どんな人でも、一ヶ所に長く居座っていると、色々な物が溜まる。
電化製品から家具、服、本、資料、楽器、食器等の生活必需品まで。
おまけに耐用年数が切れかけた臓器(!)もその一つだ。
これらを修理しながら、長年、共にしてきたが、思いつくと(僕
以外誰も必要としていないのでは?)という真理に気が付く。
電化製品 これは、難題。ブラウン管のTVが未だにあるし、蛍
光灯、ガスレンジ等を含むガス調理器具、壊れた家具も捨てるに困る。
それ以上に、鍋、やかん、食器は卒倒したくなるほどある。
これらは両親が使って残してあるものから、僕らの手あか付きまで。
(これは、何とかしなくてはと周囲に相談し、業者を見つけ、何とか
目途が・・立ちつつある)
家具はさらに難題。
不用品として出すにも、材質的に複数のものが混入し、例えば、蝶番
等の金属、扉に使うガラス、クッション、カバーとしてのプラは外し
て処分するのが普通だが、問い合わせする前の友人、知人の経験では、
「不用品として町指定の廃棄場に捨てに行く」そうだ。(そんなに何
でも捨てられるのか?というか車が必需。無い人はどうするのだろう)
服、本、紙資料は、努力次第。見えなくして、町指定の町指定のゴミ
袋で捨てるか、十字に縛って、指定曜日に出す。(コツコツやるしかない)
楽器、食器、生活必需品等 これこそ思い入れの手あかつき
本人だけでは中々手放せないものだが、不燃ごみの指定曜日を利用して
(引っ越し、生死を分ける病気発覚、生前整理の覚悟)と称し、個人的
覚悟の期日、古の知恵(還暦、古希等)を口外し、決起(?)する必要
がある。そういえば、周囲に「断捨離」を言う人が増えた気がする。
(自分を縛る鎖は、自分自身が作ったものだと洋楽「恋はさようなら」
にあるではないか・・・・ 意味は違うが・・)
耐用年数が切れた臓器 五感に係るものから、定期健診で見つかるもの
まで、長く生きていれば当然、傷んでくる。
(衣食住に直結する臓器の使用期限が過ぎれば、ジタバタする理由はない)
それに気づけば、(今、何をしたいのか?)(今、何をすべきなのか?)
(僕は何がしたかったのか?)を反芻し、その思うことをすべきなのか?
「A person is a success if they get up in the morning, get to bet
at night and between does whats to do . Bob Dylan 」
