私のバレエ歴 コンクールの意味 | のりえのブログ 私のバレエ歴

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バレエのこと。
これまで出会ったすべての先生、関わってくださった方に感謝して、この記事を書きます。

コンクールの意味

 

 

 

 

地元のコンクールに参加した後、

バレエの友達と決別した形になった。

 

 

複雑な気持ちになっていたけど、

自分のことを頑張るしか無いと思い、これまで通り稽古に通った。

 

 

あのコンクールで入賞した人には、

あるバレエコンクールの参加資格が与えられた。

 

 

 

コンクールの詳細は、なんとなくの記憶で書く。。

 

海外の人たちが参加するコンクール。

 

 

確か演目を3つ準備しておかなければならなかった。

 

古典作品を2曲とコンテンポラリー作品を1曲。

(もしかしたら1つはフリーだったかもしれない。)

 

私は一番最初に踊る古典作品を第三幕のオーロラのVa.、

コンテンポラリーはいつもお教室の発表会で大きな作品の総振付けをしていた先生の作品、

もう1曲は海賊よりメドーラのVa.にした。

 

 

 

 

会場は都内のホール。

 

私とお教室の代表の先生と、主にコンクール指導をしてくれていた先生の3人で東京に来た。

 

 

 

 

私は高校2年生くらいで生理が始まった。

 

このくらいの時期だったと思う。

 

少しずつ身体つきがふっくらし始めていた。

 

 

そんな時期だったからか、食欲が以前より沸く。

 

コンクール出場前日、先生達とどこかのお店で夕食を食べた。

 

先生は「明日のために食べておいたら?」と、注文した料理を私に勧め、私は「どうかなぁ」と思いつつ素直にたくさん食べた。

 

コンクール当日

 

案の定、全身むくんでいた無気力

これは後々ビデオを観てよくわかったけど、

本当に馬鹿だったなと思う。

 

 

 

 

レオタードでの審査もあった。

 

 

舞台上で、ゼッケンをお腹に付けてクラスを受ける。

 

 

バーが終わった後、あるアンシェヌマンを覚えて、1人ずつ生ピアノで踊るという審査だった。

 

 

人数が多かったから、いくつかグループに分かれて、出されたアンシェヌマンをそれぞれ2、3回練習したと思う。

 

 

 

だけど私は昔から、覚えることが本当に苦手だ。

 

 

 

そしてそのアンシェヌマンはいろんな面を見るためか、長めだったように思う。

 

 

2、3回動いたくらいでは、私には大まかにしか覚えられなかった。

 

 

あっという間に1人ずつ踊る時間になってしまった。

 

 

みんな当たり前のように普通に踊っていた。

 

 

私の番が来た。

 

舞台中心に立つ。

 

ピアノの演奏が始まり、私は不安な気持ちで踊り始めた。

 

最初はなんとか大丈夫だった。

 

でも曲調が変わり少し早い動きになったとき、

わからなくなった。

 

少し動きが止まり、考えてしまった。

 

 

明らかに、振付けを忘れた人になった。

 

 

次のメロディーから思い出し最後までなんとか踊った。

 

 

すごく恥ずかしかった。

 

 

 

自分はこれほどわかっていないのか、と痛感した。

 

 

 

この審査もビデオが残っているけど、

二度と見たくはない。

 

 

今でも、振りを忘れてしまったメロディーの一部分を覚えている。

 

 

 

私はまた、楽屋で1人泣いた。

 

泣いている私の後ろには、最終的にこのコンクールで第1位になった子と、

その子の先生らしきがいて、心配そうな顔をしてこちらを見ているのが、私の前の鏡越しに見えた。

 

私は涙を堪えられず、静かに泣いていた。

 

 

 

少しして私の先生達がが楽屋に来た。

 

叱られることは無かったけど、何を話したかの記憶は無い。

 

 

 

ヴァリエーション審査ではいつも通りの自分の踊りをしたと思う。

 

このコンクールは舞台横に点数が大きく映し出される。

 

私が踊った後に表された点数は、とても低かった。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱりそうだよな

 

と思う。

 

 

やっぱりそうなんだ

 

と思う。

 

 

 

 

私は、ただ楽しく踊ってきただけの、普通の人間だった。

 

 

楽屋で鏡越しに見たあの子は、

ただ立っているだけで美しかった。

 

 

私とは全く別の、

芯から洗練された美しさのある人だった。

 

 

このコンクールの決戦などでその子を直に見ることは出来なかったけど、

後々結果を見て、その子が第1位だと知った時、すごく腑に落ちた。

 

 

 

 

結局、私はコンテンポラリーもメドーラも踊ることはなくこのコンクールを終了した。

 

 

 

 

 

 

 

いつもコンクールを終えた後、私はどう過ごしていただろう。

 

 

 

バレエコンクールとは、

一体どんな意味があるのだろう。

 

 

 

コンクールに参加する理由はこんな感じだろうか。

 

 

 

 

自分のレベルを確かめるため。

 

 

入賞することで、レベルの高い場所での勉強や活躍するきっかけを掴むため。

 

 

外部のさまざまな人の踊りを間近で見るため。

 

 

舞台に立つという場数を増やすため。

 

 

自分の踊りたい踊りにとことん集中して練習するため。

 

 

 

 

 

 

どれも私の理由に当てはまりはするけど、

 

私がコンクールに参加していた1番の理由は多分これ。

 

「自分の踊りたい踊りにとことん集中して練習するため」

 

 

 

 

 

いつも、入賞は一応の目標ではあったと思う。

 

 

予選から準決戦に進めたら嬉しいと思う。(コンクールによって違うけど)

 

 

そこまでの目標だった。

 

 

まず決戦なんてあり得ないくらいに思っていた。

 

 

それに入賞したらもちろん嬉しいし、心の奥底ではそうならないかと願っていたかもしれない。

 

 

だけど、そんなことより、

 

 

ただ好きなものをたくさん踊りたくて、

 

 

出来ない技術を出来るようにしたくて、

 

 

いつも稽古場に通っていたと思う。

 

 

 

 

 

だから、前回書いた地元のコンクールでの入賞は、本当は信じられなかった。

 

 

 

 

だって、自分には理解出来ていないことがあるのは知っていたから。

 

 

 

 

あれは本当に幸運だった。

 

 

 

 

やっぱり、『基礎』の審査では通らないのだ。

 

 

 

 

 

 

それでも、バレエ歴はどんどんと伸びて行き、プライドもそれなりに積み上がった。

 

 

 

コンクールで悲しい結果に終わっても、

 

 

理解出来ていないことは100メートルくらいの高さの棚に上げて、

 

 

私は変わらず、いつもの稽古場でいつも同じことを繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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