煙突日記~煙に巻かれて突撃します~ -7ページ目

温泉津へ。

 ちょっと前ですが、お酒造りの大先輩のお宅へ。手土産は「よだれかけ」もいいかと思いましたが、蔵人は酒だろっつーことで純米原酒を。

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今年、この先輩に男の赤ちゃんが生まれました。只今、生後5ヶ月くらい。

『う~む、いかん、めちゃめちゃ可愛い...。』

 あの酒造りのストイックさとは無縁の存在。

お風呂場から先輩がご子息をあやす声が聞こえてきます。

『あ...あの人が、あんな明るい声であやしてる...。親父になるってすごいことだ。』

 自分も初対面ながらお風呂上りのご子息を、全力であやすうちに晩酌開始&自分のあやしネタに飽きた赤ちゃんは大泣きで、奥様が2階にお連れに。

 生もとや速醸もととか見学をたっぷりとさせて頂きましたが、一番心に残った先輩の言葉。

「これからは造りの最中でも、幼稚園の送り迎えをしなきゃならんのだよなぁ...。」

 

掲載して頂きました。

エンターブレイン社発行『旨い純米酒が味わえる店』の「藤田千恵子選 自作米で醸す純米酒20本」に『天穏 純米無濾過原酒』を載せて頂きました。
 
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H.21BY・・・今から言うと、今年の3月に搾ったお酒を約半年寝かせて出した純米酒の無濾過原酒タイプです。

 天穏の前杜氏であり、わが師匠である長崎芳久杜氏が、ご自分の田んぼで島根の酒米『改良雄町』を作られ、そのお米を70%に精米し、岡田が好き勝手に完全発酵させた純米酒。

 今日、そのおやっつぁんが近くに用があったということで来社され、麹室からもとから一通りみて頂きました。

 ポケットに手を突っ込んで、胸を張って下を見ながら、造りの近況説明に頷かれる姿にはいつもながら緊張します。

 長崎杜氏の杜氏引退への姿勢については、自分なりに述べたいと思います。

 お帰りの際、会社からこの『純米無濾過原酒』を頂かれたようです。

「これ、おやっつぁんの改良雄町の酒です。原酒というのもあってちょっときついかと思います...」と予防線を張っておきました。

「奥様にもどうかよろしくお伝えください。」と一番言いたかったことも伝えられました。

来月にも来てくださります。

おばば宅訪問

 高齢者の方々のお宅の火災のニュースを聞くようになり、『うちのはどげしとーだらか...』(「わたくしのお婆様はいかがなさってるのかしら」の出雲弁)とちょっと気になったので夜に顔を見に。

お婆「お茶飲んかや。」
(お茶飲まれますか?)

僕「お、もらーわ。で、あの裏のSさんとこのお婆どげしとらいや?」
(えぇ、頂きます。ところで、お宅の裏にあるSさん宅のお婆様はいかがなさってますか?)

お婆「いやさ、そーが最近ほんにぼけらいてな、おらんとこにも来らいだども、何べんもおんなじやな事しゃべらいて、くたべていけんわ。だけん、あんま会いたないだ。」

(それがですね、最近になって本当にぼけられてしまってですね、私の家にも来られますが、何回も同じようなことを話されますので、疲れてしまってたまりません。だから、あまり会いたくないのです。)

僕「さ、やれんねぇ。」(それは大変ですね。)

とまぁ、大正13年生まれの婆様はお元気な様子。朝の5時には起きておじじの写真が置いてある仏壇に手を合わせ、毎日、新聞を読んでおられます。

で...元気の秘訣がこれ...。前から知ってたけど続いてるようなので、いざブログアップ。

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お婆「もくで飲ますこにな、梅干と砂糖いれて湯で割ってのんわね。」
(そのままでは飲まずにですね、梅干と砂糖を入れてお湯で割って飲むのです。)

末端も末端、最末端の『お客様』との触れ合いです。「そりゃ、焼酎の飲み方じゃねーかよ。」とは突っ込みません。

お婆「これやーとな、体がかーっときて、よーねれーず。」
(このお酒を飲むとですね、体がかっと温もって、よく眠れるのですよ。)

 おじじがソ連によるシベリア抑留を生き残って満州から日本に帰ってきてから再婚したお婆なので、僕とは血はつながってはおりませんが、ただ一人のお婆です。

 春になったらドライブに連れて行ってあげたいと思います。

島根の人

「河井寛次郎」という島根県は安来市の出身の陶芸家がいました。

『民芸運動』というものを自分は明確にはいえませんが、一般庶民が古くから使っている日常生活用品の中にこそ健康な美がある、という考えのもとに、生活陶器を作る小さな窯元の作品(というか商品)を見直す、というか何と言うか、そのような流れがずっとずっと昔にあったようです。

 その運動の中心的な人物として、わが島根出身で京都で作陶されていたのが前述の方。詳しくはこちらを。
http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/

今年は生誕120周年ということで、島根や京都で多くの作品展があり、自分も先月に安来の和鋼博物館と松江の県立美術館に行ってきました。

先日、その人が書かれた『いのちの窓』という本を大切な人から貸してもらいました。

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この人は陶芸だけでなく、木彫りや書など様々な作品を遺されており、多才な方だったことを窺い知ることができます。

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『これはこれ 嘘を借りなければ 表現出来ない真実』

『美を追はない仕事 仕事の後から追ってくる美』

『機械は存在しない 機械は新しい肉体』

『生活の花-文化 慧知の実-文明』

などなど、自分には分かるようで分かりませんが、考えさせられる言葉がたくさん綴られております。

 出雲にも「出雲民芸館」というものがあり、そこのしおりには次のような言葉が書かれてます。

『民衆的工芸品は 名も無い民衆の間で親切に作られ よく働き保ちのよい品物』
『健康で簡素な美しさをそなえ 誰でも何時でもの生活に結びついている』

出雲でお酒を造る自分も仕事をする心構えとして分析室に貼ってます。

大好きな言葉です。

酒母プレイバック

 自分が天穏に入る前に、天穏でもと屋をされていた方が記帳されていた『酒母経過簿』を見直してます。
 
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 写真は、平成11酒造年度。240Kの白米で仕込んだ4本目の酒母です。

普通酒の「2個もと」というやつで、半分の120Kずつ1本のもろみに使うわけです。

 数年経てば筆跡も品温経過も変わり、もと屋さんが変わったんだな、と思うわけですが、その中にボーメの切れも素晴らしく良く、酸もそれに伴ってきちんと出ており、『お~、これがこの人の速醸もとの真骨頂だべな』と、勝手に感動させてもらえる経過表も中にはたくさんあります。

 そこで気づいたのが、240Kや120Kの弊社としては比較的大きい酒母ではそのような『いい酒母』だろうなぁと思わせるものが多いのですが、90kやもっと小さい仕込みのものになると、う~ん、それはもろみに行ってから苦労するだろうな、という鈍い酒母が見られる。 

 それは、自分がもと屋だった17BYから今までもそういう傾向は感じてました。

前のと今の経過簿を細かく見ていくと気づく点がいくつか。

 暖気の温度と時間しか記入されてはいないけど、少量だから暖気の温度を1本目から下げたんだな、とか色々と。
 
 最後に、H.22BYの愛しの協会7号、701号、K-1酵母君達へ。

 『ジェットコースターな淘汰作用を楽しみにしといてくださいね。』