自己紹介の続き
私は歯科医師ですが、実は音楽家を志望していました。私が通っていた都立富士高という元々旧制の女子高だった高校にはアンサンブル・クラブというのがあって、小さなオーケストラみたいな活動をしていました。そこで、チェロを始めたのがきっかけで、次第にチェロに夢中になってしまったのです。高校2年頃から本格的に音楽家になろうと考えていたのですが、両親とも医者でしたので、猛烈な反対にあい、結 局断念し、医学部をめざしました。まあ、今考えると、所詮、才能がありませんでしたから、適切な判断だったと思います。音楽家を目指していたので受験勉強を一切していなかったことと、昭和44年というのは学生運動が盛んで、東大の歴史でただ一回入試がなかった年に高校を卒業したこともあって当たり前のように浪人をしました。私の唯一の自慢は「現役で東大に入ったのが誰もいないこと」などと嘯いていたのですが、医学部受験はそう甘くなく、結局、もう一年浪人して、日本大学歯学部に何とか合格しました。
歯科医学教育国際支援機構の紹介
はじめまして。歯科医学教育国際支援機構理事長の宮田 隆です。このブログでは、国際医療貢献に関する様々な情報を提供するページです。
少しだけ、自己紹介をします。私は1950年7月の暑い時に、埼玉県秩父市のさらに山奥の落合という所で生まれました。しかし、埼玉が故郷ではありません。両親が医者で、戦前からこの地に疎開(古い言葉ですね)していて、元々無医村でしたから重宝がられ、そのまま戦後5年間、居ついてしまったわけです。上二人の姉もここで生まれました。ところが、生まれて2か月足らずで家族は 東京に戻り、勿論、私は生れ故郷の記憶は全くありません。ですから、私は誰からも「江戸っ子」に見られるのですが、いつも、少し恥ずかしそうに「埼玉県の出身です」というと「へー」と驚かれます。小・中・高校と中野で過ごし、大学はお茶の水でしたから、現在住んでいる東京から離れたことがありません。
少しだけ、自己紹介をします。私は1950年7月の暑い時に、埼玉県秩父市のさらに山奥の落合という所で生まれました。しかし、埼玉が故郷ではありません。両親が医者で、戦前からこの地に疎開(古い言葉ですね)していて、元々無医村でしたから重宝がられ、そのまま戦後5年間、居ついてしまったわけです。上二人の姉もここで生まれました。ところが、生まれて2か月足らずで家族は 東京に戻り、勿論、私は生れ故郷の記憶は全くありません。ですから、私は誰からも「江戸っ子」に見られるのですが、いつも、少し恥ずかしそうに「埼玉県の出身です」というと「へー」と驚かれます。小・中・高校と中野で過ごし、大学はお茶の水でしたから、現在住んでいる東京から離れたことがありません。
