まず

お気に入りのコーヒーショップで

お気に入りの豆を買う

わたしの好みは

一応  マンデリン だけど

さりとて   目を瞑り

他の豆のコーヒーを  飲んだとて

違いがわかるほどに

こだわりがあるわけでもない



ポイントは  

お気に入りのお店で  わざわざ

という  手間

その手間が  このコーヒーは

どうやら  美味しいらしい という

ムード  と  オーラを  

産むのだから







次に

良き清水を  手に入れる



街中の神社の井戸だとて

侮ることなかれ

意外に  遥か彼方の遠い名山からの

伏流水が  流れてきている

ということも  あるらしい







珈琲豆を 挽き

フィルターをセット

珈琲は

たまにいただく方だから

ネルではなく  

お手軽なペーパー派

そこに豆を入れ  平らに慣らす



銅の細口ケトルで  お湯を沸かし

お豆に  ちょんちょんちょん

又  ちょんちょんちょん  と

お湯を差し  1分くらい蒸らし

そのあと  フィルターの真ん中から

の  の字に  

外側の土手は残し

お湯を  細く細く  注ぐ

お豆が  ふわふわと

盛り上がってくる

このふわふわが  大切

ふわふわを  潰さないように

そっと  注ぐ



少しでも多く  と

主婦なわたしは  ついつい  多めに

お湯をダバダバに

注いでしまいたくなるけれど(笑)

でも  そこは  ぐっと  堪え

ぐっと  注ぎ過ぎない







そういえば

生きるということも

珈琲を淹れることと

少し  似ているかも



わたしは  フィルター

わたしは  お豆

なのだとしたら







いい清水を選び  沸かし

過程を  丁寧に  丁寧に

わたしの中に

お湯を  落とし  

現実を  落とし

佳き思いを  落とし

珈琲を  淹れる



とぽ  とぽ  とぽ







ああ   

美味しい



五臓六腑に  

染み渡るなぁ



汲みたての清水を

現実を  

丁寧に  丁寧に

わたしに通して

淹れた  

わたしの中の  美しい  真実