年の瀬です


今年もいろいろありました


長引く旦那の体調不良

そんな中での、1週間韓国出張

ドクターショッピングもしました

更年期のような違うような

今は少し落ち着いて、やはり心因的なものですね



一家でコロナもなりました


何より


9月に祖母が亡くなりました


94歳老衰でした


グループホームにお世話になり、約4年


入所してすぐ、帯状疱疹になりましたが、その後のコロナ禍を頑張ってくれました


今年の年明けあたりから、脳梗塞のような症状で、搬送されたりとありましたが、それでもホームに戻り、お世話になっていました


ほんとに徐々にその日に向かってるようではありました


週一くらいで、おやつや本に手紙を添え持って行き、職員さんに渡してもらっていました


おやつももう食べきれないからと、みかんとか果物を少しだけになり…


それでも制限の中、面会に行くと好きないなり寿司やかぼちゃの天ぷらとか美味しい美味しいと食べていたのです


梅雨ごろ、反応が悪くなりもうそろそろと、面会制限がなくなり、いつでも来てあげてと…


行ったら元気なんですよね

食べるし、しゃべるし、歌うし(笑)


で、


「あのー申し訳ありませんが、だいぶん回復され

 たので、来週からまた面会に制限を…」


と職員さんから電話をもらい、さすがばあちゃんと爆笑したものです


亡くなる3日前、土曜日


意識レベルが落ちてるからと、すぐに来て!と連絡があり、会いに行くと荒い呼吸で寝ている状態


それでも会話はなんとかできる状態


日曜日

孫ひ孫交代で、みんなが会いました


「ばあちゃんどこが一番しんどい?」


「ココ(胸)が痛い、かけっこしたみたいなわ」

「ばあちゃんもう長くないぞ」


そんな話もできたのです


月曜日

ほぼ寝てる状態

歌が好きな人ですから、耳もとでYouTubeの童謡をかけていろいろ話しかけていました


帰るときにちょうど食事時で、ばあちゃんの好きな素麺を、入居者さんが食べてました


「あーこんな美味しそうなもの食べさせてもらっ てたんですね」

と職員さんと話をしながら涙が出ました


もう長くないことは、わかりましたし、でも何度も乗り越えてきたひとやからまだ大丈夫だと


火曜日

曜日が変わった深夜

亡くなっていた

と…


泊まりの職員さんが、見回りに行くとすでに亡くなっていたようで、頑固な人は誰にも最期を見せることなく逝きました


ばあちゃんらしいと言えば、ばあちゃんらしい最期

見事に生き抜いたと言える最期だと思いたいです


この7年で、両親、義母、祖母を看取りました


叔父や伯母も亡くなりました


それぞれが違う生き様、最期を見せてくれました


どんな別れの場面でもいつも思うことは、


忘れない


ということ


ことあるごとに


きっとこう言うよね

こうするよね


と問いかけること


でも


やっぱりさみしい


特別なことじゃなく、普通に話ができるだけでどれほど大切なことなのか

しみじみ思います


祖母がいなくなり、兄弟のいない私は子供のころの話ができる人がいません


さみしいです


それでも毎日過ぎて行きます

当たり前の毎日がありがたいこと


今日も1日ありがとうです


ばあちゃんのお葬儀のはなしは、また思いついたときにしたいです