久しぶりにアメブロにインして皆さんのブログを読んだら・・・多いですね...
3年前の3月11日。
自分にとっても『癒えない記憶』です。
親戚・家族は被災者で・・・
友達は・・・・・
当時の記憶を忘れることはないでしょうね。
発災直後、大きな揺れと共に防災本部に走りました。
自分の管轄する範囲の状況を把握するために。
その時は、東北があんな状況になってるなんて知らなくて・・・。
防災本部のモニターに映し出された光景。
声にならなかったですね。
そして、被災地の状況を知らせる連絡。
メディアでは伝えられない光景がそこにはありました。
状況を知って両親に電話しても繋がらなくて。
でも、発災直後に姉が電話した時は繋がったんです。
姉が電話で交わした 『両親との最後の通信』
建物の中に閉じ込められてるよ・・・。
自分はそんな状況を知りながら、遠く離れた地で震災の対策業務をしなければならない。
正直。
他のスタッフのみんなとは、違った気持ちで仕事をしてたと思います。
発災から数日後、復興支援で現地にスタッフの皆さんを派遣する日が・・・。
現地は、放射能が問題視されている状況。
勿論、そんな状況の中で暮らしている方も居るし、支援を待っている皆さんが居るわけで・・・。
分ってはいるけど・・・。
放射能の計測装置を手渡し、現地派遣を伝える自分の口が震えてました。
当時は会社にほぼ缶詰状態の生活でしたね。
両親とも連絡が取れないままの日々。
関東でも頻繁に余震が起きて、自宅の事も心配で。
でも、そんな時に娘達の無事を知らせる写メに救われてました。
その時の写メです。
パパ...
防災頭巾を被ってるから大丈夫だよ...

色んな思いがこみ上げてきたよね・・・・。
発災後、両親の安否が確認できたのは4日後でした。
安堵の時間に浸ってる暇などなく、引き続き昼夜を問わず震災対策業務に追われていましたね。
日々送られてくるメディアでは放送されない被災地の状況。
過酷な復興支援作業の現状。
笑顔で居る事なんて出来なかったです。
そんな中で知らされた 『・・・・・』
涙すら出なかった・・・。
そして、震災から半年後。
自分も復興支援として福島県に向かいました。
現地での支援期間は1週間。
現地に到着直後、被災地を目の前にして思ったこと。
実際の被災状況はテレビでは伝わらないものだと実感しましたね。
被災地を前にして声にならない自分・・・。

色んな思いもあるので、あえて現地の写真をここには載せません。
現地の方とも話をさせて頂きました。
発災時の状況も教えて頂きました。
皆さんと話してて思ったこと。
被災された皆さん全員・・・
諦めてなんかいない。
支援に行った自分の方が元気を貰えた気がしました。
そして、復興支援中にいつもアメブロでコメントしてくれた、被災者でもある〇〇さんにも。
本当にありがとう。
どれだけ自分が現地で皆さんの力になれたかは分からないけど・・・・。
でも・・・
本当に行って良かった。
その後の復興支援の会社報告で、ある言葉を口にした瞬間・・・。
今回の復興支援。
自分の親族も被災者という事もあり、現地を目の前にして少し違った思いがありました。
そして今回の震災で・・・友人は・・・・・・・
『被災地の状況』 と 『友人との思い出』 が シンクロ してしまって・・・
思わず涙がこみ上げてきました。
埼玉で暮らしている姉の旦那さんの両親は福島県出身。
この震災で全てを失いました。
行き場も、仕事も、身の回りの物もない親戚の皆さん。
その時、姉の家で親戚・知人の方々を全員招いて過ごしていた日々があったんです。
1人2人じゃなくて 最終的には10人を越えてたかな。
埼玉県も物資が不足している中で・・・。
凄い人だよ・・・本当に。
口にはしないけど尊敬したよね。
そんな姉の助けになろうと、自分も物資を届けに行ったのを覚えてます。
あの日から3年。
被災者の皆さんの心の中には悲しい記憶として消える事は無いかもしれません。
自分の記憶からも一生消えない記録として残ると思います。
でも・・・。
1日でも早く 皆さんが笑顔で楽しく暮らせる日を迎えられるよう 心から祈っています...