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大分市倫理法人会 公式ブログ

毎週水曜の午前6時~7時に豊の国健康ランド4Fにてモーニングセミナーを開催しております。
どなたでも参加できますので、興味のある方は是非ご参加下さい。

テーマ 「理屈なしにやってみよう」


講 師 東邦オート株式会社代表取締役  秋葉邦男様


プロフィール

 法人局法人スーパーバイザー(倫理歴22年)


 年齢: 56歳

 出身地 千葉県千葉市生まれ








(講演概要)

  皆様おはようございます。千葉県から参りました秋葉邦男と申します。

  仕事の方は、ボルボという外車の販売会社をやっております。今回は仕事で大分に来ましたが、お誘いを受けていましたのでモーニングセミナーにお伺いしました。

私は昭和34年の生まれで、現在56歳になります。倫理とのキッカケは、私の父親です。父は千葉市内で自動車の修理工場を経営していましたが、毎日、夜遅くまで工場で働き、帰宅が遅く朝も早く家を出ていくので、時によると1週間も顔を合わせないような、そんな父親でした。ある時に父は知合いの方の勧めで家庭倫理の会に入りました。そしたら、それまでとは生活がガラッと変わりました。それまでは、顔を合わせる機会が少なかったのに倫理に入ったら、朝早く「おはよう倫理塾」に行き、帰ってから自宅で朝飯を食べるようになりました。それからも、父は長年、家庭倫理で勉強しておりましたので、なじみがありました。

私の父は非常に良い人なんですが、口下手で私と兄に「工場に朝早く出勤してトイレ掃除をすると会社が繁栄する。」と言うんですね。絶対良くなると言い張るんです。会社が良くならないのは、お前たちが朝早く来てトイレ掃除をしないからだ、と言うんです。私は頭にきまして、そんなことで会社が良くなるのだったら、朝早く行ってトイレ掃除をやろうということで家を6時過ぎに出て、会社に行きました。そんな訳で早朝から会社のトイレを掃除するんですが、一向に会社は良くならない。トイレ掃除でいろんな気づきをして自分の至らなさとか、会社の課題とかわかってくる。そこで会社が良くなったり、家庭が良くなったりするんだと丁寧に説明してくれたら良いんですけどね。「朝早くきてトイレ掃除をしろ。」とそんな一言だけで押し付けるので、私は倫理が大嫌いになってました。逃げ回っていました。

 それが、たまたま1991年の9月頃、バブルがはじけた頃ですが、父の友人が訪ねて来られ、父親と2時間くらい話していました。その方は東邦オートの創業者でしたが、東邦オートが潰れると言うんです。東邦オートは、千葉では老舗の輸入車の販売会社だったんですが、3億8千万円の手形が割れないということで、私の父親を頼って来られました。父親はどうするか悩みましたが、結果的には引き受けて手形の額を支払った。その後、決算諸表などを分析して3か月後には運営を引き受けてくれないかと言われ、12月から運営を引き受けることになりました。とはいえ、私も兄も父の修理工場の仕事がありましたので、どなたか運営をして下さる方がいないだろうかと、人を頼ってご紹介いただき、地元の国産車のディーラーの役員をしていた方を社長として迎えました。その当時の東邦オートの決算は12月で、引き受けてすぐ決算を迎えましたが、その年の決算は4億円近い赤字でした。結果的には翌年も立ち直らなくて赤字が続きました。人間の体で例えれば、重症どころか死に体みたいな会社を引き受けた訳です。支払いをする月末が迫ってくると、こんな状況では東邦オートも自分達の修理工場も間違いなく潰れるな、といつも思いました。お願いしてきていただいた社長さんでは、ドラスティックな改革はできません。しかし、たまたまですがこの方が、93年の11月下旬に通勤の途中でタクシーに撥ねられ、足を骨折し、退職されることになり、ヨシ俺が明日から東邦オートに行くよと、志願していくことになりました。自動車の修理工場と外車のディーラーでは似て全然非なるものです。東邦オートを外から見ていた時に印象は良くなかったんですが、中に入ってみても、大変ひどい会社でビックリしました。社内ルールが全然できていないし、売掛金も山のようにありました。そんな状況の中で私は34歳になりたての若い経営者でした。ある日、皆を集めて「今後はこの会社は、日本一の立派な会社になります。」と言いました。なぜかというと、幕張メッセに近いというロケーション、過去からの富裕層のお得意様の存在、何より私が日本一の会社にすると宣言したから、と大風呂敷を広げて自分より年上の社員の前で言ったんですが、どこから手を付けていいかわからない、ダメなことはわかっているが何から手を付けて良いかがさっぱりわからない。そんな状況でした。困ったなと頭を抱える中で二人の頼りになる社員を見つけ出し、どこから手を付けて良いかを率直にアドバイスをしてもらい、それを実践した。レポート用紙に5~6枚くらい提案書を出してくれたので、それを一つずつ実践していった。しかし、古い会社なので派閥や抵抗勢力もあり、なかなか難しい。社員を全員集めて、改革の方針を話して、この中身で反対の方は退職していただいてもけっこうだ、と伝えましたが、誰も退職すると言わない。ところが、行動面で中身が全く一致しない人や、やると言ってやらない人には辞めてもらいました。また、社員の方からあんたのやり方ではダメだと辞めていった人もいた。結果的に55人いた社員が、半年で35人位辞めて20人しか残らない。辞めた人の後は、求人をして採用し、補充していきました。

  業績が飛躍的に向上したのは、幸いですが、94年ボルボの世界的なヒット商品が出た。業績がドンドン良くなっていった。結果的に8億円あった債務超過が7年で消えた。そして、状態が良くなっていった。銀行からも資金を融資していただけるようになった。この頃、不良債権が5000万円以上あったので、私は掛売を辞めようと皆にお願いした。これからは現金取引きしよう、と言いました。そしたら社員に抵抗された。それで私はお客様にご理解をいただくお願いの手紙を書き、売掛けの解消に手を打っていきました。今では月間5~6億円の売上げがありますが、売掛金は0です。当時、親父に「お前のやり方では会社がつぶれる。」と言われました。私は「酒や女や博打やって潰したならともかく、会社のために一生懸命やって潰したんだったら、親父の育て方が悪かったんだからあきらめろ。」と返した。歯ぎしりして怒ってましたね。それくらいの追い詰められた状況でした。今考えると、危なっかしいんで父親はすごく心配だったんだろうと思います。その頃、倫理の先輩に「お父さんと上手くコミニューケションとれているか?父親に毎日1年間ハガキを書け。」と言われました。私は、ハガキは書けなかったので、毎日、父に手紙を書きFAXで送った。そしたら、父は半年で文句を言わなくなった。倫理の先輩の絶妙のアドバイスで、父親とのコミニュケーションをとることができました。

つくづく思うのは、たまたま22年間潰れずにこれたのは、倫理法人会や父親が入っていた家庭倫理のご縁のお陰だということです。我が社は、2000年のボルボの新車の販売で全国のトップに立った。それから12年間トップを走り続けた。社員のモチベーションも上がった。倫理のお陰でいろんな方と知合いになった。倫理法人会の1万円は安い、価値が高い。朝のモーニングセミナーに来る人は基本的に真面目な人が多い。ぜひ大分でも、さらに倫理の仲間を増やしていっていただきたいと、強く思っています。本日はありがとうございました。