バタバタと年度が明けました。

新人ちゃんが入り、職責もかわり、久々に変化のある年度始めです。

主任になったからといって仕事の内容はそんなに変わらないのですが、周りからのプレッシャー(期待とかではなく、「粗相をするなよ」というプレッシャー)で、気持ち的に参りそうです…。

私は会社に勤めてからの8年間、表舞台には出ることはなく、どちらかというと裏道を好きなように歩いたり、突っ走ったり、というタイプなのです。
きっと、つきあいの長い上司も「コイツにはそういうつもりでいてもらったわけではないのに」と戸惑っていることでしょう。


私は私のままで働いていきたいのですが、自分を通すほうが面倒なことが多そうだとこの数日間で思い知らされたのです。

さて、私はどんな働き方をしていくのでしょうか。


そんなことを思っていたら、ツイッターで「ラジオパーソナリティーの小島慶子が『情熱大陸』に出る」との情報が。小島慶子さんといえば、FM東京のキラキラで上杉隆さんなんかに信頼を得ている、名パーソナリティー。

ラジオは聞いたことがないけれど、これは見なければ、ときちんとDVDに録画しました。


小島さん、体当たりでした。

仕事中涙泣くことがあっても、きちんと発言をして、自分のすべき仕事とは何かを問いながら、体当たりなのです。

「仕事中に泣いてはいけない」といういのが私の中で大きなプレッシャーなのですが、前に「泣いても何をしても、しなければならないのが仕事なのだ」と、とある人に言われ、そして、泣きながらも仕事をこなす小島さんを見て、「こういうことなのかなぁ」と納得できました。


まだまだ勉強不足ですが、小島さんスタイルでがんばっていきたいと思ったのです。

怒られたり、泣いたりしながら、最大限できる仕事をしていきたいと思う2011年度の始まりです。


今日の毎日新聞に、東北地震に寄せて「原発を許容していた私」という加藤陽子さんの寄稿が掲載されていました。

加藤さんは、死を覚悟して戦場に向かう大岡信が、「なぜどうせ失う命であれば、戦争をなくすことに命をかけなかったのか。自分は軍隊を許容していた」と悔いたエピソードに、原発を許容する自分を重ねあわしています。


同時に、私がここ数日感じていた地震に対しての、原発に対しての、罪悪感のようなものを指摘されたような気がします。




”反原発派”という言葉のもつイメージ。いえ、言葉に持たされたイメージ。誰がかというと、既得権者が、です。


私はなぜ、あんな恐ろしいとわかっていた原発に対して、声を大にしてNOと言ってこなかったのか。

反原発運動をしている方々に一線を引いていたのか。

今回の原発の事故で、やっと反原発と叫べる、とでも思っていたのか。

なんだかそこには恐ろしい差別意識があるのではないか。

そして、それは私が戦っている女性に対する差別意識と同じような意識なのではないか。


まとまりませんが、自分の罪や甘さに日々気付かされる、地震はそれらが掘り起こされるきっかけでした。



戦争にしても、地震にしても、日本はいつも自分を犠牲して、海外諸国に大切なことを伝える役回りなのでしょうか。

広島や長崎の方々を犠牲して、世界に核の恐ろしさを伝えました。

今回の東電の事件を機に、世界に原発の愚かさを伝えました。

それなのに、日本自身が気付いていない、そこが残念です。


今はいろいろな支援が現れてきています。

普段、原発とか核とか考えもしない人たちも、被災者の方々に気持ちを寄せて、募金をしたり、関心を寄せています。

だけれど、やっぱりもう一方必要なんでしょうね。

今盛り上がっている支援の活動が、反原発につながらなかったら、それは嘘だと思います。ちょっとキツいけれど。

原発を容認しての、被災者支援は、「ごめんね。これからも都会の私たちのために犠牲になってね。事故が起きたときには支援するから」と聞こえてしまう。


原発がない社会、反原発と言える社会を作っていかなければ、と心から思うのです。




今年初めて受けた主任試験に合格しました。

何年もかたくなに受験しないでいたのですが、今年は受験してみました。

その理由は…


①信頼できる上司に「受験した方がいい」と言われたから

私がいまの会社にいてやりたいことを理解してくださっていて、味方をしてくれている上司。

彼が「受験した方がいい」と言ってくれているのであれば、主任になったからといって不本意な異動などはしないだろう、と思ったのです。


②頼っていた同僚が退職したから

彼女より先に私が主任になってはいけない、と無意識に思っていたのでしょうね。。

ずーっと私の保護者のように、私の面倒をみてくれた、バランス感覚いっぱいの同僚。

遠慮ではないんだけれど、もし私だけが主任になってしまったりしたら、今まで通り好き勝手に仕事ができなくなってしまう。

そんな彼女も昨年度末に退職してしまい、孤独のなかこの一年奮闘してきました。

そして今、まぁ主任になっても変わらず自分らしく働けるのではないか、と思うようになってきたのです。



そうして申込書を提出して、一応会社の例規集に目を通して、一次試験は筆記試験でした。

ほとんどできずに、自信があるのは漢字と算数くらい。

自分としては全然できなかったのですが、…会場に来ていた受験生たちがみんな若く見えたのです。

きっとあの人たちよりはできただろう、とかなり根拠なく思っていたのです。


結果は、あまり良い点数ではなかったのですが、みんなはもっとできなくって、一時通過!

なんて、私の感覚は正しいんだろう、とまた間違った自信をつけてしまいました。


そして職場のみんなに心配されたのが2次試験(といってもこれが最終)の面接でした。

私の短所として、短気、とか過激、とか攻撃力がある、とか素行が悪い、という性格がありまして、みんなこれを心配していたのです。

面接官の挑発にのって攻撃しだしたり、感情的になって泣いたりしないだろうか…と。

ここで、前述の上司が作戦を考えてくださった。

「仕事だと思って面接を受けなさい」

これは巣晴らしいアイディアですね。相手を自分の会社の意地悪なお偉いさん、と思わずに、市民団体の人、と思えばいいのです。

この人にいい印象を持ってもらって、自分の担当する事業の味方になってもらう、そんな状況なら得意です。

これは本気の面接ではなく、ごっこ遊び、一種のプレイ、なのです。

私は、イメージした人物を演じればいいのです。


この作戦が奏功し、無事面接も受かり、4月から主任です。

でも、今までどおり自分らしく理想を胸に働くだけです。ただ、給料が上がる(どれくらい上がるのかはわからないけれど)のはとっても嬉しいです。

素行の悪い主任を目指します。




地震から4日。
信じられない映像に、愕然としてしまいます。
自分の無力さに呆れつつ、関心を持ち続け、自分にもできることを探さなければ。

そう思って、まずはブログ発信。

しかし、今回のような非常時のツィッターの便利さといったら…!
友達や家族には絶対勧めようと思います。

一方で、テレビはインパクトある津波の映像ばかり垂れ流すだけ。
PTSDを量産する気?

私たち試されてるように思います。
本当に原発のある社会でいいのか、と。

京都大学の試験がヤフー知恵袋に投稿されたニュース。

某新聞のお偉い論説委員がコメントを求められて言ったこと
「今の時代は便利になるすぎて、世の中悪くなった」

はぁ…。がっかり。

ウチのじいちゃんの茶飲み話ならわかるけど、新聞社の論説委員のコメントがこのレベルです。

もうテレビや新聞でコメンテーターや識者が「世の中便利になって悪くなった」と言うのは禁止にしていただきたい。

つまらさすぎ。

前回書いた「教師は自衛隊で訓練しろ」と同レベルに、もう聞き飽きた。



それにしても、今回のカンニング大騒ぎ事件ってくだらない…。

カンニングをした予備校生をかわいそうとは思わない。悪いことをしてバレたのだから、何らかの罰を受けるのは当然のこと。

でも、逮捕って…。漫画?って感じです。

一方で、たかがカンニングに構っているオトナたち、くだらなさすぎ。

京大の対応やマスコミのバカ騒ぎに呆れてしまいました。

京大は犯人が予備校生だとわかった時点で被害届を取り下げればいいのに。



江川紹子さんのツイートに納得!

以下、引用です。う~ん、猫語がかわいい!


「どこまでも追いかけて捕まえて厳しい処罰をすべき犯罪者と、カンニングの受験生。国民に対する約束を反故にして恬として恥じない政府と、近所の在日のおばさんが月々4千円のカンパをもらっちゃてた政治家。どっちがより責められるべきか。混同している人やメディアが少なくにゃい、今日この頃」