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日本の現状を憂いて政治に関して思う事、子供の頃から大好きな日本史(特に幕末から大東亜戦争)、軍事関係で戦跡、史跡巡りをした時の写真などUPしていきます。

地元の大分縣護國神社にある西南の役に関係する戦没者墓地です。官軍墓地は駐車場の脇にあるので分かり易いですが、警察官墓地は恥ずかしながら3年位前に私も初めて知りました。一の鳥居から歩いていけば気付くかもしれませんが、駐車場に直接入ればまず分からないでしょう。たぶん知っている人もすくないと思います。


【写真1】西南の役官軍戦没者墓地 大分縣護國神社駐車場に入って左側にあります。

【写真2】佐川官兵西南の役警察官戦没者墓地衛 大分縣護國神社駐車場に入って正面に見える二の鳥居から階段を下ってしばらくすると左手側に階段が見えてきます。

【写真3】佐川官兵衛  元会津藩家老。西南の役には内務省警視局(警視庁の前身)から、豊後口第二号警視隊副指揮長兼一番小隊長として参戦するが、1877年(明治10年)3月18日、熊本県阿蘇郡黒川村(現南阿蘇村)で敵弾に眉間を打ち抜かれて戦死する。享年47歳。武勇に秀でていたことを薩摩・長州に恐れられ、「鬼の官兵衛」又は「鬼佐川」「鬼官兵衛」と恐れられた事で有名。1987年12月30日、12月31日に日本テレビで放映された年末時代劇スペシャル「田原坂」(DVD持ってます。)にも本田博太郎が佐川官兵衛役で登場します。大分県とは縁もゆかりもないが警視局より豊後の防備として派遣され戦死した為、大分県関係者として大分縣護國神社に祀られている。

【写真4】無名警察官之墓 無名警察官と書きましたが、墓碑にはきちんと氏名、階級、戦没地、日にちは刻まれています。佐川官兵衛らとが東北の会津藩出身だったように東北出身者が多いです。これには、1868年(慶応4年)1月の鳥羽・伏見の戦いで奥羽列藩同盟諸藩は朝敵として新政府軍に追われた事を恨みに思っており、今回は自分達が官軍として薩軍を朝敵として追い立てられる、朝敵の汚名を受けて無念にも散って行った仲間達の汚名を晴らせるという思いから東北出身者の志願が多かったようです。

【写真5】大分縣十等警部藤丸宗造之墓 大分県臼杵市出身。宮崎県日向方面からの薩軍の侵入に備え、1877年(明治10年)3月1日、大分縣佐伯署 重岡(しげおか)分署長として赴任。薩軍の延岡侵入、そして重岡侵入の際に、その報告と出兵要請に熊本鎮台や竹田署にいた政府軍に通報し、帰路捕えられて5月23日、竹田町会々(現竹田市)にある西光寺の前に流れる川の畔で斬首された。その場所には藤丸警部殉職の地の石碑が立ってます。西光寺には銅像が建立されてます。


なお、官軍将兵及び警察官は国の為に殉じた者として靖國神社及び各地の護國神社に祀られていますが、薩軍は賊軍として扱われている為祀られていません。西郷隆盛も維新の三傑の一人として多大の功績はあるものの名誉回復はなされているものの賊軍の将として亡くなっている為、靖國神社には合祀されていません。ちなみに、坂本龍馬、吉田松陰など幕末に新国家建設の為に奔走し、命を落とした英雄として靖國神社に合祀されています。

YOSSYのブログ_【写真1】西南の役官軍戦没者墓地
YOSSYのブログ_【写真2】西南の役警察官戦没者墓地
YOSSYのブログ_【写真3】一等大警部佐川官兵衛之墓
YOSSYのブログ_【写真4】無名警察官之墓
YOSSYのブログ_【写真5】大分縣十等警部藤丸宗造之墓
明治10年(1877年)6月17日、この三国峠に陣を構えていた薩軍は連日の激戦の疲れにより寝静まっていました。その隙を突き官軍兵士は薩軍陣地に近づき攻撃を開始、寝込みを襲われた守備隊はこの陣地を守る事が出来ず薩軍飫肥士族山田宗賢分隊長以下11名はこの地で命を落とし敗走しました。陣地に選ぶだけあって見晴らしは抜群に良く、けっこう内陸部にあるにも関わらず大分臨海工業地帯、別府湾が遠望出来ました。眼下には現在の国道326号線が見下ろせます。この三国峠から国道326号線を挟んで向かい側にある旗返峠にも薩軍陣地跡があるのですが現在はほぼ廃道同然になっており、途中で車を止めて何キロか歩いていくか、バイク、自転車でないと近づく事が難しいようです。



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YOSSYのブログ-薩軍飫肥士族戦没者
YOSSYのブログ-三国峠付近から大分臨海工業地帯を望む
YOSSYのブログ-眼下に見える国道326号線
明治10年(1877年)に起きた日本最後の内戦、西南戦争の激戦地といえば熊本県(田原坂)、宮崎県(延岡市)、鹿児島県(城山)がよく知られていますが、私の地元大分県でも県境付近の峠を中心に戦いがあった事を知る人は少ないです。出かけるにしても何分山の中なもんで大変です。
三重市の戦いの行われた場所は街中にあるので訪れるのは楽でした。
体験談の掲載された新聞記事を読む機会がありましたが、戦いの後、近くの水田に生首が転がっていたとか、水田に人の体から出た脂肪が浮いていたなど生々しい体験談に自分が住んでいる場所からそんなに離れていない場所で今から133年前に壮絶な戦いがあった事を新ためて思い知りました。

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