赤穂浪士四十七士が、主君である浅野内匠頭長矩の敵を討つべく吉良上野介の屋敷に討ち入り、見事その首を取ったというのが「忠臣蔵」です
実は、この話、後世になってかなり脚色されたものだったらしい。
吉良上野介は本当はそんな意地悪な輩ではなく、浅野が江戸城で刃傷に及んだのはもっと別の理由があったといわれています。
赤穂浪士たちが吉良の屋敷に討ち入ったというのは間違いないようで、通説では、浪士たちは上野介の布団のぬくもりを確かめたり、床の間の掛け軸の裏の抜け穴を見つけたりしたようです。
そして、そんな苦労の末に炭小屋に隠れている上野介を発見し、その首を斬ったのです
炭小屋ではなく、廊下の土間に隣り合った物置部屋の中に家来とともに隠れていたところを見つかり、間十次郎によって首を斬られます。
その後、大石内蔵助によって、主君がつけた傷跡を確認したという話もある。
他にも、かねてから討ち入りを予想して警戒を強めていたはずの上野介があっさり斬られてしまうのも不自然ということで、替え玉説もあるのです。
本人は吉良邸から隣家の本多孫太郎邸に通じた抜け穴から脱出し、逃走したとか。
忠臣蔵が後世になってかなり脚色されたものであるとしたら、替え玉説もあり得ますね