放任主義と言われる理由の一つか?
こんにちは。お受験ワーママのいおりです。
現在私立医学部の長女が、通っていた御三家。
女子御三家といえば、勉強については比較的放任主義で好調な進学はT緑会頼みとまで言われ(先生ごめんなさい)、最近はそんな御三家を避けて面倒見がよい学校(例えば豊島岡など)を選ばれるご家庭も増えてきているという話も聞きます。
うちの場合そのような話は知った上で入学しているため、私はその点は気になりませんでした。私は高校はユルいくらいのほうが無駄がなくてよいという考えだったからです(あ、御三家は全然勉強させないという意味ではありません。宿題が少なめとか、居残りといったものはほとんどありませんでしたので、そういう意味です)
というのも、私自身、高校3年生のときに、学校で受験には直結しないような勉強までもがっつりさせられて大変だったからです。大学受験は、それぞれ目指す学校によって試験対策の内容は変わってくるので、画一的/総花的な支援だったらないほうが負担がなくていいんじゃないかなーと思っていました。女子は全部こなすほど体力もないですし。(逆に、個人に合わせた支援だったらすごーくいいと思います!あ、通っていた私立小のように、漢字や計算など基礎学力についてであれば「みんなで頑張る!」が向いていると思います。)
そんな考えの私ですが、御三家で一つだけ何とかならないかなーと思ったことがありました。
学期ごとに渡される「通知表」です。
通知表だけど、情報が少ない。
コロナ前のことなので今どうなっているかわかりませんが、当時は1学期ごと、学校において対面での個人面談(親のみ)が設定されていました。平日、10分程度の短い面談なのですが、これがまた午後3時からとか中途半端な時間帯だったりし また個人面談の数日前には保護者会もあったため、ワーママにはなかなか厳しい設定でしたが、毎回都合をつけていきました。
個人面談では、通知表をちらりと見せられてその状況を先生から説明されるのですが、この通知表。最初に見たときは、少しびっくりしました。
まず、A4横の白いコピー用紙ペラ1枚に普通に印字!
通知表って何となく厚紙のイメージだったんですけど、私だけですかね?他のプリント類にまぎれてどっかいっちゃいそうな存在感。担任の先生の印鑑が押されてるので、なんとかほかのプリントとの違いは認識できるものの、私自身コピー用紙の通知表をもらった記憶はなくて、最初見たときは「先生の手持ちを見せてくれたのかな」と思ったくらいでしたちなみに小学校のときは、小さい紋が入った色つきの厚紙で、校章が印刷されていたりしていかにも「通知表」って感じでしたから余計びっくり。
しかも、コメントは何もなく評価数字が書いてあるだけ!
勉強バリバリ私立小のときは、教科ごとのコメントのほか生活の様子などについてもコメントがありました。中学は生徒数が多いので、そこまで希望していたわけではないのですが(そのための個人面談なのでしょうし)、部活と休みの日数が書いてあるのみ。正直なんにもわかりません。
「10段階ですが、5だとマズイ感じです(by担任)」
私が最も?だったのは、学校のなかでの勉強の立ち位置が不明ということです。
比較的よい数字が並んでいたものの、クラス順位や学年順位などの記載が一切ないため、私は念のため先生に聞きました。
「先生、10段階のどこからが喜んでいい数字なんですか?」
「うーん、5だとマズイかな、それより上なら良いと考えてください」
「え???まんなかが5ではないんですか?」
「違います。」
「あ、そうなんですね(国語8でめちゃ喜んじゃうとこだったよ!)」
つまり、高い値で団子状態になってしまっている様子。そんな感じなので、多少の成績の上下くらいでは評定は変わらず親は危険信号をキャッチできない、ということです。結構、こわーい。
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このような通知表の形式やつけ方に、私も最初はビックリしましたが、長年このスタイルで続いているということは、「そもそも学校内の成績をそこまで重大なことと認識してない(学校も親も)」ということなんだろうな、と自分では理解して、意識をスパッと切り替えました。
T緑会のクラス判定のテストや他塾の模試など、基準はほかにいくらでもありますし、そもそも大学受験は日本全体での戦いですから、そっちの考えのほうが正しいですしね。
でも「通知表」をもらって帰る日のドキドキとか、そんなのもちょっと欲しい気もする昭和母なのでした
☆いおり☆
いつも応援ありがとうございます。
新学期が始まりましたね。電車のなかで慣れない革靴に靴擦れして困っている様子の一年生に、思わずバンドエイドを差し出してしまった私です。でも驚かせてしまって反省…。
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