身辺雑記  頂門の一針3931号  2016・2・16(火) [頂門の一針] - メルマ! | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。



 正義、不正義の基準は難しい。立ち位置に依っては、正義が不正義になり、不正義が正義になるのだ。原発に対して顕著に見られる。

 五十路に黄文雄氏の著作で眼を開かれた。還暦を過ぎて、田中英道氏の著作で日本民族としての立ち位置を知った。

 古稀間近で、日本民族は何と、誰と闘わねばならないかを「余命三年時事日記ブログ」で知った。


頂門の一針メルマより
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私の「身辺雑記」(313)
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平井 修一

■2月12日(金)、朝5:00は室温13.5度、大分緩んできたか、快晴、ハーフ散歩。

夕べは7人で手作り餃子、ナスの味噌炒め。大好評。体調が安定しない2歳女児も餃子を5つも食べた。ひやひやしたが吐かなかった。今朝は具沢山のお雑煮など。みな機嫌よく職場、学校、保育園へ。

今朝、人生で一番最悪な思いをしているのは不倫疑惑の自民党議員Mだろう。彼は議員辞職をするらしいが、下半身がかなりルーズだったようだ。

ウィキによると最初の嫁さんは売国奴の加藤紘一の娘(自民党議員)で、婿入りして加藤の票田を狙っていたようだが、女性問題で離婚。二番目の今の嫁さん(自民党議員)はこの2月5日に第一子の長男を産んだばかり だったというが、もう離婚するしかないだろう。

Mはこの際、不倫相手と心中するか、ヒモになるしかないのではないか。まだ35歳なのに人生を棒に振ってしまった。身長188cm、体重78kg、大男、総身に智慧が回りかね、か。一寸先は闇だが、○○につける薬はないから・・・

日本的猫熊抱擁者も同様で、「ただ消え去るのみ」だな。人民網2/8に、 春節で中共中央に祝辞を送った日本人のリストがあった。

江田五月・日本民主党最高顧問、海江田万里・日本民主党元代表、浅野勝人・元外務副大臣(元自民党議員)、宮本雄二・元駐中国日本大使(元外務省)、浜田和幸・日本参議院議員(日本のこころを大切にする党議員)、

瀬野清水・元駐重慶日本総領事、五十嵐貞一・元在中国大使館参事官、尾形武寿・日本財団理事長、宮田淳・明海大学/朝日大学理事長(私学の3代目オーナー、支那人留学生が欲しいのかもしれない)、白西紳一郎・日中協会理事長。

まあ、日本のパンダハガーなのだろう。白西がバカなことを書いている。

<今年は申年、中日関係も猿の如く活力に満ちてほしいです。世界が注目する習国家主席の「1ベルト、1ロード」構想を将来的には日本まで延長頂ければ、中国や世界経済発展に貢献できると期待しています>

ほとんど暗愚、痴呆、胡乱、妄想、迷走、蒙昧、狂乱、混乱、暴走、逆走、「愛は盲目」の世界だ。白西のような中共信者は中共にとって大いに活用できるから、人民網2015/11/10に「中日友好の実践者」として大きく紹介されている。

<「中国の皆さん、大家好(ダージアハオ)!」(平井:皆さんこんにちは)。東京で行われる各種中日交流活動の来賓席に、いつも同じ白髪のご老人の姿がある。司会者が紹介すると、立ち上がって中国語で大きな声で応える。日本の中国友好団体「日中協会」の白西紳一郎理事長だ。

過去50年間、白西さんの海外渡航回数は600回を数えるが、その目的地はたった一つ、それは中国だ。

*中日友好への信念 生涯訪問先は中国だけ

日中協会の主な業務は各種中日交流活動を展開し、日本で留学する中国人学生をサポートし、中国からの訪日団を迎えることだ。白西さんは理事長として毎年頻繁に中日間を往復し、75歳の高齢を迎えた今年も、上半期だ けで5、6回は中国を訪問、9月には中国人民抗日戦争勝利70周年記念行事に参加している。

白西さんが毎年の訪中で必ず組み入れるスケジュールがある。それは南京に出向いて南京大虐殺の被害者の冥福を祈ることだ。今年の4月も30人余りの日本人有識者を率いて南京を訪問している。この活動は1987年より始 まり途絶えたことはなく、参加者はのべ1000人を数える。

白西さんは「日本で唯一中日友好を生涯の職業とする人物」とも呼ばれ、中日友好に固い信念を持つ。1967年に初めて訪中して以来50年間、白西さ んの訪中回数は600回近くになる。中国以外はどこの国にも行ったことが ない。

(平井:1967年あたりは文革が猛威をふるって紅衛兵が残虐な手段で殺人しまくっていた時期だ。白西は大いに共感し、拍手したのだろう。完全なる狂気!)

http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%96%87%E9%9D%A9#mode%3Dsearch

1945年8月6日、米軍は広島に原爆を投下し、日本の降伏を加速するとともに、現地に甚大な被害をもたらした。白西さんはあの日、祖母と広島におり、投下された原爆の爆発音を今でも鮮明に覚えている。すだれ越しに稲妻のような光を見るや否や、巨大な爆発音が続き、祖母とすぐに物陰に隠れたために怪我をせずに済んだ。

実家はお酒を造っていたため、2日後の8月8日、父親の自転車の後ろに乗って広島市中心部にある酒蔵を見に出たが、あたりは廃墟と化していた。白西さん一家の命は守られたが、友人や親戚は原爆の犠牲となってお り、こうした情景は生涯忘れ難い幼少期の記憶となっている。

「なぜ広島がこんなに大きな爆弾に襲撃されねばならないのか」、当時小学生だった白西さんは理解できずにいた。その後分かったことは、米軍は日本の重要な軍港を狙い撃ちしたということ。当時広島には江田島海軍兵学校、大型戦艦の製造所などがあり、侵略戦争に加わった多くの軍隊がそこから派遣された。「広島は決して普通の街ではなく、日本軍国主義の重要な拠点」だったのだ。

白西さんは、戦争は侵略戦争と反侵略戦争とに区別でき、すなわちそれは不正義の戦争と正義の戦争であり、まずは戦争の性質をはっきりさせる必要があると語る。

「仏教で因果応報と言われるように、手を出したから出されたのであって、故郷広島への原爆投下も、日本が先に悪事を働いたから」。この点が分かってはじめてなぜ日本が攻められたのかや、中米英仏といった国の立場などが分かり、同時にこの点は日本が反省すべき点なのだと白西さんは 言う>(以上)

山本夏彦翁曰く「“年寄のバカほどバカなものはない”という諺、大好きです」「老人は、自分は戦争の渦中にあったから、戦争を経験したというが怪しい。その渦中にあっても人は多く経験しない。経験はついに才能の一種か」「教育は10年で人間を変える。ヒットラーユーゲントは10年であ る。わが軍国少年も10年である。共に目は澄んでいた」。

洗脳された老人は除染できない。古人曰く「老い木は曲がらぬ」「矯めるなら若木のうち」「年寄れば愚に返る」。毛唐曰く“You can't teach an old dog new tricks”(老いた犬に新しい芸を教えることはできない)。

小生は「反共バカ一代」、白西は「親中バカ一代」、金正恩は「嫌習バカ 一代」。辣椒(ラージャオ、王立銘)氏曰く  

<北朝鮮は7日、人工衛星「光明星4号」を発射した。この人工衛星を載せ たミサイルの射程は約1万3000キロで、理論上ではアメリカ大陸のどんな場所にも到達できる。しかし、一方で今回発射された軌道は中国沿岸部に沿っていた。

さらにこの日は中国にとって旧暦の大みそかというとても重要な日でもあった。家族全員が集まっていっしょに大みそかの夕食を食べる祭日を、北朝鮮はよりによって発射日に選んだ。これは春節の「お年玉」と言えるのだろうか。

金正恩のビンタは誰の顔に放たれたのか、中国外交部のスポークスマンは知らないのかもしれない。ただ、私や全世界の多くの中国人ははっきりと見た。習近平の顔に金にビンタされた跡がくっきり残っているのを.....>(ニューズウィーク2/12)

http://www.newsweekjapan.jp/rebelpepper/2016/02/post-20.php

上海閥・瀋陽軍区子飼いの“狂犬・鉄砲玉”北朝鮮・金正恩一派は自分たちを排除しようと画策した習近平を噛み殺すことしか考えていない。今、習は北をどうにもできない。out of controle、制御不能。

それを知らない人が多すぎるからトンチンカンな記事になる。「電話出ない中国外相、“日本外し”の怪」(日経2/12)から。

<「(北朝鮮問題について)我々は対話のドアはいつもオープンだ。中国 側からは多忙であると聞いている」

岸田外相は2月9日の記者会見で、日中外相の電話協議が実現していない点を突っ込まれ、こう明かした。こちらから申し入れているにもかかわらず、先方が同意しない現状を“暴露”した格好だ。

では、なぜ、中国は日本との電話協議を避けるのだろうか。中国内の事情に通じた宮本雄二・元駐中国大使に聞いてみよう。

「北朝鮮にどう対応していくか。まだ、中国の最高首脳レベルで戦略が定まっていない可能性がある。米国は超大国であり、韓国とは良好な関係なので渋々、協議に応じるが、日本とは話し合いづらいのだろう」

安倍政権幹部は語る。

「(中共は)日本との融和に動くには、まだ政治リスクが大きい。中国当局者はそう感じ、守りに入っている感じだ。なぜなのか明確には分からないが、内政上、何らかの事情があるのかもしれない」

日中関係筋にはこんな見方もある。「王毅外相は中国共産党内で自分の立場を守るため、日本と積極的にはかかわりたくはないと思っているのではないか」

(平井:上海閥の犬になった北は習近平の権力闘争にとって一番悩ましい問題、弱点、恥部だから触れたくない、刺激したくないということ。勝てる見通しがまったくないのだ)

外相レベルのパイプが詰まったままでは、首脳レベルの意思疎通はさらに 難しい。岸田外相は2月9日の記者会見で、安倍・習近平協議の可能性について聞かれ、素っ気なく答えた。「何も検討しておりません」>

中共は最大8000万人の人民を殺し、今は周辺国への威嚇を強めている。しかし、脅しに対してみな反発し、因果応報、天罰覿面で四面楚歌、経済不調で中共はのた打ち回っている。

中共はすべてにおいてout of controleになってきた。自滅・・・習近平の後を追って白西も殉死するがいい。必要なら介錯してやろうか、嗜虐的な紅衛兵よりは遥かにきれいにやれるぜ。

■2月13日(土)、朝5:00は室温14.5度、今朝も大分緩んできたか、曇、ハーフ散歩。

体調不良の小1女児預かり。一難去ってまた一難。子供は小2までは手がかかる、小生もそうだった。小児科の女医先生から「修ちゃん、修ちゃん」と可愛がられるほど馴染になった。奇病で入院したこともあった。母は大変だったろうなあ。

昼には室温なんと20度、晴れて春のよう。だが北京の「習ちゃん」はブルーだろう。

日本戦略研究フォーラム政策提言委員/拓殖大学海外事情研究所教授・澁谷司氏の論考「習近平政権による軍改編の"失敗"と北朝鮮」(2/12)から。

<北京政府は金書記の核実験・ミサイル発射実験を苦々しく思っているに 違いない。面子を失うからである。けれども、瀋陽軍区が北を支えている 限り、北京は如何ともしがたい。

そこで、習近平政権は北京軍区と瀋陽軍区を合併させ、直接、北京が新戦区全体をコントロールしようと目論んでも不思議ではない。

ただ、今年2月に発足した5戦区体制(「北部戦区」「中部軍区」「東部戦区」「南部戦区」「西部戦区」)を子細に見る限り、習体制による解放軍改編は“失敗”したと言えよう。当初案である北京軍区と瀋陽軍区の完全統合ができなかったからである。

それどころか「北部戦区」は、習政権が目指した北京からの瀋陽軍区コントロールが効かない体制となっている。と言うのも、旧瀋陽軍区は北京軍区の一部、内モンゴル自治区を取り込んで、拡大版「北部戦区」へと生まれ変わったのである。

恐らく、習政権が意図していた北京軍区と瀋陽軍区の統合案が、党や軍の反対で流れたに相違ない。

他方、北京軍区は内モンゴル自治区を失った。ただ、同軍区は、予定通り済南軍区等を併合して「中部軍区」となり、お茶を濁している。これでは、北京政府は何のために解放軍改編を実施したのかわからない。

北の一連の(核、ミサイルの)動きは、政治的に、中国の軍改編と密接に関わっていると見るべきだろう。旧瀋陽軍区(現「北部戦区」)が北朝鮮を使って、故意に北京政府を揺さぶっている公算が大きい。

恐らく真の構図は、中国共産党内の「太子党」対「上海閥」(プラス「共青団」?)の権力闘争である。その党内闘争に北が利用されているに過ぎないのではないか。

ひょっとすると、旧瀋陽軍区が北朝鮮を使って習近平体制に対し脅しをかけているのかもしれない。もしも、北京政府が旧瀋陽軍区を解体、あるいは金正恩体制を打倒しようとした場合、「北部戦区」が北朝鮮の核やミサイルを北京に打ち込む算段なのかもしれない。既に旧瀋陽軍区と北朝鮮は “一体化”しているのである(軍事ジャーナリスト・鍛冶俊樹氏)>(以上)

習の軍改編は上海閥・瀋陽軍区の猛烈な反発で失敗した・・・これは多分真実だろう。

産経2/1も「この日(人民解放軍戦区成立大会に)発表された戦区の区分けと本部所在地は昨年まで伝えられたものとはかなり違っており、区分けの際に軍現場で激しい主導権争いがあった可能性もある」と報じている。

またも敗けたか習近平。中華民族の偉大なる復興は遠のき、軍閥「上海閥・瀋陽軍区」の壮大なる利権は死守どころか内モンゴルにまで拡大された。これでは習はとても戦争できないが、どうするのだろう。下手に動けば中南海にミサイルが撃ち込まれかねないし・・・さっさと辞任するんだ な、殺される前に。

■2月14日(日)、朝7:00は室温19度、すっかり春だが、夕べは嵐、今朝もずいぶんな雨だ。散歩不可。

昨晩はカミサンは長女の家で孫二人の世話、小生はN母子の世話。小生は都合8人前の夕食を用意した。芋3種と豚の煮物、かき揚げ、うどん、五目 ご飯。

「女子と小人は養い難し」。女子と器量の小さい者は「節度をわきまえず、近づければなれなれしく、遠ざければ怨みを抱く」ので扱いにくい、という意味だそうだ。まるでクネだな。

この手の人≒「中2レベルでテレビを見る人、多分善人だが浅慮の人」にいちいち腹を立てていたら物事が進まない。適度にあしらい、時に注意し、時に叱り、たまに殴るぐらいで対処するしかない。彼らは信念があって発言、行動しているのではないのだ。その時の気分、機嫌、感情、妄想で動いているにすぎない。メルケルを見よ。

中2レベルのお花畑リベラル≒アホの欧州ではもはや「難民を受け入れよ」と誰も言わなくなった。今は「国境にフェンスを!」「エルドアンにカネを渡してトルコで難民を食い止めろ!」だ。(会議で決めたものの、笑うべし、現実には誰も金を出していない、リベラル≒インチキ≒ウソツキ)

愛は盲目的サル知恵で国境をザルにしておきながら「ギリシャは役立たずだ、我々が難民船を取り締まるべきだ」とギリシャの主権を公然と無視、そのうち「難民船を撃沈しろ」となるだろう。

残念ながらこの世はクネと金北豚、妄想習とプッチンプーチン、痴呆メルケル、銭ゲバキャメロンだらけ。

君子たらんとする者は彼らの軽挙妄動に振り回されないようにしなければならない。譲ってはならない一線は武力を発動しても絶対に守るが、それ以外は鷹揚に、時には毅然と対処するにしかず。

彼らを一人前と思うから腹が立つのであり、半チクの小僧、悪ガキと思ってあしらい、時に握手、時に抱擁、時に鉄拳制裁する。まったく外交は厄 介だ。

それがこの世の現実だから、この世は生きるに値しない、と思う人がいるのは当然のことだ。子・孫、伴侶のヘルプ要請に応えるために生きているとは小生は思わないが、それは多少なりとも理由づけにはなる。

では、何のために生きているのか。「大なるもののために死ぬ」ことこそ男の道だ。オランドは男らしくなってきた。

ネットで「葉隠」を読んでみた。 

<武士たるものは、武道を心掛くべきこと、珍らしからずといへども、皆、人、油斷と見えたり。其の仔細は、武道の大意は、何と御心得候か、と問ひかけられたるとき、言下に答へ得る人稀なり。そは平素、胸におちつきなき故なり。さては、武道不心がけのこと、知られ申し候。油斷千萬のことなり。

武士道と云ふことは、即ち死ぬことと見付けたり。凡そ二ツ一ツの場合に、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわりて進むなり。若し圖(図、予測、想定)にあたらぬとき、犬死などと云ふは、上方風の打上りたる武道なるべし。

二ツ一ツの場合に、圖にあたることのわかることは、到底出來ざることなり。我れ人共に、等しく生きる方が、萬々望むかたなれば、其の好むかたに理がつくべし。

若し圖にはづれて生きたらば、腰ぬけなりとて、世の笑ひの種となるなり。此のさかひ、まことに危し。圖にはづれて死にたらば、犬死氣違ひとよばるれども、腰けにくらぶれば、耻辱にはならず。是れが武道に於てまづ丈夫なり。

毎朝、毎夕、改めては死ぬ死ぬと、常住死身に成つてゐるときは、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり>

訳:

<武士道とは何か。言下に答えられる人は少ない。武道を心掛けることは当然だが、これだけでは心もとない。

武士道とは死ぬこと、死に方が真髄である。二つのうち一つを選ばなければならない状態、つまり死ぬか生きるかというような場面では、死ぬほうに進むほうがよい。むずかしいことではない。腹をすえて進むだけのことである。

思ったようにいかない場合を考えたり、それでは犬死にだなどという意見は、上方風の思いあがった武士道である。

二者択一の場で、思ったようにするなどということは、そうそうできることではない。自分も人も生きるほうが好きである。おそらく好きなほうに理屈がつくであろう。

しかし、もし選択を誤って生き延びたととしたら、腰抜けである。思ったように行って生きるのと、思ったように行かないで生きることとは、紙一重の差である。

うまく行かず死ぬことになっても、「犬死、気違い」だというだけで恥にはならない。これが武士道の一番大切なところである。

毎朝毎夕、いつも死ぬ覚悟をしていれば、武士道の自在の境地に達することができ、一生失敗することがなく、家職をまっとうすることができるのである>

「家職をまっとうする」、すなわち主君、邦家を守るために生きる=死ぬことである。イスラエル建国の英雄、亡国ユダヤ人のヨセフ・トルンペルドールは日露戦争の捕虜となり、大阪・高石のロシア人捕虜収容所で過ごすなかで、大なるもの=「亡国から2000年を経ての祖国再建」に命を捧げる決意をした。

日露戦争で日本軍は死を覚悟して次から次へと吶喊していった。トルンペ ルドールはそれに大きな感動を覚え、祖国はいいものだ、とつくづく感じ入った。彼の最期の言葉は「国のために死ぬことはよいことだ」だった。

そういう機会を老生は得られるのだろうか。四十七士の堀部弥兵衛金丸は前江戸留守居、前300石、隠居料20石(譜代)、同志のうち最年長者、享年77。辞世は「雪はれて思ひを遂るあしたかな」。

ナント後期高齢者でも運が良ければ突撃できるのだ。

11時には雨が上がってすっかり快晴、室温23度、窓を開け放った。その日に備えて散歩ではしっかり足腰を鍛えた。
  (2016/2/14)

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 自分の生き方でも闘えると勇気づけられたな。継続は力なんて思いつつ、気儘にエントリーして行こう。

 どうやら、習近平は軍改革に手古摺り絶対的権力を把握出来ていなさそうだな。日中開戦は習近平自身と太子党の破滅に繋がる事は明白なようだ。支那共産党が倒れるのか?習近平が権力の座を追われるのか?

 まるで先が見えて来ないが、人民という名の奴隷たちがどう動くかだろうかに掛かっているのかも知れない。それに乗っかる形で内乱?内戦?判らん(^^ゞ

 砂上の楼閣の共産党一党独裁が倒れなければ、支那に未来は無いのだろうとは思うのだが。