年賀状を書くかどうかに関しては、毎年悩んだ挙げ句、
こちらに届けてくださった方々への返信として、寒中見舞いを投函している。
結局のところ年賀状を送ることに毎年失敗し続けており、
正月気分の抜けきった頃、そういえば彼奴送ってこないじゃないかと
ぼんやり気がつき始めたタイミングで寒い中を見舞う。
年賀状のデザインに力を入れていたのは大学生くらいまでのことで、
社会に飛び出してからというもの、ただただ失礼の無いよう気の配られた
ビジネス定型文を配した、無難なもが好まれていることを痛感しはじめて、
凝ったデザインなどどうでもよくなり、ひいては出す事にも
なんら価値を見出だせなくなってしまった。
小学生の頃は、冬休みに入るやいなやデザインを何パターンも考えた挙げ句、
干支ハンコを購入し、決まり文句と共にコラージュして、おもちの食べすぎに注意!
などと書いて届けたものだ。
2割は年内に投函、残り8割は年を越してしまってから
元旦の朝、さらに3日目の朝に友人宅の郵便受けへ毎年直接届けていた。
学区内にはこのように小さな郵便屋さんとなった同級生たちが走り周る新年、
ふいに出くわしてしまった時などは、明けましておめでとう!とはにかみつつも叫び合って、
新年を祝ったものである。
元々は直接年始の挨拶に出向いていたところを、書状にて簡略化したものが年賀状だ。
年始早々配り歩くのであれば、そのまま会って挨拶すればいいのではないか、
という理屈を小学生に通す事はできない。
あの頃は、賀状を出すこと、貰う事、その数に大きな意味があったからだ。
数々の意義を失った今、大人な私は年賀状を出すのか出さないのか。
今回も年内いっぱい無駄に悩んでから、こちらに届いた方々へのお返事というかたちで
寒中をお見舞いすることだろう。
そうだ、久しぶりに餅食べ過ぎへの注意勧告でも書き付けてやろう。
小学生の時とは違った意味合いを含みつつ。
