ubiquitous=(神如く)遍在する -9ページ目

ゼロ・トレランス主義 子どもに処罰は必要なのか。

今、教育現場が荒れている。

昔から呆れるほど使い古された言葉だ。

教育は決着がつかない議題と、私は考えている。


さて、最近巷を騒がしているゼロトレランス主義。

日本の小学校で問題児に処罰を与え、学校、き然とした状態に戻したい

そんな事を国が言う。


では、き然としていた態度を取れなくしたのは誰か。


教員と生徒の距離を遠くしたのは誰か。


教員をただの公務員にしたのは誰か。


教員の自由を奪い、そして教員が叱り難く居たのは誰か。


叱咤できぬ人間がどう、き然とした態度を取れるか。


叱咤できぬ人間がどうして尊敬されようか。

私は何度小学校、中学校の先生に世話になった事か。

私は彼ら、彼女らには沢山の恩があり、そして私にはその恩を返す機会さえない。

私は、そんな自分がもどかしい。

大体、日本のゆとり教育と言いつつ

学歴社会な日本で学ぶ時間を減らせば、逆にゆとりが無くなるのではないだろうか?

現に教職員のゆとりはなくなっている。



このまま日本は格差社会に突入する。


私は、それが寂しくて仕方ない。


なぜならばそれは日本人ではなくなってしまうからだ。

義理も人情も、何も無い。

そんな寂しい国になってしまうのが、だ。

米産牛肉。なぜ病気の牛の肉を選びつつ食べなくてはいけないのか。

アメリカ産牛肉が再開される


本当にこれでよかったのだろうか?


通常、病気に感染した動植物は人は食べない。

鳥インフルエンザの時も豚の時も感染した全ての動物は処分された。


BSEもそうすべき、と私は思う。


ただ、狂牛病はウイルス性ではない

共食いによる異常なたんぱく質の発生が原因であり、今の見解では、

危険部位を食べなければ安全である』という事になっている。


だが、この先10年、20年して『何処を食べても人間狂牛病、つまりヤコブ病は発症していまう』という見解になるかもしれない。

そうなれば10億の人類が死ぬだろう。


化学物質も最初は夢のような物質も10年、20年たってから環境に悪影響を与え、人体にも大変危険、と分かる物は少なく無い。



正直、私は牛肉は好きだ。

松屋や吉野家の牛丼の味が落ちたのも確かだ。


しかし、私は毒物が入っているかもしれない、また過去に毒物が入っていた実績がある、といわれれば食べたくは無い。


もし、私がアメリカ産牛肉を食べたくなくとも

加工品になってしまえばわからない。

避けようがないのだ。


ドレッシングのビーフエキスでもBSEは感染する。


そこまでして本当にアメリカ産牛肉を日本人は食べてはいけないのか。


過去、狂牛病が問題になる前にオーストラリア産とアメリカ産の輸入比率は格段にオーストラリア産の方が大きい


輸入大国日本がアメリカ産牛肉を輸入しなくてもいいのはオーストラリア産の牛肉が市場をほぼ独占していたからだ。


正直、私はアメリカの油しか無い牛よりもオーストラリアの肉質がよい方が好きだ。


さて、ならばどうしてアメリカ産牛肉が松屋や吉野家が使っているか。

これは事実か定かではないが

『海外展開する祭に、アメリカ産牛肉を使わなければアメリカには展開させない』

と言われ使い始め、あの味になった・・・と聞くが噂であるからしてどうとも言えない。


輸入が再開されるのは非常に残念だが絶対主義のアメリカが二度同じ間違いはしないだろう。

ただ、牛肉が安全といういう訳でもない。


どうにでも手は抜ける。


いっその事生きたアメリカ牛を日本で解体できれば、それが一番なのだが。


残念な事は政治的圧力があった事だろう。

現在の日本は車等の機械製品等の輸出が伸びておりアメリカは代償に肉を売りつけたい、という心がある。


万全の体制でお願いしたいものだ。




関係ないが

テレビで誰もが一度『オージービーフ』ときいた事があるは思う。

これはオーストラリア産牛肉の総称であるが、この事を知らない人は少なくは無い。




ダ・ヴィンチ・コード

小説ダ・ヴィンチ・コードをご存知だろうか?


レオナルド・ダ・ヴィンチの名画に仕組まれた驚くべき秘密を

ハーヴァード大学教授が次々に解き明かしていく超大作ミステリー

(最近、超大作という売り文句をつけた映画は、売れない気がする)

しかし、良識ある作家ならば普通に宗教問題を簡単には取り扱わないと思いたい。


ただ、作家自体が従順なるキリスト教であり、何か考えがある、という小説ならばまた考えてもいいが

そういう事も聞かない。



映画になって話題になっているが宗教とはともて難しいものだ。


まぁ無神論者の私には関係のない事だと思う。


ところで、神という物を考えてみると

絶対的なイメージとしての神というものと

偏在的な(誰にでも、何処にでも神は存在する)というものがある。



神さま、仏様、どうか助けてください、と何かのテストやクジの前に祈る事は誰でも一度はあると思う。

これは『ナニカ』に祈っているだけではあってそれはユダヤやキリスト、仏教の指す神や仏ではないのだ。


私から言わせてもらえば神や仏神とはキャラクターとして存在していると思う。


たとえば、カリスマ性を持つある大工が自分の考えを広め、賛同者を増やすことは


アニメや映画のキャラクターがファンを作る事と似ている。


何にせよダ・ヴィンチ・コードという映画はミステリーらしいので特にそういう事も考えずみれれば楽しいのかも知れない。


最後に

どんな過去も想像はできる。

だがそれを確かめる事は出来ない。

それが時間というものだ。









過去は常に、今から見れば実際の過去より美しく思える。過去が楽しいのは、過去が今ここにないからに過ぎない。

FLASH

先日FLASHの挿入音が読み取りエラーになるとお伝えしたが


配布元でもビットレート変更をしていただいた。


迅速な対応、まったくうれしい限り。




音人という効果音サイトをいつも利用している。

生音が多く非常に気に入っている。


生音効果音はネットでは非常に少なく(電子効果音と比べて)ありがたい事である。


電子音で作った効果音はどうも音だけではその効果が薄く、やはり音だけの挿入になると生音が強い。

少なくとも絵や動画と一緒ならば電子音の効果音でも十分とは思うが、私は絵がかけないもので、、、




まぁこうやって外堀を固めてけ完成も遠い事ではないだろう。

FLASH

さて、実はFLASHの製作を再開している。


いや、今まで中止していたというのが正しいか。




4月は色々とあり、忙しくGWもあり遊んでいたが、色々と真面目に作らないといけない時期に来ている、と自分で決めている。


実際、何か目標が無ければ私はいくらでも先延ばしにしてしまうタイプの人間であり、イベントに参加する為だけにFLASHを作っている事もそれが原因。


ただ、漠然と完成を目指して・・・というのが苦手なのだ。


多少妥協しても締め切りには終わるのがいい。

夏休みの宿題も真面目にはやらなかった。


まぁそんなこんなで徐々に外堀を固めるためにFLASHの効果音や挿入音を物色していた。

色々と考えて適当な曲を使い、実際に動画と音を合わせようとした所・・・・・・













読み取りエラー








どうやら、特殊なビットレート(特に生音源)の場合はうまく読み取れないらしい。

仕方なく、配布物に連絡を取り、こちらで変更していいのか?それとも配布元が変更してくれるのか?

と掲示板に書き込みつつ

今日は寝る。