このブログでゲームと釣り(?)の記事を書いていると、俺の子供時代を振り返ることが多くなってきた気がする。
ゲーム(ファミコン)も、釣りも、子供の頃(釣りにハマったのは高校生…)に夢中になってやっていた遊びだ。
ついつい当時の俺を思い出してしまう。
懐かしくもあり、ホロ苦くもある。
なので、『ゲーム』(レトロ)、『釣り』(野池)と並んで、俺の『子供の頃の“思い出”』を書いていこうと思う。
別のブログで『#無所属少年』として書いていた話とカブるかもしれない。
もちろん、ゲームや釣りの記事も書いていく。
今の俺は40歳を過ぎて、実家暮らしの独身男(毒男)だ。(そろそろ自立する予定…)
過去には会社を解雇になったり、病気(脳腫瘍)になったりしながら、どうにか生きている。
地元(浜松)には友人は少ない…。
家族、職場では嫌われ続けている…。
趣味はレトロゲーム、釣り、プロレス、格闘技…。
金も、女も、人望も無い…。
病気の影響か、言葉も少し不自由…。
後は、時々浜松の街中を飲み歩く…。
下らない小説を書いたりしている…。
…う~ん。
冷静に自身を見つめると、どうしようもないバカだな、俺
…悲しくなってきた💧💧💧
なんで、俺ってこんな風になったのか?
その理由が、俺の“少年時代”にあるような気がする。
図書館少年
もしも、小学生の頃の俺の事を知っている奴がいたら、俺の印象は『よく図書館📚️によくいる目立たない奴』というものではないか?

図書館といっても、学校の“図書室”ではなく、市営(当時は浜北市)の図書室📚️に俺はよく入り浸っていた。
「本が好きだから」という理由も一つはある。
好きな本や図鑑の中に埋没するのは、心地よかった。
だが、別の理由は“居場所がなかったから”、“人間関係が苦手だったから”である。
詳しくは別のブログの『#無所属少年』で書いたので割愛するが、小学校低学年(2年)の時、俺は近所の友達と遊ばなくなった。
理由は『アイツらやたらと俺を“からかって”くる』という“被害妄想”だった。
今から思えば、俺の“思い込み”だと思うのだが、当時の俺は『…もう近所の奴らとは遊ばん💢』と決めていた。
(…と言いつつ、一緒にファミコンとかしていたような気もしたが)
で、俺が“逃げ込んだ”のが、市の図書館だった。
普通なら、自宅に“籠る”のだろうが、当時(小学校三年)、俺の父親は海外に単身赴任していて不在だったのたが、母と祖母の折り合いが悪く、その母もパートを始めていて、学校から帰ると自宅には祖母しかいなかった。
そして2歳下の弟は、俺とは違い、近所の子供らと仲良く付き合っていた。
どこにも居場所の無い俺が“逃げ込んだ”のが、その図書館📚️だった。
俺は暇だと、よく図書館に通っていた。
本を読むこと自体も嫌いではないし、星や地形の図鑑、よく分からないパソコン雑誌を眺めているのも悪くなかった。
(俺の図書館通いは小3~高3まで続く)
俺の家にファミコンが来たのは、小3の5月(GW)。父親が中国に渡ったのは前年の9月と、記憶している。
父親いないのなら、『ファミコン、やりたい放題じゃん?』と思うかもしれないが、その頃の俺はあまり一人でゲームをしなかった。
このブログで何度も書いているが、俺は
『ゲームはみんなで遊ぶもの』
という感覚がずっとある。
今は(43歳…)自室で夜な夜なレトロゲーム(ファミコン)に勤しんでいるが、当時は『一人でファミコン(ゲーム)』というが考えられなかった。
誰かとゲーム(ファミコン)したい。
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だが、一緒にゲームする友達が近所にいない。
⬇️
暇になる。
⬇️
だが、自宅にはいたくない。
⬇️
自宅を出て、図書館へ。
…となる。
要するに『居場所がなかった』のである。
自由になりたい!
『一緒にゲームする友達が近所にいない』と書いたが、実のところは近所以外にはいた。
近所の連中とはモメたが、小学校で仲良くなった他の地区の友達らがいた。
当初、放課後にはそんな友人らと遊んだりした。
だがすぐに俺は、違和感を感じ出す。
誰に「今日、サッカー⚽しようぜ🎵」と誘われたとする。
その時、俺はたまたま「今日はファミコンしたいなー」などと提案する。
すると、俺を誘った友人は露骨に嫌な顔をする。
友「俺、サッカーがしたいんだけど…」
俺「じゃ、俺はいいや。また誘って」
友「なんだよ💢 来ないのかよ?」
俺「ああ、俺、家でゲームしたいから」
友「…もう誘わねぇよ💢」
こんな展開になる。
逆に俺が「今日、サッカー⚽しようぜ🎵」とその友人を誘うと、
友「今日はソフト野球⚾(ゴムボールを使った野球)しないか?」
俺「へ? …いや、俺はサッカー、したいなー」
友「なら、お前だけでやれよ💢」
こんなやり取りがよくあった。
俺はこんな展開に強い不満を感じていた。
別にその友人の事が嫌いなわけではない。俺は俺のしたい事を主張しているだけで、無理して付き合ってほしいわけではない。希望を口にしているだけ。相手が「嫌だ」というなら、その日はもう遊ばないだけだ。
ファミコンにしろ、サッカーにしろ、またタイミングの良い時に一緒にやれば良いだけの話ではないか?
なのに、友達は何故怒る💢?
自分がしたいのならば、勝手にやれば良いではないか。
俺がそれに加わりたければ、勝手にそうする。加わりたくなければ、やはりそうする。
それだけだろ?
何故、それを“強制”する?
俺に選ぶ自由はないのか?
俺が好き勝手に遊んだらダメなのか?
俺は別に、他の友人に強制も強要もしないだろ?
…今から思えば、俺は他人との“関わり方”に悩んでいたと思う。
近所の幼なじみらと“断絶”し、自分の“価値観”で行動したかったのだ。
小学校では、それなりに上手く立ち回っていたような気もするが、基本的に自分の“意識”を優先されたかった。
原点
この頃から俺は既に、他人と“付き合い方”がわからなくなっていたのかもしれない。
自宅に帰っても、“独りきり”
家に一人(祖母はいたが…)でいるのも苦痛。
だが、友人は“俺の勝手(自由)”を許さない…。
なので俺はよく図書館📚️にいた。
と言っても、常にいた、というわけではない。
やはり友達とスポーツやゲームで遊びたい。
…なので、かなり“人を選んで付き合う”ようになり、さらに学校の“いろんなグループ”に顔を出すようになった。
俺が「今日、遊ばない?」と尋ねると、気軽に答え、逆に誘われて、俺が断っても怒らない友人…。
そんな友達を選んで付き合うようになる。
俺はこれを“無所属少年時代”と勝手に呼んでいる。
どのグループにも所蔵せず、日ごとに遊ぶ友達を変えていた。
いろんなグループと付き合い、気軽に離れたりしていた。
で、たまに図書館に潜んだり…。
この頃の俺にはそれくらいの人間関係がちょうど良かった。
他人からは『変な奴…』と思われていたのかもしれなかったが、それで良かった。
その方が俺は気持ちが楽だった。
どうも“友達”という関係性は、俺には重すぎた。
だが、友達は欲しかった。
そんな俺が“編み出した”(?)のが、“無所属”という“やり方”だった。
何だか、今の俺みたいだとも思う。
どうも仲間は苦手だ。
組織は堅苦しい。
会社は、頭に来る奴ばかりだ。
グループで威張る奴は大嫌いだ。
ならば、分かり合えない他人とは“関わらなければ”良い。
しかし同時に、人間は他人と“関わらなければ”生きてはいけない。そんな事もうっすらと分かっていたような気がする。
だから、“無所属”として他人と関わる事にした。
苦手な人には近付かない。
楽しそうな奴らのところには、顔を出す。
そんな生き方の原点が、この少年時代にあったのかも?
そんな“無所属時代”は、小学三年~四年生の終わりまで約2年間続いた。(厳密にはその後もだが…)
次回から、そんな中で“仲良くなった友達ら”とエピソードを紹介していこうと思う。