小泉政権の時代に「痛みに耐える」
という言葉が流行りました。

政府の支出は削られ、国民の負担は増え、
貧困化が進む一方です。

今となっては更に露骨に緊縮が進み、
政府は台風でも大雨でもコロナでも
金を渋りに渋ります。
一方で消費増税に保険料増加など、
国民から金を巻き上げる事にかけては
余念がありません。

緊縮とセットで電気や水道の民営化、
種子法や種苗法や産業競争力強化法といった
種子の品質保証を
国内外の民間に明け渡す法律、
病院や保健所の削減や独立法人化、
非正規労働やフリーランスや
外国人実習生の増大等々、
グローバリズムで新自由主義な政策が
次々と実行されています。

消費増税は財政の健全化のためではなく、
法人税や所得税の減税分に充てられています。


痛みに耐えるのは私たち自身のためではなく、
国内外のグローバル企業に
利益を献上するためなのです。
痛みに耐えたところで待っているのは
痛みを与えた政治家達に潰される未来です。
消費増税やコロナでも補償をろくにせず、
倒産する企業を自己責任で
片付けようとしています。



何のために政治があるのでしょうか?
人々の生活を安定させ豊かにするために
あるのではないでしょうか?

痛みに耐える大義名分は
財政破綻の恐れでしょうが、
通貨発行権がある日本が
財政破綻などあり得ません。
そのことはあの財務省も認めています。


痛みなんか要りません。
人々の生活を守らない、
人々に痛みを与えるような
政治家はその時点でアウトです。
政治の世界から排除しなければいけませんし
落選させなければいけません。