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YOSSYのブログ

日本の現状を憂いて政治に関して思う事、子供の頃から大好きな日本史(特に幕末から大東亜戦争)、軍事関係で戦跡、史跡巡りをした時の写真などUPしていきます。

新年明けましておめでとうございます。

今年は皇紀2671年、元号は平成22年、西暦でいうと2011年になります。

空が明るくなってきた元旦の朝7時頃、新調した国旗を掲揚しました。
国旗を掲揚するとやはり心に何か来る物がありますね。
世界中探してもこれほど青空に映える美しい国旗は無いと思ってます。


明治の頃ですが、フランス政府が正式な政府代表を立てて明治政府に対し「日の丸のデザインを譲ってほしい。ついては500万円出す。」とまで言ったそうです。まだまだ貧乏な新興国だった日本は財政難で喉から手が出るほどお金はほしかったでしょう。しかし、当時の外相は「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事!」と断ったそうです。

近所で国旗を掲揚している家はまったく見かけませんでしたが、本来祝祭日には国旗を掲揚するのは当然の事です。これを機に祝祭日の意味を知り、国旗を掲揚して見て下さい。
YOSSYのブログ-元旦01
元旦の朝。うっすらとまだ三日月が見えます。
YOSSYのブログ-元旦02


2日に地元の大分縣護國神社に初詣に行って今年のお願い事をしてきました。手水舎と二拝二拍手一拝の礼法にのっとり、護国の英霊に、日々崩壊する民主党政治打倒と、保守本流による日本の為の保守政権樹立をお願いしてきました。

正しい礼法御の作法はトップページから神社のあれこれにリンクして下さい。
【大分縣護國神社】

おみくじを引いたら大吉でした。

願事・・・漸々吉運に向いて思わず早く叶う


YOSSYのブログ-初詣01
ついでに絵馬も奉納してきました。周りは時期的に合格祈願ばかりでしたが。
YOSSYのブログ-初詣02

ただし、神頼みだけではいけません。楽をして努力を放棄した人には神様は微笑んではくれません。汗をかく事も必要です。今年も日本再興の為に一歩でも前に進もうと頑張って行こうと思います。

護國の英霊達よ、日本の将来を憂うる我の願いを叶えてたもうせ
歴史探索①(大分県中津市)の続きです。

$YOSSYのブログ-中津市03

中津城に入城しました。

車で城内に入り最初に行った場所が中津神社です。
YOSSYのブログ-中津神社01

現在ある中津神社は明治16年に建てられた神社ですが、その前は幕末に参勤交代などから姫君達が帰郷した際に住まわれた松の御殿があり、廃藩置県後に中津支庁舎が置かれましたが、西南の役で中津隊の攻撃により焼失したそうです。
YOSSYのブログ-中津神社02


山国川沿いに石垣をグルッと廻ってみると・・・
YOSSYのブログ-石垣01

石垣の並びが違う所がありました。黒田の石垣と呼ばれている所です。案内板を見ると、右側が黒田家の時代に作られた石垣で左側が黒田家の後に入城した細川家の時代に作られた石垣だそうです。石垣の作りがこうもはっきり違うとは面白いですね。
YOSSYのブログ-黒田石垣01
YOSSYのブログ-黒田石垣02


外から見た模擬天守

実際に天守が建てられていたかどうかは不明で、財政難で、あるいは、必要がないので建てられなかったという説が一般的である。江戸時代の絵図には天守は描かれておらず、本丸の山国川沿いにあった鉄門脇の3重に描かれた櫓が天守の代用となっていたと考えられている。

YOSSYのブログ-模擬天守

三の丸跡になにやら忠魂碑が目に付いたのでよく見ると・・・
YOSSYのブログ-忠魂碑01

元帥伯爵東郷平八郎書とあるではないか!
日本海海戦の英雄、東洋のネルソン、世界の三大提督の一人と言われている元帥海軍大将東郷平八郎閣下に対して敬礼!

YOSSYのブログ-忠魂碑02

二の丸跡にある公園。その名も二の丸公園。(そのまんまやんけ!と、心の中で公園に対して思わずツッコミが入った。)
YOSSYのブログ-二の丸公園


まだまだ中津城廻りの探索は続きます。


黒御門跡近くにある二の丸にあった長福寺跡。現在は大分地方裁判所中津支部があります。
YOSSYのブログ-長福寺跡

大手門跡。
左側の現在は中津市立南部小学校がある所に僅かながら石垣が残されています。

YOSSYのブログ-大手門跡01
YOSSYのブログ-大手門跡02
YOSSYのブログ-大手門跡03

グルッと廻って中津城内に戻って来ました。

そして次に中津城内に立つ独立自尊の碑です。
福沢諭吉の明言です。

YOSSYのブログ-独立自尊の碑

増築された石垣
YOSSYのブログ-増築石垣01
YOSSYのブログ-増築石垣02

鉄御門跡
YOSSYのブログ-鉄御門跡

西南役中津隊之碑。書は旧中津藩主奥平昌恭
YOSSYのブログ-中津隊之碑

さあ天守に登ってみよう!
YOSSYのブログ-天守

天守最上階より豊前海を望む。いやぁ~、絶景ですな。
YOSSYのブログ-絶景01

奥に見える山々は国東半島でしょうか。
YOSSYのブログ-絶景02


中津城で結構時間がかかってしまったので次の目的地に急げ!
本当はこっちがメインだったんだけどな。


八面山平和公園
YOSSYのブログ-中津市04


中津市から国道212号線を南下。旧三光村(現中津市)八面山中腹にある八面山平和公園に到着。

YOSSYのブログ-八面山平和公園

昭和20年5月7日午前10時20分頃 ここに宇佐空襲を行ったB29の編隊に陸軍の村田 勉曹長操縦の双発戦闘機「屠竜」が編隊の先頭機に正面から体当たりを敢行、両機ともに墜落し、B29搭乗員11名中8名はここで戦死、3名は落下傘で降下、その後死亡した。村田曹長は中津市洞の上の山中で戦死しているのが発見された。毎年5月3日には日米の関係者により平和祈願祭が行われているそうである。

B29墜落の地
YOSSYのブログ-B29墜落の地

村田曹長之碑
YOSSYのブログ-村田曹長之碑

米軍戦没者慰霊碑
YOSSYのブログ-米軍戦没者慰霊碑


敷地の隣にこんな物が展示されてました。
YOSSYのブログ-F86戦闘機01
YOSSYのブログ-F86戦闘機02
YOSSYのブログ-F86戦闘機03


今回の探索は終わりです。

帰りは地図も無しに知らない山道を通って帰りました。偶然にも宇佐ICのすぐそばに道が繋がっていたので迷わずに自宅までたどり着きました。車にナビは付けていないので、どこに繋がっているのかはまったく分んなかったけど、「ここに繋がってたんだ。」と新たな発見があるのが楽しいので、ナビのいいなりに行動するのが嫌な古い人間です。(笑)
今回は大分県中津市に足を延ばしてみました。
いつもの大東亜戦争の戦跡とは趣向が少し違いますが、私の大好きな日本史の中で最も得意とする時代(幕末から大東亜戦争)の守備範囲です。

今回訪れた場所です。
YOSSYのブログ-中津市01

まず最初に増田宋太郎の墓を訪れました。

増田宋太郎墓
YOSSYのブログ-中津市02

増田宋太郎とは明治10年(1877年)3月31日、現在の大分県中津市において増田宋太郎を中心とした旧中津藩士の同志らと共に中津隊を結成し、中津支庁襲撃~大分県庁襲撃~熊本県小国を通って熊本にて戦闘中の薩摩軍に合流し、以後各地に転戦して和田越の戦いで薩摩軍が敗退し、西郷隆盛が解軍の令を出した後も増田宋太郎ほか十数名は薩摩軍と最後まで行動を共にし、最後の城山の戦いで戦死したとも捕えられて斬首されたとも言われている人物である。

増田宋太郎の墓がある安全寺
YOSSYのブログ-増田宋太郎墓01

増田宋太郎の墓です。妻の鹿子と眠っております。
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城山で戦死となってます。
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そばにあった岡本眞坂之墓。墓石の横を見てみると9月24日鹿児島城山戦死となってるので増田宋太郎と同じ中津隊の隊士であったのでしょう。
YOSSYのブログ-増田宋太郎墓04
YOSSYのブログ-増田宋太郎墓05


福沢諭吉旧宅、増田宋太郎生誕の地の順に廻りました。
>$YOSSYのブログ-中津市03


大阪にあった中津藩蔵屋敷で生まれた福沢諭吉が父の死により帰藩して1歳から19歳までを過ごした旧宅跡です。中までは入らなかったので外観だけです。
YOSSYのブログ-福沢諭吉旧宅01
YOSSYのブログ-福沢諭吉旧宅02

【ミニ知識】
2008年公開された映画「私は貝になりたい」(中居正広、仲間由紀恵主演)の監督を務めた福澤克雄氏は、お母さんが福澤諭吉の曽孫にあたり、玄孫になります。大学も玄祖父の創立した慶應義塾大卒です。



福沢諭吉旧宅前の脇道を右に向かうとすぐ増田宋太郎生誕の地がありました。増田宋太郎の父と、福沢諭吉の母がイトコである為、増田宋太郎は福沢諭吉とまたいとこになります。福沢諭吉の暗殺を企てた事もあったが話を聞くうちに心酔し、慶應義塾で学ぶようにもなりました。
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YOSSYのブログ-増田宋太郎生誕の地02
YOSSYのブログ-増田宋太郎生誕の地03
YOSSYのブログ-増田宋太郎生誕の地04


次に廻った中津城、B29墜落の地は歴史探索②(大分県中津市)で紹介します。