【石平のChina Watch】習近平指導部の「反腐敗運動」に内部から批判 | Hideoutのブログ

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  引くも闇、進むも闇なのでしょうか


産経ニュース
http://www.sankei.com/smp/column/news/150122/clm1501220009-s.html?utm_medium=app&utm_source=smartnews&utm_campaign=android
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人民日報指摘「やり過ぎ論」「泥塗り論」「無意味論」で権力闘争激化か
2015/01/22 8:05

 13日付の人民日報が興味深いコラムを掲載した。それは習近平指導部が推進する腐敗摘発運動に対し、「やり過ぎ論」「泥塗り論」「無意味論」の「3つの誤った議論」が広がっていることを取り上げて批判したものである。

 「やり過ぎ論」は文字通り「今の腐敗摘発はやりすぎである」との意見で、「泥塗り論」は要するに、共産党大幹部たちの驚くべき腐敗の実態を暴露した摘発運動が「逆に政権の顔に泥を塗るのではないか」との議論だ。そして「無意味論」は、政権内で腐敗は既に広く浸透しているから、いくら摘発してもそれを撲滅することはできない。だから「やっても無意味だ」という議論である。

 このうち、3番目の「無意味論」は明らかに、共産党の腐敗摘発運動を外から冷ややかな目で眺める民間の議論であろう。「やり過ぎ論」と「泥塗り論」はやはり、「政権を守る」という立場からの内部批判と思われる。

 つまり、共産党中央委員会機関紙の人民日報は、党指導部の腐敗摘発運動に対し、党内からも反発や批判の声が上がっていることを公的に認めたわけだ。それは、運動開始以来初めての由々しき事態である。

 周知のように、習近平指導部は発足以来、「トラもハエもたたく」というスローガンを掲げて党内の腐敗摘発に全力を挙げている。それは民衆の支持を取り付け、政権の信望を高める重要な手段となった一方、習主席自身にとっても権力基盤を固める有力な武器となった。

 「腐敗」の話となると、大小の幹部たちは多かれ少なかれ「身に覚えがある」から、「摘発」という武器を手にした習主席には、誰も逆らうことができなくなったからである。

 過去1年間、習政権が急速に足場を固めた背景にはこういう事情があったのだろうが、習主席にとっての「腐敗摘発」は、もろ刃の剣でもある。周永康氏や徐才厚氏などの大物幹部を次から次へと摘発の血祭りに上げていく中で、民衆の期待はますます高まり、指導部はいっそうの摘発を断行し、それに応えなければならない。

 しかし、党幹部の大半に身の危険を感じさせる摘発がどこまでも突き進むと、それはまた、幹部集団からの強い反発を招くこととなる。

 前述の人民日報コラムはまさにこの辺の事情の表れである。同じ13日、新華通信社も関連報道の中で、「腐敗摘発は良いところで収束すべきだ」という党内の反対意見を紹介している。反発がかなり広がっていることがうかがえるであろう。

 このような状況で、今の習主席には「選ぶべき2つの道」がある。

 1つは、「良いところ」で腐敗摘発の手を緩めて党内の融和と安定を図る道だが、それをやってしまうと、「裏切られた」と感じる民衆の不満は高まり、習主席の信用は失墜することとなろう。

 逆に、民衆の高まる期待に応えて今後も引き続き摘発に血道を上げていくと、党内からの反発はますます強まって習主席自身の権力基盤を揺るがすこととなる。

 また、党内の別の派閥が幹部集団の反対を吸収して反習主席の権力闘争を引き起こす可能性もあるから、今の習主席はまさに、「進むも地獄、退くも地獄」の大変な立場にいるわけだ。

 本紙でも報じているように、13日、中央規律検査委員会の全体会議で「反腐敗闘争は持久戦だ」と演説した習主席は、今年も反腐敗運動を継続させていく方針を明確に打ち出した。彼はどうやら不退転の決意をもって「突き進む」道を選んだようである。

 そうなると、この1年、習主席の「反腐敗」と幹部集団の「反・反腐敗」との戦いは、権力闘争の様相を呈し、いっそう激しく展開することとなろう。

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【プロフィル】石平

 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
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  習近平は自分の立ち位置が分かっているのやら、いないのやら。

  民衆が単純に共産党支持ではないことが、指導部特に近平にも認識されているという事なのでしょうね。彼は下方された経験から、学んでいるのかもしれません。しかし、自分が今いる地位は何によって獲得したのか、獲得できたのかを認識しているのだろうか?

  自分にブーメランとして帰ってくるとは考えないのでしょうか? 支那人の思考形態は、僕の理解の範囲を超えている。貴方はどう考えますか?

  日中の連絡システムも、海上だけの筈が空もとか、習近平が軍に対しても疑心暗鬼なのではないでしょうか? 空自のスクランブルが増えていますね。何を意味するのか? 自分達の都合の良いように考えるのでしょうか? 又は堪忍してねというシグナルなんでしょうか?

  不動産バブル崩壊はどのような形になるのか? これに加担する伊藤忠は何を考えているのか? 不思議な事が多過ぎます。

  政治に関心を。僕が覚醒しなかったのは、無関心過ぎたからだと、今は思います。政治は内政だけに限りません。幾ら日本が他国とは違えど、多少は影響を受けます。盲目というより、眼を瞑っていた時代の事を今知るなんて、自分で自分を呪いたくなる。

  目を覚ましましょう!