堀ちえみ/潮風の少女 | IDOLHAPPINESS

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●堀ちえみ  1982年3月21日 オリコンチャート#27 Sales:8.8万枚

作詞:松宮 恭子
作曲:松宮 恭子
編曲:鈴木 茂

というわけで、今月の邦楽紹介2回目!
デビュー、36周年おめでとうございます。また、お身体大事になさってくださいね。ちえみさん。

実は個人的に、この曲のファンなんですよ。よくカラオケで歌います。歌いきります。高音部。
ってくらい、この曲好きなんだけど、なるほど!

作詞作曲が松宮恭子さんですね。どうりで!歌詞とメロディが合ってるわけだ。

3月21日の日付に相応しいこの楽曲。
年によっては、まだ寒くて、花見が~♪みたいな頃合ですが、やはり

もう夏がせまってる!っていうw夏好き夏男な僕には。
このくらい、、、、

海ソング!

 

 

ってなってくれてるほうが、断然好みなんですよね。
茅ヶ崎って歌詞に出てくるので、茅ヶ崎の国民的ソングになりましたのかな???

デビュー曲というのもあって、これからの華やかな未来感がたっぷりキラキラしてますね。
80年代特有の平和で豊かな雰囲気。

また、初期1年目の堀ちえみの楽曲ラインナップは小公女っていう感じで。
当時のアイドル歌手は16歳デビューが多かったが、15歳というローティーンぶりを前面出し。

デビュー年は少女路線で、シングル、アルバムをリリース。
このシングルジャケットからも白を基とした、初々しさ清廉さをアピール。
笑った顔のほうが堀ちえみらしくていいんですけどね。後ショートカットも???
林紀江っぽくもある芋くささに変化していきます。

小学生っぽいイメージではあるんだが、ある意味、大阪のおばちゃん魂は元からあったのだろう。ね。
それ見越しての変化なん???
デビューで掲げた、少女路線どこへ?って感じですが、

キャッチコピー:新世代が生んだアイドル
ってなってます。新世代ってなんやねん?・・・なんとなく本人のキャラクター表現だったのか?!

割りとハイハイっていってこなすより、嫌なものは嫌だ、という発言イメージがあるので
こだわってアイドル業をしてたんだと思います。よくコントで顕著に出てたけど、まぁでも健気にやってましたね。
後、埴輪ってよく言われてましたね。黒目がおおくて。その表現がいいのかわるいのか?って感じだけど

からかわれ女子。っていうw愛され方をしてましたね。
大阪の人だから、返しが!命っていうwのはあったんでしょうね。よくバラエティでいじられつつも、返しを放っていた。

とはいえ、当時のアイドル歌手なので、大阪弁は前面になかった。
それに関しては河合奈保子、柏原芳恵、堀ちえみ
と大阪出身。という看板もほとんど使用せずなご当地ながらも全国区アイドル。


さて、この方も1982年組デビューの伝説のアイドル。
デビュー年後半の賞レースで他競合アイドル歌手と同様に

2年目からシングルヒットをとばし、ベスト10内にチャートインしていきます。
最大セールスの曲は、5thシングル:さよならの物語    18.7万枚。最高位8位なんですが、最高最大は

1984年10月17日    クレイジーラブ/愛のランナー 最高位2位
1985年1月23日    リ・ボ・ン最高位2位

と、2曲の最高位2位の保持者です。惜しい!1位の暦がほしかったよね。
他同期同様、人気最大勢力時期は
1983年~1985年にかけてトップアイドル期間を迎えます。
だいたいひとまとめにされがちな、松本伊代・早見優・石川秀美なんですが

名刺代わりの大ヒット持ちの松本伊代・早見優組と
連続スマッシュヒットでチャートイン暦長い堀ちえみ石川秀美組と、なります。

更に、この堀ちえみにはスチュワーデス物語という、大ヒットドラマがあるのですが、その放送は
1983年10月から1984年3月なので、ドラマ人気と曲人気が一緒に、って言うわけではなかった様子。
なので、ちょうどドラマでの人気が底上げとなって、より魅力的なアイドル歌手としてドラマ放送後も人気が持続していたという証でしょう。

1984年末の第35回NHK紅白歌合戦にも出場。
同期では中森明菜、早見優、小泉今日子、に次いで出場枠ゲットでした。


なんですが。1985年の夏。今で聴くと、まぁ、うん。wまぁ。そうか。って感じだけど
Wa!ショイっていう、当時誰もが、なんか変な曲歌いだした。っていう。。。

まぁ1985年は、80年代前半組みと後半組のせめぎあいの期にもなり
前半組松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、松本伊代 小泉今日子 堀ちえみ 石川秀美 早見優あたりは
これまでと違った曲を展開していき、80年組82年組vs85年組+おにゃん子勢 という過渡期に入ります。
とはいえ、85年はまだまだ前半組の圧勢でしたが。

話戻して、堀ちえみ。
ドラマと併用して歌手活動をしてましたが、歌手活動だけでも多忙なうえにドラマ収録で、みるみる痩せていき
人気下降の1985年暮れから1986年、で、1987年に一時引退するわけですが。
痩せてきれいになった、っていうより、休まないといけない、くらいの体調不良って感じとお疲れ感が出てましたね。
色々葛藤があったんでしょう。

その後、河島英五作品:ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ 
で歌手活動再開。そこから松本伊代・早見優とのグループ:キューティー☆マミーを結成したりなど、現在に至る活動をされてますね。
余談ですが、キューティー☆マミーのシングルジャケットの絵は東京2020オリンピックパラリンピックの絵描いた人と同じなんですYO!


個人的には、この曲が一番好きですね。
イントロからして、波だと思うんですよ。メロディが。そこに尽きるんだけど。
サビに入る前の、大きなレンジ域に昇華するのもいい。

レコード会社がそうだったからか、ブレイクした曲がロカビリー歌謡だったことから、
ロカビリー風もしくはグループサウンズ風の古い歌謡曲が多かったイメージがあります。

声がドライなのもあり、音程もあってて、下手とされがちなアイドル歌謡ですが、
82年組では中森明菜に次ぐ歌唱力があったと思います。本人のイメージからなのか、ほんと

ド歌謡曲路線。

が、個人的にはいまいち好きではなかったけど、コンスタントに歌番組とヒットチャートに出てましたね。
後なんか大映ドラマのフィルムの質感がずっとある印象w

また、実家がわりと近所でしたw世代は違うけど、同じ地区でしたね。
中学校とかたぶん、同じだったと思います。

とりあえず、健康を取り戻して、再び、マイペースを。
山あり谷ありを越える人間らしさを体言したアイドル歌手といえるでしょう。

 

人間誰しも、生きている限り、病気や怪我はあります。そうなった時にいかに受け止めて、前を向く姿勢と

しっかり自身を検証し、進むことが大事ですからね。


また、お元気な姿を見せてくれる日を楽しみにしています。

待ちぼうけ♪でもかまいません。

https://oip2aip.wixsite.com/infinity

 

 


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