大河ドラマ『西郷どん』を観ていたから、西郷隆盛でいこうかな?
西郷の初期の所持金が、龍馬より多いのはおかしくないか?
龍馬は土佐城下の大店の次男坊。
西郷は、薩摩の下級武士。
龍馬よりはるかに貧乏だと思うのだが?
…なるほど。
だから、将軍とか老中などには面会出来なかったのか?
つまり、身分を上げていけば天皇、将軍にも会えるのだ。
…身分制度を否定するのが、明治維新の"一側面"ではないのか?
身分制度を使って要人に会うのは、本末転倒では?
さらに…、

やはり、説得して回る『説得RPG』なのだ。
しかし、西郷が尊王思想?
大河ドラマでも、西郷はそこまで尊皇家な描写は無かったが…。
現在でも西郷隆盛を疑問視する学説がある。
果たして、西郷隆盛はあのような人間だったのか?
実のところ、俺も『西郷隆盛(南州翁)の人物像は後年に作られたのでは?』と思っている。
このゲームでも西郷隆盛は尊王思想(勤王)になっているが、そこまで熱心な勤王派ではなかったと思う。
坂本龍馬は自身を『勤王家』と"擬態"して幕府の要人や、公家などの朝廷側の要人と合っていたが、
隆盛も自身を『勤王家』と見せていたのではないか?
隆盛自身の思想は、『農業振興』に近い。
『農業(米作り)が国の根幹であり、為政者はそれを推し進めるべき』という考え方を主流とし、それを基本に『現行の政府(江戸幕府)ではそれが出来ない』から、『天皇中心の"新しい"政治機構を作るべき』として倒幕に傾いていったのではないか?
つまり、幕府さえ無くなり、農業を推進してくれる"上"(為政者)さえいてくれるなら、誰でも良いのだ。
事実、幕末期の西郷隆盛は、京都において薩摩藩の代表として、朝廷、幕府、長州ら雄藩の志士らと際どい交渉を何度も行っている。
だが、倒幕し維新後の西郷は政治の場から遠ざかろうとしている節がある。
自身の考え(農業第一主義)を推し進めてくれる為政者(明治新政府)ができたから、西郷自身はそれに加わらなくても『大丈夫』と思っていたのではないか?
彼の希望は"新しい世の実現"では無く、"民百姓がよく働ける世の実現"であったのでは?
政治システムや外交などには対して興味が無かったのでは?
それが上手く運ばず、再び政治の舞台に向かった結果、引き起こされてしまったのが、
我が国最後の内乱『西南戦争』ではないか?
何故なら西郷隆盛という人は、その考えを実行し、交渉する能力よりも、『困窮者を放っといておけない』『弱い者いじめを許せない』というタイプの人間だからだ。(大河ドラマの通り)
だか、西南戦後銅像になったりして民衆に慕われた。
だが、それは西郷の一部分ではないのか?
過大評価では?
西郷隆盛自身は他人から頼まれると、断れない性格の"お人好し"な人間だった。それ故、人望が高く、斉彬などに好まれた。藩内、やがては勤王志士から期待されてしまった。
そこを人望の薄い大久保一蔵(利通)が上手く利用したのでは?
維新後、西郷は"無用"になったが、国内の支持は高く、今度は不平士族に"祭り上げ"られただけなのではないか?
西郷隆盛の政治思想から『農業第一』を抜いたら、それは彼を引き上げてくれた島津斉彬の思想になる。
斉彬は日本が欧州列強に狙われて(特にロシア)いるのを感じ、"新しい政治機構"の存立を願っていた。
(別に倒幕を期待してはいない)
だから、このゲームでも尊王でもなく、佐幕でも無い『公議』なのだ。
(斉彬が"民主制議会"の設立まで考えていたとは思えないが…)
隆盛は、この斉彬の考えから外れてはいないが、その実現と自身の考え(農業)を実現の為には『天皇中心の新しい政府』の出現が今は"必要"と思っていて、倒幕運動に参加したのではないか?
維新後の全体的なビジョンには乏しかった。
対して行政能力も無い、ただただ懐の深い好人物、が西郷隆盛の実体ではないだろうか?
結果として明治の動乱に"巻き込まれてしまった"、可哀想な人物ではないのか?
西郷隆盛にとって、敬うべき"天"とは天皇であり、斉彬であり、新政府だった。
そして、愛すべき"人"とは、日本に住む百姓農民であり、士族だったのではないか?
ちなみに西郷隆盛と勝海舟の『江戸城無血開城』交渉だが、あれはその前に山岡鉄太郎(鉄舟)の"事前交渉"で大筋が決まっていたのであり、
その時、単身で乗り込んできた鉄太郎を見て、後に隆盛は『征韓論』で単身で韓国への渡航を主張したと、俺は見ている。