私が子供だった頃の記憶では夏は暑かったけど、気温は30℃前後だったのだろうか?で夕立もちょくちょく有って夜はわりと涼しく、夏の朝は清々しく一番好きな季節でした
友達の熊さんが生まれたのは、戦後の復興が一段落して町が落ち着きを取り戻した頃、まだまだ戦争から負傷しながらも帰還できた元兵隊さんが普通に街中にいる時代でした。
住み処は、川崎市の内陸部の夢見ヶ崎でその昔太田道灌が、立地的こ良いこの地に築城しようとしたが、不吉な夢を見たことから、此処での築城を断念して江戸に変えたと言われる地が熊の故郷である。
家は、国鉄の官舎で2DK の二軒長屋だったが、二畳ほどの玄関の周りには廊下があり右側はトイレ、左手がお勝手でその先には土間が有り勝手口となっていた。
土間には、白菜の漬物や糠漬けがあり、常にヒンヤリした場所で天然の冷蔵庫のようであった。
家族は両親と姉、弟の五人家族で、熊がうまれる以前に長兄は幼少の頃に食中毒で亡くなっている。
熊の母ちゃんが病弱でなかなか起きれないので、朝は早く起きてご飯を炊いた、当時は薪で炊く「へっつい」というもので、大きくて真っ黒な達磨のような形で頭の部分がスッポっと外れ、中に木の蓋をしたお釜かある、へっついの下部は小さな釜戸になっていて薪に火をつけて、結構な時間をかけて炊いた。煙突があり煙は排出されたが湯気はお勝手に充満した。
つづく