古都のブログ小説 京の鐘912

 

   

  ♪ お風邪召すなと 耳まで着せて

   聞かせともない オワラ 明けの鐘

 

 唄い手の 哀調を帯びた唄い方に胡弓の音が被さって 

   聞き手の胸にしっとりと忍び込む。

 

 

 

 泣きぬれた穂香の胸にも響いたようで、かつて見たこと

   も無い情緒を含んだ舞に、喝采が上がった。

 

 

 

 奈菜が驚きを持って、これに応える舞も冴えに冴えた。

 

♪ 舞いに疲れて 網笠敷いて

    草を枕の オワラ 風の盆 

 

 この粋な唄の文句を、小夜がしなやかに熟し、

   若い男女の恋模様を浮きだたせ、観客が一瞬、拍手も

   忘れて見とれていた。

 

 

 

 秋山は小柄な小夜の舞の隠れた媚も美しく、

   目を見張るものがあった。

 

 

 

 それにしても、志乃が見ていたら、なんというだろうか

   と複雑な心境で、

   二番手たちの見せ場の舞に、なんともいえぬ複雑な 思い

   で手を打った。

 

 

 

 湿った舞い納めであったが、想像外の喝采で幕を閉じた。

 

 

 

 ここで名を上げたのは小柄な穂香と小夜であった。

 

 

 

 穂香は早々と志乃の見舞いに出かけ、また熱く語り

   泣いた。

 

 

 

 その夜に放映された短いニュース枠でも志乃の舞に

   伍して、二人の舞が内輪でも高く評価された。

 

 

 

 8日後の30日に、D大の大学祭が開かれ、

   志乃は初日、二日休んだが、最終日のオワラの舞台舞に

   登場し、短い時間であったが、

   病み上がりと思えぬ華麗な舞で、会場を埋め尽くした

   観客を惹き込んだ。

 

 

 

 穂香と小夜が演じた二曲の舞は人が変われば全く別もの

   になることを、観客だけでなく、

   家元の白河沙織子や筆頭師範の沙緒をも虜にしたのだ。

 

 

 

   その後、

   沙織子は秋山に逢いに来て、自分もいつか機会があれば、

   舞いたいと申し出たが、

   女舞は君は背が高すぎて無理とのつれない宣告に

   肩を落とし、子供のように泣きじゃくった。

 

 

 

「別の機会に」 

  との慰めも聞かず、姿を消したが、その夜志乃の見舞い

  に訪れた沙織子に志乃の

「家元様さえよければ、

  うちがお相手を務めさせて頂きます」

  誠実な申し出に拒み切れず、沙織子も肯くことで鉾を

  収めた。

 

 

 

 志乃が退院したのは大学祭の終わった翌日であった。

 

 

              古都の徒然  高所恐怖症・・( ;∀;)

 

 

 1985年の8月12日に日航のジャンボ機が御巣鷹山に

 激突するという、

 前代未聞の大事故がありました。

  

 

 私が飛行機恐怖症になったのも、それ以前から、何度も

 飛行機事故が連続していて・・

 

 

 なのに、あれはたまたま起きただけで、と軽々しく言う

 方もいて・・

 

 

 当時、

 自動車事故で亡くなる方が年に1万人を軽く超えていて、

 其処から見れば、飛行機事故なんて

 問題にならないほど数少ないのだから・・との論調が

 結構、あったものです。

 

 

 当時も今も私はそういう確率の問題ではなくて

 自動車事故は

 どんなに多くても一度に出る死者はせいぜい50人程度で、

 と、過小評価する機運があって、とても不愉快になった

 わけですが・・

 

 

 どんな事故でも人がなくなるのは悲しいもので、

 殊にあの事故では502人もの方が 

 亡くなり、

 多くの犠牲者が死への恐怖の中で、必死に書いていた

 メモの遺書が

 その悲しみを増大させたものです。

 

 

 私が飛行機嫌いになったのはもっと以前からでしたが

 やはりあの事故以来、

 飛行機が大嫌いになったのは間違いなく、

 あの事故が

 原因になったものかと思います。

 

 

 もっとも私は子供の頃から高い所が苦手で、

 学校の教室で

 高い所に何かを張るために椅子に乗って、画鋲を押して

 いる時に

 力の入れ具合が悪かったようで、ものの見事に

 ひっくり返り・・

 

 

 一瞬、息が出来なくなって、

 目を剥いたようで

 周りの子から笑いが上がったのがはっきりと分かり、

 以来、

 二度と椅子の上に立つことが出来なくなり・・

 

 

 なので

 未だにエアコンの掃除が出来ず、たまに来ていた

 教え子が

 簡単に上がって、中のフィルターを取り出して

 サッサと洗い、

 元に戻している時、心配してしっかり彼の椅子を持ち

 続けていて、あの子から迷惑がられて

 閉口したもので・・(笑)。

 

 

 彼がコロナに感染してから、めったに来る機会が

 なくなり、

 今も、

 二つの蛍光灯の球が切れていて、つかないのですが

 仕方なく

 小さな20ワットの方だけつけて生活している

 みっともない限りですが・・

 

 

 なので、

 私の高所恐怖症はしっかりとした安全装置の確かな物

 以外の乗り物は安心して乗れません(笑)。 

 

 

 要するに

 何かの不調があっても、確実に地上に戻れる装置が

 あれば私だって海外へ‥(笑)

 

 

 このため、社命でも海外出張を拒否して

 ハワイ・ニューヨーク・パリなど海外主要都市へは

 一度も出かけられず、

 退職間際に、なんとか一時間程度の近い所だけしか

 行けませんでした(笑)

 

 

 もっとも命令していた部長が

 毎回、自分が出張の際に、机の引き出しに遺言を

 残して行ったもので、

 人のことは笑えないはずですが・・

 

 

 それも

 日航だけは嫌だから、全日空にしろと言うのに

 毎回、彼の願いは叶わず・・

 

 

 大体、出張は突然なので、余裕がなかったもので、

 庶務が悪いわけではありません

 

 

 私も一度も全日空に乗れなかったのも同じ理由からで

 誰にも恨みはありませんでしたが‥( ;∀;)。

 

 

 それと成田は苦手で、羽田しか空港は知りません。

 仕方無いですよね。

 

 

 今、オーストラリアへの海外旅行記を連載している

 るりはなさんの

 記事を読んでいると羨ましくて・・(笑)

 

 

 暇はあるのですが、飛行機が嫌いなため海外へ行けない

 のも辛いもので‥(笑)

 

 

 それにしても、高所恐怖症は辛くて悲しい‥(~_~;)。