私が小学生の頃の昭和の学校行事は、運動会や遠足,修学旅行,学芸会,入学式,卒業式など、今とほとんど変わらなかったが、奇妙なものもあった。
まずは、秋になると「イナゴ捕り」だ。
担任の先生の引率で、学年全員の生徒が、といっても1クラスしかなかったが、大挙して結構遠くの田んぼまで出掛けて行ってイナゴを捕らされた。
青空の下で、黄金色の田んぼに入って稲をかき分け、みんなと競って飛び跳ねるイナゴを捕まえるのは結構楽しかった。
生徒たちが一斉に田んぼに入ったのに文句を言わなかった田舎の農家はおおらかだ。
捕ったイナゴは、家から持参した布袋に入れて学校に持ち帰った。
みんなのイナゴを集めた学校は、業者に売って教材の費用に充てたのだろう。
当時は、イナゴを茹でて足と羽根を取り除いて食べたが、決して不味くはなかった。
佃煮も売っていた。
最近はコオロギの食用で反対論が多いようだが、私はコオロギは食べたことがないものの、食べることになっても別段抵抗はない。
もう一つは映画鑑賞だ。
田舎は 山村の小さな町だったが、不思議なことに 当時 町外れに小さな映画館があった。
映画館といっても 正面には舞台が、1階と2階の左右には桟敷席があったので、芝居小屋を映画館にも使えるように改造したのだろう。
そこに先生の引率でクラスの生徒全員がぞろぞろと歩いて行って映画を観せられた。
今でも思い出すのは、題名は忘れたが海中を撮影したドキュメンタリー映画た。
テレビもない時代で、海を見たこともない私たちだったので、色とりどりの魚が泳ぐ海中は本当に綺麗だった。
反面 ウツボなどが住む海底の様子は怖かった。
ショックな映画も観せられた。
広島か長崎かは忘れたが 原爆被災の映画だ。
GHQ占領の影響が強く残っていた頃だから、原爆投下を直接非難するような内容ではなかったが、原爆被災者の直視できない姿はショックだった。
一方で最も印象深かったのは、「もうここには永久に植物は育たない」と言われていたのに、大根か何かの野菜の芽が出てきたのを、子供と大人が一緒に地面に這いつくばって見ながら喜び合っている姿だった。
これらの映画鑑賞は、生徒の教育という意味で理解できる。
でも、そのほか娯楽映画も観せられたのだ。
もちろん私たち生徒にとっては大歓迎だったが。
思い出すのは、ディズニー映画の「ダンボ」だ。
小さな象が大きな耳を羽ばたいて空を飛ぶアニメ映画だったが、子供心に本当に面白かった。
本物の象を見たことがない子供の私は、「そうかぁ、象はああやって空を飛べるのか?」と信じたから可笑しい。
そして、極めつけは学校への訪問者によるイベントだ。
もちろん学校が招待したのだろう。
生徒全員が講堂に集められて、正面の舞台の上の催し物を先生と一緒に見物した。
たとえば、福島大学の学生グループだったと思うが、コーラスの素敵な歌声を聴かせてもらった。
音楽の授業で歌う自分たちとはあまりに違うのでとても感動した。
だから、音楽の授業の延長としてこの訪問者は理解できる。
でも、流行歌手もやってきた。
歌謡曲や演歌を聴かされたのだ。
うろ覚えだが思い出すのは織井茂子だ。
子供の私は知らなかったが、大人に聞くと結構有名な女性歌手だったらしい。
これも音楽の授業の延長だったのだろうか?
さらに奇妙だったのは芸人がやってきたことだ。
印象に残るのは、森の中で身体を鍛えたという筋骨隆々の芸人(?)だ。
講堂で「森の中で深呼吸をして身体を鍛えた」とかいう講話を聞かされたあとで、校庭に出てみると空のバスが停まっていた。
そのバスにはロープが繋いであって、上半身裸の彼はそのロープの端を口でくわえて(いや、腕で だったかな?うろ覚え)引っ張ってバスを動かして見せたのだ。
「何という力持ち!」と私たち生徒はびっくりしたが、これは体育の授業の延長だったのだろうか?
いずれの学校行事も、今思えば奇妙ではあるが、昭和の時代のおおらかさを 私は感じる。