松江城 PART 2・4月9日のウォンバット | ojm-y773のブログ

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・松江城の沿革と訪問した際の感想 

沿革

感 想

松山城のホームページには

  松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で、有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築いた城です。

  嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、 20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名で、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められた嘉明は、1607年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くための工事に着手しました。

  翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされ、その後も工事は継続され、四半世紀の後によ

うやく完成しました。

  当時の天守は五重でしたが、寛永19年(1642)に三重に改築されましたが、天明4年(1784)元旦に落雷で焼失したので、文政3年(1820)から再建工事に着手し、35年の歳月を経て安政元年(1854)に復興しました。これが現在の天守です。

 リフトに乗り、直ぐにこれは撮影しておこうとカメラ

の 録画をオンにして撮影を開始しました。思った通

り、リフトの右側、左側に櫓が見えてきました。

  天気よし、気分よし。リフトはじぃじぃの私には助

かります。楽しい気持ちで散策しました。

  松山城(まつやまじょう)は、別名 金亀城(きんき

 じょう)、勝山城(かつやまじょう)とも呼ばれ、各地

の松山城と区別するため愛媛県がその昔「伊予の

国」 と呼ばれていたことから「伊予松山城」とも呼ば

れて、その偉容は門・櫓・塀を多数備え、狭間や石

落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優

れた連立式天守を構えた平山城と言われています。

   

  松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存

12天守」のうちのひとつで、江戸時代以前に建造さ

れた天守を有する城郭の一つです。とてもいい城で

す。

  天守の警備員さんは明治の警察官の服装で城内

を巡回していました。とても親切で声をかけると笑顔

で丁寧に答えてくれました。写真を撮っておけばよ

かったと後悔しています。

 

   

 

・4月9日のウォンバットTV 昼間は、よく混雑していましたが、タイミングよくコウ君とフク君は撮れま

した。

      

   コウ君・フク君                コウ君