をして居た植木屋さんが「今日は中潮だ」と言った時
に、そう一人だけアサリを潮が上げて来る迄掘って居
て、何が入って居るか解らない袋を下げて参道に上っ
て来た人に、私が「アサリ見せて下さい!」と言って
袋を大きく開いて、写真撮っていい?と聞いて、袋を
精一杯開いて、アサリの写真を撮らせて貰った時に、
再度 植木屋さんと金沢八景談義をした末、植木屋さ
んが「瀬戸と洲崎は直ぐ傍だ!見ていきなせえ!と言
うので、詳しく聞いた末 瀬戸橋から旧道が大きく曲
がる角の洲崎広場迄行きました!此の日は其の先には
行きませんでした!
さて瀬戸橋を渡ると、植木屋さんが言って居た第一生
命を探して洲崎方面に歩いて行くと、有りました!小
さな店舗の第一生命ビル(?)にへばり付く様な僅か
な場所に「明治憲法発祥の地」の碑が有り 石材と銅板
に説明も書かれて居ました!ええ、物心付いた頃から、
其の碑は夏島に在ると聞いて来まして信じています!
尚も先に進んで洲崎の曲がり角に大きな気を3本植
えて道標もどきを立てて、多分「洲崎広場」だった
?と思いますが、一番八景駅側の木の下に石に彫ら
れた「明治憲法発祥の碑」が有り説明も書かれて居
ますが、何分大きな枝を張った木の下なので、オー
トフラッシュでも光って読めない!フラッシュ禁止
では暗くて、斜めに差し込む光に反射して読めない!
這い蹲って10枚位撮って此れが一番読める物です!
上記の碑の説明と 第一生命前の碑の説明をあわせ
ると、夏島の伊藤博文の別荘は狭いので、第一生命
の場所に在った、東屋旅館に伊藤の仲間は滞在し伊
藤も来て仕事を進めたらしいのです!東屋旅館の在
った場所は、第一生命の場所で、だから同じ様な碑
文も「地」と「碑」の違いと思われます!第一生命
の前は頗る狭いので、横浜市が洲崎の角に場所を造
り 碑を建てて 発信したかったと思われます!
枇杷島参道に戻ると まだ植木屋が居たので議論を
続けました!今は無き東屋旅館以外にも、平潟湾に
面しても 幾つかの老舗旅館(割烹?)それらに関
して植木屋さんの親爺さんは、「皆、金持ちが妾に遣
らせたのさ!」と言いながら15日に瀬戸神社の神主
達が行列を作って、枇杷島弁天にお渡りに成るからあ
んたも来なよ!と呑気な事を言って別れました!そう
そう、議論をして居る内に、植木屋の親爺さんに「植
木屋さん! 植木屋は仮の姿で 本当は大学教授じゃ
無いの?」と言ったら笑って居ました!私はまだ納得
出来ませんでした!夏島の別荘は狭い?その別荘は何
処に在ったのか?野島の伊藤博文金沢別邸は野島で、
夏島では全く無いし、恐らく夏島の別荘は朽ち果てて
跡形も無いと想像します!

