上野国(こうずけのくに)

八幡荘(やわたのしょう)

市民活動センター(ソシアス)からの地域ガイド要請により、その準備のため、ここ上野国(こうずけのくに)と、私の地元の八幡荘(やわたのしょう)について、年代順に記述していってみよう

第30回  八幡八幡宮 その21

八幡宮参道の鳥居記念碑

       まず全体像(*^.^*)   

 

左から、「奉納改修遠鳥居(とうとりい)」

 ここにできる前の鳥居は、ここから南にある国道沿いにありました。

これは、その時の記念碑です。

その鳥居は、昭和27年(1952年)4月17日に造られました

 

杉並木を偲ぶ碑(*^.^*)

 ここの参道には、鎌倉時代(1185年~1333年)から杉並木がありました。しかし、昭和43年(1968年)ごろ、すっかり枯れてしまい切りたおされました。八幡村(1889年~1955年の間の村名)に生まれ育った人たちにとって、あの杉並木が消えたことは、子どものころの思い出がなくなった思いです。そこで、この碑をたてて、この後の記念にしました。

    昭和54年(1979年)12月

石柵・上棟・伝者繁栄(いしさく・じょうとう・でんしゃはんえい)の碑

この碑は、ここにならんでいる記念碑などを大切に守るために、まわりに石の柵を作り後の世まで知らせるものです。この碑のうらがわには、安政(あんせい)5年(1858年)8月とあります。石柵に刻まれている人の名前からも、時代がわかります。

例えばこの人「櫻井伊兵衛」氏(*^.^*)

 

御神燈(*^.^*)

 この裏側に、おおよそ、つぎのようなことが刻まれています。

源頼朝(みなもとのよりとも)は、元暦(げんりゃく)元年(1184年)木曾(きそ)「みなもとのよしなか」を打つために、先祖の義家がしたような願いごとを書いて、ここの神社に祈りました。そして「この願いがかなえられた時は、梶原景時(かじわらかげとき)・秩父重忠(ちちぶしげただ)にめいじて、参道(さんどう)と社(やしろ)をつくらせます」と、祈ったということが、言い伝えられています。

        

               by御神燈おじさん