今に残る金沢八景の景勝地    枇杷島 | トドワラのブログ

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江戸後期の浮世絵師・歌川広重によって描かれた金沢八

景も当時の名勝(景勝)を今も名勝(景勝)として残されて居

るのは、枇杷島と称名寺の二つ位と不肖私は思います。其

の枇杷島も入口の方は、京急金沢八景駅前一帯の大開発

の波を受けて居ると感じました。其の瀬戸神社向いの枇

杷島を5月の連休以来ですが訪れました。生まれ育った

故郷金沢には悲惨な辛苦悲哀の思い出しか無く学生生活

に成る時に逃げる様に故郷金沢を捨てました。そんな私

が故郷金沢の素晴らしさを知り、其の素晴らしさと荘園

制度が残る古から栄えた歴史を知ろうと思わせて下さっ

たのは、心から信頼尊敬する、私よりも深く詳しく金沢

の素晴らしさも歴史も知って居られた心の友人・恩人の

お蔭です。さて信号を渡って瀬戸神社の向いに着いたの

で懐かしい枇杷島(参道?)に足を踏み入れました。








枇杷島弁天様です。5月の連休に行った時に、親しく金

沢八景の事等を話した植木屋さんが、「5月15日に来

なせえ」当日は瀬戸神社のお偉方が正装して行列を作っ

て此処の枇杷島弁天様にいらっしゃるから!と言って居

ましたので、此処の枇杷島弁天様と瀬戸神社は浅からぬ

繋がりと思いました。









上から見ると良く解りますが、枇杷島弁天様の祀られて

居る先の島は略丸く見えます。其の先の島と参道(案内

板の解釈に依りますが、参道の方も島だったのかも)を

経て今歩いて来た道(参道?)







松林と平潟湾
















出発を待つ、金沢シーサイドラインの電車。








枇杷島が橋で繋がった島と良く解る橋の下。








枇杷島と参道の松。












国道16号道路向かいの瀬戸神社の前で久し振りの枇

杷島を後にしました。枇杷島の参道に見える所の案内

書きに、次の様に書いて有ります。

枇杷島は島の形が琵琶に似ている事から呼ばれたと言

われます。島には北条政子が近江の竹生島から勧請し

た弁天を祭ってあります。もとは瀬戸神社前面の海中

にあり、二つの島を橋で結んでいましたが、現在は陸

つづきとなっています。金沢八景の一つである「瀬戸

の秋月」の夜景を今に伝えるところです。
 
 よるなみの瀬戸の秋風小夜更けて
 
 千里のおきにすめる月かけ     京極高門





最後に外から枇杷島を見て見ました。綺麗ですが枇杷

島の形や全容はシーサイドラインの電車の中からで無

いと、此処からでは解りません。









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