上野国(こうずけのくに)

八幡荘(やわたのしょう)

市民活動センター(ソシアス)からの地域ガイド要請により、その準備のため、ここ上野国(こうずけのくに)と、私の地元の八幡荘(やわたのしょう)について、年代順に記述していってみよう

第39回 1108年 浅間山噴火

浅間火山の噴火
浅間火山は、約一万年前からおよそ千年に一度以上の割合で、噴火を繰り返している。
1)三世紀後半~四世紀初頭の噴火では、大量の軽石が東方を中心に堆積し、関東平野北西部に広がっていた田畠を埋めた。
2)平安時代
 天仁元(1108)年、最大規模。浅間Bテフラ(As-B)は、東方向を中心に関東地方一帯に分布。噴火の後半には追分火砕流と呼ばれる火砕流が浅間火山の北麓と南麓を広く覆った。最終段階には溶岩流が北斜面を流下。
 
記録:藤原宗忠(右大臣)による「中右記」天仁元年9月5日の条
 「国内に麻間峯という高山があり、治暦年間(1064~1069)から細煙が立ちの
ぼっていたが、嘉承三(天仁元・1108)年7月21日より爆発を起こし、猛火は山嶺を焼き、その噴煙は天にも届かんばかりで、沙礫が国中に降り注いだ。それは国庁の庭にも積もる有様で、国内の田畠はすでに壊滅し、一国の災害としてはいまだこのようなことは経験したことがない」

 噴火の有った七月二十一日は現在の暦に直すと九月五日であり、稲の開花期にあたり、火山灰の降下で文字通り壊滅状態に陥った。旧松井田町北部で約50センチ、安中市全域で約20~50センチの地層をなしているが、地層の重みにより圧縮されたものであり、噴火時の堆積量はその2~3倍とも言われている。

 つまり、その年は米が全滅だった。降灰を除去するのに次の年までかかれば次の年も全滅(-_-)
 大治三(1128)年にも噴火しており、源師時による「長秋記」に記録されている。
3)江戸時代
 天明三(1783)年4月9日~7月8日 みなさんご存知なので省略します

As-Bは群馬県一帯に20~50cmの降灰(-_-)

八幡荘には約20cm(-_-)

 

by浅間おじさん