東京大空襲にあった時の寅は 間もなく5歳になるときだったが 今でも鮮明に覚えている。

火が消え見渡す限りの焼け野原、 ただ1軒焼け残った鉄筋コンクリート建ての今戸小学校へ避難した。

食べ物は無かったが 水は水道の蛇口をひねれば出たので飲めた。

 

この小学校には生き残った人が 自然と集まった。その中には「防空壕に備蓄していた一斗缶の米が ちょうど食べられるように 焼き米になっていた」 と美味しそうに食べていた家族の姿を見て 寅は生唾が出た。

 

当時は食べ物は貴重品で他人に分けてくれる余裕などなかった。

あるまじめな裁判官が 闇のものは食べないと実行 栄養失調で死んだというニュースを知っている 食べ物は配給制で それもほんの僅か 国民は田舎へ食べ物を求めて買い出しに行くが、金では売ってもらえず 着物などを持ち込む物物交換だった。 列車で買い出しに行くと 帰りに警察官の取り締まりに会い 没収される。戦争は弱者を苛め抜くものだった。