人生の節目は自分で決める | 料理人ウ・ドンファンの う、ど~んな日々

料理人ウ・ドンファンの う、ど~んな日々

45年飲食・食品関係の業界にいます。19年飲食店自営してましたが、今は自分が美味しく食べる為に料理を作っています。もちろん家族はその恩恵にあずかってる・・と思ってますが・・ できるだけ料理には簡単なレシピを付けてます

昭和63年9月に業務用食品卸業デリカハウスを開業

7年半働いた丸大ハムを脱サラしてから 自営業30年があっという間でした  2000年に和食れすとらんおいしんぼを開店してから 来年で20周年です  ここ10年ほどはマスコミ取材はお断りしてました  少人数で応対してるので、常連のお客様に迷惑かけないという理由です

ここにきて最後の取材を受けました

タウン情報岡山のWEB版へのリンクです

写真は 年下だけど通称アニキとの2ショット   おいしんぼ開店当初は新人で来ましたが、今はそれなりの地位にいる   それ以来の付き合いから頼み込まれましたが、彼からの頼みは断れない  今の看板メニューをここまで有名にしたのも彼の功績があるからだ

13年前からはなりふり構わず売れる品を押していく方針に転向した

岡山県でも全国でも例を見ないオリジナル商品として そこそこヒットしました

テレビの取材も受けていましたが、スタッフの人数を減らすとともに取材拒否の方向に進みました。 自分個人は出たがりなので良いのですが、放映後の店内混雑でスタッフよりクレームが出ました。 それ以来全て断ってきましたが、RSKの夕方ニュース番組のK氏がアポ無しで飛び込んできて無理やり取材されました。 彼とも交流があり 、また断れない事情があったのです

 

お客様や知人から{どうして閉店?」と聞かれることが多いので、この場で説明します

大きな理由は 店が賃貸であること

現在63歳、同級生が病死することに直面する事も増えてきました

3年前骨粗しょう症から 脊椎を2箇所圧拍骨折で潰してしまい  前かがみの仕事がキツクなり、和食のおいしんぼランチ・セットの提供を取りやめたり  年末のおせち料理も注文も受けなくなったりと 徐々に縮小していきました

昨年から月曜日も定休日にして 月火曜日週休二日の営業にしましたが  営業日のことを考えて、あちこち仕入れして回るのが休日の常で 休んでいません  結局 (スタッフから)後継者を育てられなかった自分の力の無さが原因なのですけど  もう体力的に1日12時間労働はキツイのと、奥さんの親の今後の介護等を考慮しました   たちまち自分の脊椎のセメント手術には入院が必要になるし  他の病気が起こるかもしれない年齢です  持ち家ならたちまち閉めても構わないですが、その間家賃も必要ですし  急に退去するには道具が多すぎます  1年かけて少しずつ片付けていこうという方針です

 

今年中には魚料理を取りやめて、トンカツととりもも照焼日替りランチのみで営業する方向です

それまでに誰か店をやりたい方が出てくれば、名物のかつ丼を中心に営業継続があるかもしれません

しかし、野菜と魚は知識と経験が必要なので無理だと思います

 

いままで支えてくれた皆様 ありがとうございました

あと1年(体が許せば)がんばります