和平の試みを行っていることは蒋介石日記にも記されているとおりです。
日本軍占領地区で日本軍は掠奪どころか、農民救済、教育、技術指導、文化活動まで行っていたのでした。農村救済のリーダーの一人が、有名な指揮者小澤征爾さんの父君の小沢開作さんでした。
「派遣軍将兵に告ぐ」という冊子が1940年4月29日付で、支那派遣軍総参謀長板垣征四郎により布告されています。この中では相互扶助と親睦の親しい交わりを強調するとともに、支那人の伝統と習俗を尊重せよ、呼びかけています。
勝手に中国に入り込み、中国人を苦しめた、などという俗説は実態とは全く異なるものでした。
日本語原文;http://hassin.org/01/wp-content/uploads/China4.pdf
英訳文:URL: http://www.sdh-fact.com/book-article/700/
PDF: http://www.sdh-fact.com/CL/Second-Sino-Japanese-War-Part-3-.pdf
(「史実を世界に発信する会」会長代行 茂木弘道)
(宮崎正弘のコメント)小沢開作さん、懐かしき名前を聞きました。半世紀ほど前、一度お目にかかったことがあります。そのとき初めてこの人が小澤征爾の父親ということを知りました。
奇しくも三島事件の二日か、三日前に急逝されたことを思い出しました。
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(読者の声2)<歴史・公民>東京塾・第30回 <混迷極める、その先に視えて来る日本・世界の明日を語ろう!>のお知らせです
<場 所> : 豊島区医師会館(池袋西口徒歩5分、東京芸術劇場前大通り反 対側、「ローソン」の横道を入って突き当たり)(池袋西口地下街1b出口から南に約150M)TEL03-3986-2321
http://www.tsm.tokyo.med.or.jp/map/index.html
<日 時> ; 平成28年6月18日(土)午後1時00分 5時15分
1)研修会連続講座(PM1:00 1:30)(質疑5分)
「喫茶の伝統」その8 講師・石川陽子(日本の伝統と文化を語る集い)
2)講 演 ? (PM1:40 3:10)(質疑10分)
「日本の正念場」 日本は世界のリーダーになれる
講師・ 山田 宏(前、杉並区長・衆議院議員)
休憩(15分)
3)講 演 ? (PM3:35 5:05)(質疑10分)
「歴史戦と参議院選挙」=日本の政治を壟断した自虐史観の虚妄
講師・ 藤岡信勝(「つくる会」副会長)
< 主 催 >: ≪日本の伝統と文化を語る集い≫
<企画・運営>:「新しい歴史教科書をつくる会」東京支部
<連絡先・島?宛> TEL;080-6722-5670 FAX;03-3660-5672
MAIL;simazaki@rondo.plala.or.j
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伊勢雅臣氏のメルマガは僕のブログに転載させて頂いています。モヤモヤ感を払拭させて貰いました。何にかって?
外国語(短大での仏語も有ったっけ、舌を震わせるなんて出来るかよ!)で会話しないこと、と出来無い事に対してです。ビートルズ世代でも有りながら、聞き取れない事に勝手に劣等感を秘かに抱いていたからかな。そんな事を還暦過ぎまで抱いていた。
年端もいかない幼児からの英会話スクールって、半端な日本人を作るだけではないか。帰国子女の育ち方に、疑問を持ったのは何時だっけ。彼らこそ半端な日本人だと。貴方はどう思いますか?
『木漏れ日』たった四音で貴方はどんな情景が、頭に浮かびますか? 他のどんな言語にも表現出来ないのです。そんな表現の出来る言語は『日本語』だけなのです。僕も含めた戦後生まれの殆は歴史の真実を教育されてきませんでした。何が真実なのか、そんな事を身につける事が、先ず第一ではないだろうか!
読者の声もショックかな? 板垣征四郎大将の言葉もそんな事がと。終戦時、福田少尉(だったがな)は大阪外大蒙古語科出身なのに、何故栃木県に戻されたのだ? 「五族共和」の満州は正に彼の働き場ではなかったのか? 活躍の場ではなかったのか? 僕が「司馬遼太郎記念館」に行かない理由の一つが又増えてしまった。眼鏡の下の顔はBC級戦犯クラスの素顔? そんな事を想像させる。彼の手で祭り上げられた龍馬もその姿は歪められたのでは? 土佐の龍馬像もベストセラーとなってから、NHKの大河ドラマ放映の後。土佐には龍馬の足跡が残ってはいなかった? 武田鉄矢は何処かで詐欺に有ったのかも(真実を知らない?学ばない?のかな)。
歴史の真実は貴方の見方、考え方を変えるかもしれません。未来への指針を与えてくれるかもしれません。そう思いませんか?