不明を恥じる m(_ _;)m | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


僕が石原慎太郎と出会ったのは、小学生か中学生の頃。彼と同年の腹違いの兄の持っていた「太陽の季節」を読んだ時からだ。後に読んだのは「青年の樹」だけだ。前著は後年、映画も観た。後著は当時、テレビドラマを観つつ、読んだものだ。森繁久彌と勝呂誉は未だに眼に浮かぶ。僕も含め共に若かった。

未だに彼の芥川賞に選ばれたことの理由が分からない。当時の田舎は湘南と比べあまりにも田舎だった。都会と戦前からの生き残り世代の思考は田舎には無かったからだろうか。両親の戦前についての沈黙も今だから類推出来る。

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Wikipediaより抜粋、抜粋

石原慎太郎
生年月日 1932年9月30日(82歳)
出生地 日本兵庫県神戸市須磨区

ベトナム戦争を取材した経験から政治家を志し、1968年(昭和43年)に参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選。1972年(昭和47年) には衆議院に鞍替え出馬し当選、以後当選8回。
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慎太郎、裕次郎兄弟が小樽で少年期を過ごしたのは知ったのは何時だったろうか?

彼が初当選時は高校を卒業した年で有り、昼は呉服問屋、夜は夜間短大を小樽で過ごしていた。只彼に対する妬みと嫉妬だけで有ったような気がする。

職場の先輩から司馬遼の「竜馬がゆく」を勧められ読み始めた頃か?竜馬が今、広く知られ、英雄視されるのには納得がいかない。

ざっと70年程、名も無き維新の志士を持ち上げたのは何か、誰かの意図が有ったのか? 司馬の情弱は自伝的な文章(?)で知った。軟弱な関西人そのまま。

司馬の記念館?らしいものは自転車で数分。此処へ越して来てから十数年。段々行く気が失せてるのは何故だろう? 積極的に行こうという気にはなれない。日本人として覚醒すると彼には違和感を覚えているのが判る。司馬史観なぞクソ喰らえ!


本題に戻る!
今日(2014/10/30)の質疑。憲法前文についての彼慎太郎の発言。

※※ 憲法前文から抜粋 ※※
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
※※※※※

助詞の使い方は微妙であり、間違えると頓珍漢な事は日本人なら自分が使った使わないに関わらず、誰しも覚えが有る事だ。

ここの「に」は「を」だと慎太郎は主張した。

他人にカネを貸す場合
①あなたに信じて
②あなたを信じて

普通①は有り得ない。あり得ると思うあなたは日本人では無い!

たった一字を「変えてみてはどうか? 歴史に残るよ」と安倍ちゃんに質問した。制約された憲法改正には安倍ちゃんにも肯定的には答弁出来なかった。

他国人が造った憲法である事がハッキリ認識出来たのは僕だけではないだろう。

僕の兄は除外して、戦前の教育は僕等とはひと味も二味も違っているのを思い知ったのは僕だけか?

最後に兄について。
兄は反面教師だった。教育の質は僕の比では無かった。でも彼は田舎の旧制中学生に過ぎなかった。志と言えるものは無かったか有ったか判らないが、ある日突然、右と教わった物が左と言われたなら、狂ったろうと同情したのは何時だったろうか?

でもヤッパリ、彼 兄は日本人だ。血は裏切らない。