UFC アルティメットファイテングチャンピオンシップ #グレイシー柔術という"黒船" | 鈴木篠千のゲームと釣りと少年時代の話。

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毎日では無いですが、PM10~11:00に1~3本の記事をアップする予定。

ルール
①高額ソフトはやらない
②攻略本などは見ない。
③地元(浜松)で釣る。
④少年時代(無所属)の話。
(詳細はプロフィールで)

それを見たのは、『世界丸見えテレビ特捜部』だと思う。

アメリカで行われた『何でもありの危険な格闘技大会』

そんなVTR紹介だった気がする。
完全な"イロモノ"扱い。
確かに出場者はレスラーの他に、空手家、警官、ケンカ屋、忍者なんてのもいた。
なんだか、猥雑は感じがした。まるで格闘ゲームみたいなエントリーだった。

"海外じゃ、こんな危ない格闘技大会やってますよ~"という紹介だったが、優勝したホイス・グレイシーの闘い方が印象的だった。
馬乗り(マウントポジション)になって、相手を殴りまくり、痛め付けた相手が逃げるところで裸絞め、もしくは腕十字で勝つ。

『最強の格闘技とは何か?』と問われたら、それまでは空手か、ボクシングと考えられていた。
勝負が始まったら、パンチやキック一発でKO…。
そんな想像をしていた。

だが、ホイス・グレイシーと彼が身につけていたグレイシー柔術は、それをあっさりと否定した。
『馬乗り→裸絞め』に対抗する方法論がなかったのだ。
相手を必ず一撃で倒す"攻撃方法"を想像できなかった。

これが日本格闘技界の、いわゆる"黒船"だったと思う。

放送の翌日。
格闘技好きな友人が「昨日のあれ、見たか?」と聞いてきたことを覚えている。
中学二年、1992年頃だったと思う。
俺はプロレスの"熱気"を感じ始めた頃で、それを見ても、"噛みつき、目潰し以外は何でもあり"というルールの過激さが印象に残り、『海外の危ない大会』くらいの感じに捉えていた。

ホイス・グレイシーが「ワタシより強い…」と言った兄、ヒクソンの事もあまり気にならなかった。

ま、この大会自体は、グレイシー柔術が己の格闘技を世間にPRするために主催したモノであり、そこはかとなく、グレイシー有利なポイントがあった気がする。

この大会の名称が、UFC="アルティメットファイテングチャンピオンシップ"であり、その後、グレイシーは運営を手放すが、大会名称は今も残り、ルールも制度化され、規模も大きくなり、アメリカで根強い人気があるスポーツになりつつある。

日本人からも幾人かが挑戦している。(宇野薫、青木伸也…)

その後の俺は、プロレスにハマり、U系団体にハマり出すと、次第にUFC、グレイシー柔術が気になり出した。

俺が高校生になると、立ち技の格闘大会『K-1』が人気になり、総合格闘技に世間の注目が集まってきた。
大会はゴールデンタイムに流れ、ベビー級の大型選手がKOされるシーンに熱狂した。

『プロレスには"総合格闘技"志向のUインターという団体がある。だからリアルファイト(つまり、"何でもあり")でも強いんだ』
そんな事を周囲に言っていた俺としては、プロレスラーが何故、グレイシー柔術を、ホイスを、ヒクソンを野放しにしておくのか解せなかった。
(ま、安生はボコボコにやられたが…)
自身の信念に於て、彼らと向き合うべきではないか?
プロレスにのめり込めばのめり込むほど、俺は"何でもあり"ルールで快勝するU系日本レスラーを切望した。
だが、その一方で"10.9"や"東京ドーム 夢の架け橋"、さらに"川崎デスマッチ王トーナメント"を観て、熱狂していた。

全日は選手が大量離脱し、残った川田は新日のリングに上がった。天龍が再入団した、
俺が大学生の頃だ。
その頃から、俺のプロレスに対する考え方に微妙な変化が現れる。

やがて、Uインターは解体し、リングスは無くなり、高田はPRIDEでヒクソンに負けた。二回も負けた。
俺のプロレス感は大きく変わった。

そのPRIDEは常時の格闘技大会になり、桜庭、高山など人気レスラーが出るようになった。

それまでプロレスが"プロレス"としてあったのは、『リアルファイトってやつは、観戦してもつまらないらしい…』という憶測だった。よく海外じゃ、何でもありルールの"地下プロレス"ってやつがあり、あまりに凄惨でつまらないらしい、なんて聞いたりしたもんだ。

だが、グレイシー柔術という黒船が見せた、"グランドの攻防"は『リアルファイトって楽しいじゃん♪』に世間の見方を変えた。
リアルファイトは観るに耐えうる代物、いや、観たい"興行"になった。

格闘技の詰まるところは『最強の格闘技は何か?』である。
それがPRIDEやUFCで"確認"出来るのだ。

当然、似て非なる"プロレスの価値"は低くなって行った。
格闘技ブームに押され、プロレス人気は低迷。団体がいくつも倒産した。

俺もこの頃は、すっかり一端の"格闘技マニア"になっていた。
『ゴング格闘技』や『格闘技通信』を読みあさり、名古屋まで修斗の大会を観戦しに行ったりしていた。
K-1が地元に来たら、選手の握手会に参加した(マイク・ベルナルド)。
テレビ静岡の深夜番組『SRS』は当然、録画。
パンクラスの試合を猛チェックしていた。

桜庭対シウバに熱狂し、ノゲイラの間接技に歓喜し、サップのキャラに笑った。
吉田秀彦の参加に歓び、高田の引退試合、田村戦に涙した。

プロレスも継続して観ていたが、以前のような熱意はなかった。
決してプロレスが嫌いになったわけではない。

この気持ちを説明するのは難しい。

グレイシーが出てきた頃は、プロレス総合格闘技は"同じ"モノであり、
プロレスにハマっていた頃は、よく似た"別"モノ。
PRIDEブームの頃は、やはり"同じ"モノという気持ちだった(…都合良すぎだな)

なので、"ハッスル"なんかも比較的友好に観ていた。

そのうち、PRIDEは"あんなカタチ"で終わり、日本での総合格闘技ブームは終焉した。

グレイシー柔術やUFCという"黒船"は、日本格闘技界を"開国"させ、ものすごい勢いで去って行ったのだ。


テレビで総合格闘技を観ることは無くなった。
UFCなど然り、だ。
時折、本屋で専門誌を読んで、選手の動向だけはなんとなく頭に入れていた。

プロレスは継続的に観ていた。週プロも購入する事は無くなったが、必ず毎週立ち読みした。

だが、近年の"新日本プロレス"再人気。

そして、気がつけば天龍が引退した。



そして、年末のRAZIN…。






俺の中で、沈んでいた何かが、また熱を帯びてきた…。