【沙羅曼蛇の神様?】
あれは、俺が小学高学年の頃(だと思うが)、初めてファミコンソフトを“新品”で買った。
シューティングゲームであり、
ともサン(あだ名)の家で観ていた『グラディウス』とよく似ていた(続編?)
アイテムを取って自機がパワーアップするシステムなど、そのままだった気がする。(やはり続編?)
“満を持して”購入してもらった『沙羅曼蛇』だったが、反射神経が人より鈍く、ゲーム下手な俺にこのシューティングゲームはかなり厳しく、1ヶ月もせずに“ギブアップ”寸前まで追い込められていた。
とても『俺のゲーム』にはできなかったのだ。
1面は突破できるものの、早くも2面で躓きまくり、ほとんど3面を拝めた記憶がなかった💧💧💧
己の腕の悪さを棚に上げ、子供の俺は(…こりゃムズ過ぎだ!)と、ゲームの難易度の責任にして“逃げていた”


そんなある日、それでもなんとかしようと、この『沙羅曼蛇』をプレイしていると、こんな俺に奇跡
が起こる。
なんと、いきなり残機が200機以上に増えたのである。
俺は狂喜乱舞した。


どうして、そうなったのかは分からなかったが、とにかくいきなり残機が激増した。
俺は思った。
(“沙羅曼蛇🐍の”神が、ひたすらゲームに勤しむ俺に奇跡
を起こしてくれたのだ! このゲームを俺に『クリアせよ✨』と言っているのだ!)
普段、神の存在など全く信じていない子供の俺だったが、そう思えた…。
【神の名は…】
…前回の『グラディウス』の記事を読んだり、ゲーム好きな方は分かると思うが、これは“奇跡”ではない。
例の“コナミコマンド”(上上下下…)である。
『沙羅曼蛇』は、おそらくは同じKONAMIの『グラディウス』の続編(?)である。
裏技も共通だとしてもおかしくはない。
この裏技コマンドを打ち込んだので、残機が激増したのだ。
それは“ともサン”の家での『グラディウス』の残機倍増と同じだ。
だが、俺はこのコナミコマンドが沙羅曼蛇に使える事ら知らなかったし、打ち込んでもいない。
では、誰が?
答えは明確だ。
弟である。
思い起こせば、この日俺は弟と共にこのゲーム(沙羅曼蛇)をしていた。
残機が増える直前、弟がコントローラー🎮を握っていた記憶もある。
弟がコナミコマンドを打ち込んだのではないか?
だが、隣にいた弟は俺にそれを一言も言わなかった。俺と同じく「スゲー! 何で?」と驚嘆していた。(と思う)
おそらく“フリ”だ。
何故、そんな事を?
このからは俺の勝手な想像なのだが……、
突然兄(俺)が、親にせがんでファミコンソフトを新品で買ってもらい、「これは“俺のゲーム”だぁ!」と言い出し、やらしてくれない。しかし、兄はプレイし始めたものの、全く先に進めず、諦めかけている。
弟としては酷く情けなく思ったのではないか?
俺はよく弟とファミコンをしたが、このソフト(沙羅曼蛇)だけは、「これは“俺のゲーム”だ!」と言って、
触らせなかった。
(愚か兄…)
…ちなみに弟は、俺より遥かにゲームが上手い。
この『沙羅曼蛇』など俺より簡単にプレイ出来たのかも知れない…。
そこで、弟はどこかでコナミコマンドを聞いて、俺の隣でこっそり打ち込んだのでは?
で、自分は素知らぬフリをしたのでは?
あくまでも“偶然”増えたように見せかけ(…そんなわけないのだが)、兄(俺)の“プライド”をカバーしたのではないか?
つまり、これはゲーム下手な兄(俺)を見かねた弟から、
「兄貴よ、残機を増やしてやったから、このゲーム(沙羅曼蛇)、さっさとクリアしちゃえよ…」
…というメッセージだったのではないか?
“神”は、俺の隣にいた“弟”だったのだ。
今でもたまに弟に会うが、この事を確認した事はない…。(怖くて聞けない…)
聞けない無いが、たぶんそんな気がする。
俺がそう思えるようになったのは、この頃より随分、後のことである。(中学生になってから?)
この時は突然、起きた奇跡にただただ感激していた。
…そして、俺は激増した残機をもってしても『沙羅曼蛇』をクリア出来なかった💧💧💧
それを隣で見ていた弟はどう思っていたのだろうか?
【憧憬の先に…】
俺はゲームが下手だった。(…今もかな?)
弟が兄(俺)を思って、こっそり増やしてくれた残機を、愚かな兄(…もちろん俺)は瞬く間に使い切り、敗れ去った…。
…6面くらいまで進んだような気がしたが、“炎🔥の壁?”みたいなポイントで敗退した


…全く持って情けない兄である。
まるで、ドラマなんかである『弟から金を借りて事業に失敗した兄貴』だ。
この後、俺はこの『沙羅曼蛇🐍』を諦め、結局は中古で買った『くにおクンの熱血ホッケー部』(FC)にハマる事になる。
ちなみ…というか、やはり弟は、俺よりはるかにこのゲームが上手かった。
だが、『俺だけのゲーム』が欲しい俺は、そんな弟とよく兄弟喧嘩⚔️をしながら、プレイしていた。
“あの頃”、弟がやたらとこのゲーム(熱血ホッケー部)で俺と喧嘩をふっかけて来たのは、兄(俺)に対する『沙羅曼蛇』での“悔しさ”があったのではないか?
『兄貴、しっかりしてくれよ!💢』
『兄貴、“勝って”くれよ! 何やってんだ!?💢』
…そう、俺に言いたかったのではないか?
『ゲームはみんなで楽しむもの』
(何度か書いたな…)
この“みんな”の最初は、間違いなく“弟”だ。
ゲームが上手い弟のプレイを横目に見ながら、時には戦い、時には一緒に遊んだ。
懐かしい子供の頃の思い出だ。
あれから30数年。
もう、さすがに弟とゲームはやらない。
代わりに弟の子供(甥っ子)たちが、時々俺の横でゲームをしている。
あの頃のままなのは、“情けない”兄(俺)だけなのかもしれない。
兄として、俺は“情けないまま”なのだろうか?
弟に、こっそり助けられていた小学生の俺。
今は“助けられていない”と思うが、どうだろうか?
今の俺は、心強く、格好良い兄に映っているのか?
…そもそも、昔もそんな風に見えていたかな?






