ワイドスクランブルさんも1930さん宛らになっているが、やはり末延さんや吉永さんのお言葉が響いてくる。
日曜スクープさんでもそうだが、末延さんは全体を見つめ、認識された上でとても明確なお話をされるので、心にストンと落ちてくるし、共感させて頂くことも多い。
立場云々ではなく、指摘するところはズバッと。
考えさせられる。
テレビを視聴しておると、最近は印象操作なのか、お商売絡みなのかは知らないが、メディアもCM(最近はなくなったが)も一斉に右倣えになっていて違和感というよりも怖い気がする。
まるで号令がかかって、総動員みたいになっている。
各々のカラーが薄れる。
そして、少数意見を無視する。
どちらもタイムとか同じような言葉を使い、同じV、ネタを使ったり。
自分達の予想はあくまでも予想であって、こちらにとっては嬉しいことでも、全てが同じ想いだとは限らない。
支持する人のためだけにやればいい、みたいな風潮になってはいないのか…
これが偏向報道というものなのか…
大事なニュース、話題を取り上げることは忘れてはいけないし、やらなくてはならないことだと思う。
ただ、このような姿勢がテレビ離れに繋がってゆくように思って観ている昨今。
一般論として、何でも同じだとつまらないし、飽きるし、押し付けられて次第にストレスになるし、仕舞にイメージまで悪くなることはある。
それも当人が悪いのではなく、例えチクリとされても、その人に便乗する取り巻きであろう。
という議論をした昨今。
だから、そういうものから離れることを選ぶことになるのかも知れない。
それとは異なり、大臣が「マイナ保険証を使えない医療機関を通報せよ」と発言されたり、官僚さまが民の発言を遮った、等ということは記事で見ているが、テレビではあまり取り上げられていないようにも見える。
国民に奉仕する職責を担う立場の人の民に対する姿勢も疑問であるし、通報が密告に聞こえて、これまた戦前戦中を思い起こす。
そもそも器械の問題ではないだろう。
それに、先週くらいから色々と持ち上げ出したところがあるように感じていたが、その思いも強くなる。
確かにそうなのだろうが、「どうせやるんだから」と特定の会社の名前を持ち上げられても、「この言い方が一強独裁を招く」とも感じる。
「どうせ」って投げやりな言葉であり、無関心で無意識みたいなものに思える。
でも、会社の立ち位置が表れるように見える。
わたくしからすれば、エンタメバラエティーは笑って楽しむためのものなので、それはそれで受け入れている。
余程のことがなければ、そこは報道とは離して観たいと思っている。
とにかく、メディアには頑張って頂きたいと思う反面、ニュースという面では、少しずつ信頼が崩れてきたようにも感じる。
NHKの新番組『時をかけるテレビ』さんで、ルワンダの悲劇のことを取り上げてらして、そこでいくらでもメディア媒体や言葉が人々を洗脳し、恐怖や悲惨な状況を作り上げるということを改めて感じた次第。
NHKさんで取り上げていたはず。
核心的な言葉を使わなくても、ラジオで言葉巧みに人を変えてしまう。
恐ろしい空気を蔓延させる。
そして、行いに加担させる。
日本の政治やメディアも同じことではなかろうか…
大切な精神、確たる部分は残るだろうし、古き良きもの、名物も残るものであろう。
伝統文化にしてもそうだと思う。
そこに新しいことにチャレンジしながら、革新し、更に面白いものを提供し、感動させる。
それが対象のため、自分達のためにもなる。
そこには組織、お仕事としての役割があると思う。
「立場が人を変える」というものでもあるが、それは良い意味でも良くない意味でも変えるということかも知れない。
「立場が人を育てる」ということも実感しているが、それはトップの姿勢や環境にもよるであろうし、役割認識を深めることができるからでもあろう。
ただ、様々な職業があり、求められることが違うと思うので、ある程度の経験を積んで、スキルを高める必要がある分野もあるように思う。
言われたことだけやればいい、とはならないこともあるやも知れず。
可笑しいと思っても、何も申せない。
申したら申したで、左遷になるかも知れず。
そのような中におれば、それが当たり前になるのかも知れないし、おかしいとも思わなくなるのかも。
まぁ、器が大きい程聞く耳を持ってらっしゃると思うし、実際そうだったとも思う。
お仕事で良いものを目指したい、という信念や実直さがあり、逆に私腹を肥やすということもない。
また権力を握り、独裁者になりたがる人は、何も言わず、何でも言うことを聞く人を引き上げては従わせるように仕組み、周りを固め、自分の天下を築こうとする。
可怪しいと物申せば、扱いづらいと人事異動をしたりする。
立場とは、そのようなことでもあろう。
やることをやって、申すことは申す。
そうして、より良くするために業務改善をしたり、改革したりすることで、対象にも自分達にもプラスになることもあるのではないか…
これまでの中で、一番リスペクトしていた部長さんが「素直」と記したメモをデスクに置いておられたが、それは何故かと問うと、「素直にならないと色々なことを学べないから」というお答えを頂いたことがあった。
要するに、素直にならないと耳も目も閉ざしてしまい、何も入ってこないし、自分はもっと知りたいし、まだまだ学び足りない、ということだと。
決して押しは強くないが、お優しい物言いにも芯を感じることができる。
その上、部長室のドアは開けてあり、「皆が入ってきやすいように」とのことで、常にお話を聞いてくださるお心構えもお持ちであった。
その部長さんに「私は患者さまのために良いことをしたいし、良いものを目指したいので協力してください」と仰られると、こちらも「それはひと肌脱がなくては!」と思える。
もちろん、言われなくともやることはやるが、心持ちとパワーが上がるし、新しいことを導入したり、試みたりすることも増えたように思う。
これも人心掌握術だろうな、と。
わたくしが調子を崩した時にはすぐ休養が取れるように動いて下さり、更に夜勤のないセクションに異動して下さったりと、充分な配慮も頂けて感謝している。
お話は飛んだが、メディアが特別な役割や特権を持っていることに違いはないのだろうと思う。
わたくしは個人的には、前々政権から随分メディアは政権に忖度するようになったと思っているし、テレビの流れも変わったとも思っておる。
それまでは、あまり気にせずに楽しんでいたが、何か空気が変わったような。
時の総理が自分のイメージをひどく意識されていて、そのためにネットテレビや配信もよく利用されていたように思う。
そこから「あんな人達に負けない」という言葉も出てきた。
自分達を応援しない人は国民であろうと敵。
味方をする人には手厚く。
更に、鋭い質問をされるとお偉い方々がいらつき、キャスターさんに睨みを利かせる場面も目にしており、その後の動きにも疑問は持つ。
政権にズバリ物申してきた方も、今になって民主党政権をとやかく言ってらっしゃるとすれば、なるほどとは思う。
各々、個人の事情もあれば、日々考えや立ち位置が変わるのは不思議ではない。
人はまた、そのようなものなのだろう…
専門家やジャーナリストさんではブレない方々はおられるので、そこは支持しているところ。
完璧であれる訳はなく。
ただ、これからもメディアには頑張って頂きたいという思いである。
ところで、コロナが流行ってきた模様だが、これも「どうせ」になるのかしら…
どうぞお大事に…