水無月は6月に食すもので、それ以前でも以降でもいけない。
幼少期より、この時期にはこれを食べ、この日にはこれを食すという習慣が根付いているせいか、
食べ損ねてしまということに大変な後悔を抱いてしまい、天変地異でも起こりうるのでないかと
縁起を勝手に担ぎ上げ、一年超しの再会へ向けての秒読みをすぐさま開始する。
そもそも残り半年の無病息災を願う神事で使われていた菓子でもあるし、
やはり縁起はつきもので、これを食べずして7月を迎える訳にはいかない。
昔の水無月は大きく切られていたように記憶しているが、最近のものは比較的小降りで、
私が大人になったから、小さく感じているだけではないような気がしている。
小豆には旨味や栄養といった内容面と悪魔祓いの意味合いも兼ね備えており、
その謂れとして最も有力な説とされているのが、霊妙な赤色の食物であるということらしく、
赤色を信仰対象にしている地域は世界的にも多いようだが、やはりそんなことよりも小豆の美味さに着目せざるを得ない。
ぐだぐだと並びたてた蘊蓄はどうでもよいので、早く食べよう。
午前中に買い置き、冷蔵庫で冷やしておいた水無月を出す。
三角に切り分けられた水無月の上部に敷き詰められた小豆粒ひとつひとつがしっとりと輝いており、断然粒あんを好んで食べる者にとって魅力的な容姿であることこの上なし。
果物用のちいさな二つ刺しフォークを、角の一片にすっと降ろして新たに小さな三角を切る。
白ういろうと小豆の2層からなるこの和菓子は常温でも美味しいのだが、
冷やすことで清涼感を増し、ういろう部分のつるんとした舌触りともっちりとした弾力のある歯ごたえを楽しみながら小豆の粒を潰してゆくと、暑さで火照る身体が溶かされてゆくようだ。
白もいいが抹茶や黒糖も捨てがたく、それぞれの仄かな味の違いを楽しむ。
尖りがなく、やわらかでいてしっかりとした甘味。
嗚呼、夏の菓子だなと納得するのと同時に、次回食せるのは来年なのかと寂しくもなる。
水無月怖いと言ったところで、饅頭のように始終手に入る和菓子でもない。
冷たい麦茶でもいいのだが、充分身体も冷やされたので、
ぬるめの緑茶が怖いこわいと言いながら、食後の茶をすすった。
