龍安寺の蹲踞(つくばい)を前に、親子の価値観の違いを知る。
こんにちは。お受験ワーママのいおりです。
数年ぶりの受験生のいない穏やかな年末。娘二人を連れて家族旅行に京都へ行き、メジャーどころを回ってきました。
というのも、公立小中出身の私は、修学旅行といえばどこの学校も京都奈良に行くもんだと思っていたのですが、娘達の私立小では九州(目玉が飛び出る旅費!)でした。長女は、御三家で中学の修学旅行は東北でしたし、高2の修学旅行は京都奈良の予定だったのですが、コロナでキャンセル(これは可哀そうだった)。次女の中学の修学旅行も九州の予定、ということで、逆に世間知らずな状態になっていたからです(これは親が連れていけってことかしら…と判断しました)。
石庭で有名な龍安寺。文系母、蹲踞の意味に熱弁をふるう。
「中央の水穴を「口」の字に見立てて、周りの四文字と共用し、「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)と読む。これは釈迦が解いた「知足」(ちそく)の心を図案化した仏教の真髄」(龍安寺HPより抜粋)
母「今の自分が持っているもので、満ち足りているって思えば、もし貧しくても心が穏やかで幸せだけど、逆に、いくらたくさん持っていても、あれも足りない、これも足りないって満足できない人はいつまでも幸せになれないってことだね。」
姉妹「ふうん…」
母「ママ、小学生のときにこの言葉を知って、人生救われたんだよ。中学受験したかったけどお金がなくてダメって言われてがっかりしたんだけど、いや、公立中でもご病気とかで行けない子もいるんだから、満足しないといけないなって」
姉妹「へえ…」
母「高校でもね、友達が海外留学してね、ママはずっと、行きたかったからすごくうらやましくてねえ。でも、このときも、日本でも英語の勉強ができるんだから、満足しないといけないなって思ってね。」
姉妹「フーン…」
旦那「…苦笑。この人達、君の言っていること全然わかってないよ。そもそも君みたいなハングリー精神ないでしょ。足りすぎてっから」
母「え?どういうこと?」
姉妹「うん。ママさっきから何言っているか全然わかんない。私達、もう満ち足りていて、幸せだけど?ダメ?(キョトン)」
母「なるほど、それは刺さらないな!!」
お釈迦様もビックリ「もう足りてますが、何か?」
うすうす気が付いていましたが、私が先回りして与えすぎてしまったから、こういう子になってしまったのかなあとちょっと考えてしまいました。決して無気力というわけではないのですが、満ち足りているから、喉から手が出るほど欲しいもの、がない(もしくは、おなかがいっぱいだから、見つけたいとも思わない)。
あと、よく「金持ち喧嘩せず」っていうじゃないですか?これも、つまりはこういうことなのかなあと。
ご三家も一貫校も、収入がわかるような話は父母の皆さん避けられますし、子供の金銭感覚も非常にまともですが、まあたぶんかなりお金に余裕のある方です(うちは、共働きで授業料のため必死に働く一般企業のサラリーマンなので、金持ちではありませんが)。
どちらの学校も、子供同士で足の引っ張り合いをするようなことは本当になくて、家でも「あの子はこんなところがすごい」とほめたり、学校でも「私のことみんなが褒めてくれる」そうで、私から見ると不思議だったんですが、たぶん、ウラヤマシイとかネタマシイとかいう気持ちがないから、争いにもならないのかなあと。
もちろん、本人の能力が高くて自分に自信があるとか、そもそも性格がいいとか、親の育て方がいいとか、いろいろとほかの要因もあるのだとは思いますケド…。
私は公立中でひどい目にあったので、卑屈ですみません。
もう母は子から卒業し、自分自身に注力して参ります。
次女が、4月に一貫校の中学に入って以降も、私は「大学進学が決まっている分、何か他に必死になれるものを探すべきだと思うけど、あなた何が好き?」とか「学校で海外留学プログラムがあるから、それに手を挙げたらいいと思うよ」とか言い続けてきました。
留学プログラムに至っては、本人全く行く気ないと言っているのに、いつか行きたいと願った私だけ保護者向け説明会に参加という始末。
馬を水辺につれていくことはできるけど、水を飲みたくない馬に水を飲ませることはできない、と言うのにね。
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どうも、ハングリーなのは母だけのようです(全然足るを知ってないじゃん、っていう話は脇においてください)。でも、そのおかげで、ここまでたどり着けたとも思っています。
もう今年は子から卒業し、「自分人生1年生」として気分一新スタートしたいと思います。
☆いおり☆
地震や事故で被害にあわれた方々に心よりお悔やみ申し上げます。
今年もよろしくお願いします。4日から仕事はじめ、いってきます。
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