今戸小学校で二日目に雨が降った。母はリンが燃えてるという 青白い火が見えるという

同じ小学校に逃げ込んだ人の中に 赤ちゃんをなくした人がいた 乳がはって困るという

うちの母は逆に 何も食べていないので乳が出ない そこで弟の口にその人の乳をあてがうが

生まれて100日の弟は 乳の感触が違うと嫌がった。

 

おにぎりの差し入れがあったが、すでに腐っていると 祖母に取り上げられ捨てられた カンパンのさしいれもあった。3日目横須賀線が動くという話が伝わり 歩いて東京駅へ向かう。途中死んでいる馬や隅田公園では 消防団が流れ着く遺体を とび口で隅田川から引き揚げ何百という

遺体を並べていた。

 

東武浅草駅に着くと 駅のいたるところに 焼け死んだ人の油が染みつき 人の絵を描いたようになっていた 遺体はすでに持ち去られていた。

東京駅まで歩くつもりだったが バスが迎えに来てくれた バスも電車も無料にしてくれた その日のうちに母の実家の逗子に着いた。 当時は20万人が1日で亡くなったと聞かされた。

その時の5人の姿は 袖口や着物の裾が燃えてなくなり ふろにも入っていない状態 一目で

大空襲にあった人だと 分かる状態だった。