朝日ジャーナル第二号は、私にとってかなり興味深いものでした。

地震直後の3月15日に「日本破壊計画」という副題で発売されたことに、ブラックジョーク、とか間が悪い、空気読めない、といったコメントもネット上にはありますが、私からすると絶妙なタイミングに思えました。特に、辺見庸さんの文章は、今回未曾有の地震、原発の危機に直面している私たちに向けて書かれたかのようです。

辺見庸って預言者?なんて思っちゃいましたが、2009年に編集された「しのびよる破局」を読み返すと、辺見庸さんはずいぶん前から、地震や災害、紛争、などが起きるときの私たちの振る舞い、というものを危惧していたようです。

この本で辺見さんはカミュの『ペスト』に現代の日本を見ています。



以下、引用。

『ペスト』にもでてくるけれども、とくにマスコミがおもしろい。オランの町には通信社と新聞社がある。これがつにね自体を過小評価します。地の文でカミュは書いているのですが、つねに楽天主義を貫くわけです。日常を守ろうとする。…


人間は、どうしてもこれまでの日常がいまもつづいているのだという意識をもちたがる。マスコミはだからそういう報道をする。じつはコーティングされた社会の皮膜の一枚下でとんでもない事態が進行している、…


いまの時代だったら、ペストが蔓延すれば、町からその痕跡をパッと取ってしまう。テレビをつければお笑い番組をやっていたり、歌謡番組をやっていたりする。一方でみんな失業したりしている。はっきりいって、食うにも困るような収入しかなくなってきているのに、なぜか世の中全体がそのつらさというものをコーティングしてしまう。塗料で塗りかためてしまう。主にマスメディアが資本の潤滑油みたいになっているから、無意識にそうやってしまう。…


経済恐慌とか、新型インフルエンザとか気候変動とかあるいは地震、そのパンデミックの先には、前次の大恐慌が結局第二次大戦という戦争を導いていったように、なんらかの地域紛争とか、そういうかたちでまた爆発していく可能性がまったくないとはいえないのではないでしょうか。



その上で、価値の見直しが必要だと主張されています。

今回の震災と、それに続くいろいろな情報の不透明さ、そして新たな差別、…これは今目の前で進行をしているのが見えています。

私たちが今しなくてはならないこと、考えていきましょう。